Hillbilly Elegy

ちょうどこの本を読んでた時期は、アメリカ大統領選があのような結果になるとは想像してなかった頃で、そもそも本書を読もうと思ったのも「著者の祖父母がアパラチア出身」という理由でした。何度か書いていますが、私はアパラチアを舞台にした小説に興味があるので、アパラチアという言葉に目を引かれるのである。

本書は小説ではなくて、メモワールです。

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Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis』J. D. Vance著、Harper

オハイオの貧困家庭で生まれ育ったけれども、その環境から脱出してロースクールに通い、今ではカリフォルニアで働いている J. D. ヴァンスが自分の生い立ちを記した本です。ヴァンスの育った家庭環境は、アメリカ白人貧困層あるあるエピソードに満ちている。

さて、本書の内容については、渡辺由佳里さんのブログに詳しいのでそちらをお読みください。

必ずしもトランプに票を入れた大半が白人の最貧困層という単純な図式でもなかったにせよ、いずれにしても今回のアメリカ大統領選は「白人貧困層」が注目されるきっかけとなったし、日本のメディアでも「ヒルビリー」という言葉を目にしたりもしました。

田舎者を指す蔑称のひとつである「ヒルビリー」を、白人貧困層の代名詞のように扱う日本のメディアもありますが、厳密にはちょっと違う。白人の労働者層や貧困層を指す蔑称には、レッドネック、ホワイトトラッシュ、といろいろあるのですが、ヒルビリーはその昔、アイルランドから移民として米国にやってきてアパラチア地域に定住したスコットアイリッシュの人を指します(したがって、例えばテキサスの田舎の白人はヒルビリーとは呼ばない)。

本書について「アメリカの話でしょ」と他人事としてとらえるのは簡単なのですが、読んでいて、これは日本にもとても通じる話なのでは…?と思う箇所が多々ありました。マジョリティの立場にある貧困層が抱える問題というのは、国は違っていても共通点があるんじゃないかな。だから日本の読者にもおすすめ。

考えさせられる点がいろいろあるのですが、そのひとつが対等な目線での教育やカウンセリングの重要性です。

「マウンテンデュー・マウス」のテレビ番組について著者が触れている箇所があるんですよ。これはABCのダイアン・ソイヤーがアパラチアの子どもたちの惨状について取り上げたドキュメンタリー(2009年)で、マウンテンデュー・マウスというのは、マウンテンデューやコーラを与えすぎて歯がぼろぼろに溶けちゃた乳幼児の口を指す。赤ん坊のミルクよりもマウンテンデューのほうが安いから、哺乳瓶に入れてあげちゃったりするんだよね。そしてミルク代は別のものに消える。

ソイヤーのドキュメンタリー(「Children of the Mountains」)は私も見て暗澹となりましたが、J. D. ヴァンスいわく、ヒルビリーの人たちもこの番組を見てる。で、大きなお世話だよっていう気分になっちゃってる。

本書では、ヒルビリーの人たちに「ミシェル・オバマが嫌われるのは、子供にまっとうな食事をさせてないと言うから。彼女の主張は正論だから」というくだりがあり、マウンテンデューを哺乳瓶で与えちゃう自分たちがダメな親だってことは、他人から言われなくても重々承知なんだよね。でもまっとうな暮らしをしているよその人たちから指摘されると、まるで非難されているような気持ちになって、すっかり嫌になってしまうというのは、私にもよくわかる。正論は、時として上から目線で言われているように受け取られることがあるというのは、アウトリーチの際にとても注意したいところ。

もうひとつ考え込んでしまったのは、アメリカにおける軍隊のこと。

日本で安保法案が話題になった頃に見かけるようになった「経済的徴兵制」という造語があって、私はこの単語は、貧困の解決にも結びつかなければ、兵役が抱える問題の指摘にもならず、ただのレッテル貼りの詭弁でしかないので大っ嫌いなので使用しませんが、貧困家庭の出身者が軍隊に志願するというのはアメリカでは実際あります。志願の理由はさまざまです。

私の知人の場合は、大学の学費が途中で払えなくなった、高等教育を受けたい、将来役立つ技術が身につけられる、除隊後に安定した生活が送れる、といった現実的な理由に加えて、「国に貢献できる」という大義名分(これも重要ポイント)を誇りに軍隊に入った人がほとんど。

J. D. ヴァンスも高校卒業後、海兵隊に入隊していて、その経験が人生を変えたと語っています。それは精神面(それこそ努力すること、全力で取り組むことを学んだりとか)だけでなく、普通の生活に必要な基礎知識(銀行口座を開いて、お給料はそこに入れる、といった基本的なこと)もすべて軍隊で教わっている。それは、そうしたことを教えてくれる人が周りにひとりもいなかったからです。

私は軍隊自体を完全に肯定はしないのですが、知人たちを見ると、入隊したおかげで教育を受けられたり、手に職をつけられたり、除隊後も安定した収入を得られたりしているので、ちょっと複雑な心境になります。J. D. ヴァンスも入隊が人生の大きな転機になっている。

もちろん、イラクで戦死することもなく、帰還後にPTSDを発症して家庭が崩壊することもなかった彼らはあくまでラッキーな例であって、まるで使い捨ての駒のような人生を送る人たちもごまんと存在するし、アブグレイブの事件に関与した女性兵士のひとりはアパラチア地域のトレイラーパーク育ちだったと記憶しています。 でもね、軍隊の代わりに底辺の彼ら・彼女らをサポートする機関って他にあるのかなと考えると、やっぱり私は「経済的徴兵制」なんて軽い言葉で批判することはできないですよ。


久々のアパラチアネタでものすごく長くなっちゃったので、本日はこの辺で終わり。

追記:
こんな記事も見つけたから参考までに。


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# by rivarisaia | 2016-12-05 21:10 | | Trackback | Comments(2)

先日、ジェンダー・フルイッドの子どもに関する小説を紹介しました。今回は、トランスジェンダーの子どもに関するノンフィクションです。

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Becoming Nicole: The Transformation of an American Family』Amy Ellis Nutt著、Random House

メインズ夫妻は、ジョナスとワイアットという一卵性双生児の男子を養子にした。双子が歩き始めるくらいの年齢になったとき、ふたりの性格がまったく違うことが明らかになってくる。ジョナスが好きなのはスターウォーズやパワーレンジャー、男の子向けのおもちゃ、それに対してワイアットが大好きなのはバービーやディズニーのお姫様なのだ。やがて3歳になると、ワイアットは、どうして自分にはおちんちんがあるのかと訴えて泣いてしまったりするようになる。

父親のウェインは典型的なアメリカの白人男性で、共和党の保守的な考えの持ち主であり、息子が大きくなったら一緒にキャッチボールをしたり、狩りに行ったりしたいと考えていたし、最初はワイアットの「女の子のような面」は見ないふりをしていた。近所の目も気にしていたし、息子が女の子の格好をするのを快く思ってなかった。

いっぽうで、母親のケリーは、ワイアットは別に変じゃないし、病気でもなく、ただちょっと「違っている」だけ、という考えで、みんなと同じ「普通の」家族を求めていた夫ウェインに対しても普通の家庭なんてものはないと言い、ワイアットを理解しようと積極的に行動する。

このように初めは正反対の考え方だった両親だけど、どちらも子どもを愛していて、やがては父親もワイアットは「男の子の身体に生まれた女の子だ」という事実を受け入れられるようになる。そしてワイアットは性転換の治療を受けて、名前をニコールに変えるのだ。

家族からも、友だちや先生からも受け入れられていたニコールだったが、5年生になった時に事件は起きた。

「孫の通う学校に、男のくせに女だといって女子トイレを使っている生徒がいる」

そう聞いたある男性が、それは由々しきことであり、絶対に許せないと考えたのだ。

彼は孫をそそのかし、ニコールと同学年だったその少年は、ニコールに対して執拗な嫌がらせを始めるようになる。それだけではなかった。キリスト教右派のその男性は学校に激しく抗議し、保守的な宗教団体のサポートを得て圧力をかけるようになったのだ。

最終的に学校は男性側に屈し、ニコールは転校を余儀なくされてしまう。

この件は後に裁判になり、2014年、メイン州の最高裁はニコールと家族の訴えを認め、学校がトランスジェンダーの生徒に対して女子トイレを使用させなかったことは権利の侵害であるとした。2014年って、かなり最近の話だ。

これまで私はトランスジェンダーの人のトイレの問題について、別に大したことじゃないのではと考えていたところがあった。しかし、たかがトイレでは済まないことなのかもしれないと真面目に考えるようになったのは本書を読んでから。またトランスジェンダーである本人やその家族が直面する問題について考えるきっかけとなる本として、本書はわかりやすくてとてもよい1冊だと思う。

ニコールの両親はすばらしい人たちだし、双子の兄弟であるジョナスのことも誇りに思う。特にジョナスにはニコールに注目が集まってしまうがゆえの苦労というのがたくさんあったはず。

また、偏見というのは後から形成されるのではないかと感じたのが、「メインさんちの”男の子たち”についてどう思う?」と聞かれたある子どもの答え。

「ママ、メインさんちの “子ども” についてでしょ? あれは男の子と女の子だよ。ワイアットはたまたまおちんちんがついてるだけで、女の子だよ」

偏見は大人が生み出していることも多いのではないかと思うと、私たち大人の責任は重大だよね。




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# by rivarisaia | 2016-11-28 20:21 | | Trackback | Comments(2)

ジェンダーは男性・女性の二択と考えられがちだけれど、実際にはそうではなくて多様な性別が存在する。男女の間を揺れ動く、「Gender Fluid:ジェンダー・フルイッド」のティーンが主人公の物語。

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Symptoms of Being Human』Jeff Garvin著、HarperCollins

主人公のRileyは、自分のことをある時は男の子、またある時は女の子、はたまた別の時にはその中間と認識していて、幼い頃から自分のアイデンティティについて悩んでいたけれども、15歳の時「Gender Fluid (性別が流動的な状態にある人)」という言葉に出会い、まさに自分はこれだと認識する。

これまで通っていた私立の学校でイジメに遭っていたRileyは、公立の学校に転校するにあたり、「少年っぽい女の子」にもみえるし、「女っぽい男の子」にもみえる「ニュートラル」なスタイルでいくことを選択した(私立の学校では不本意な制服を着せられていた)。

自分の性別について他人にあれこれ詮索されたくないし、父親が議員だということもバレないように気をつけて、とにかく目立たずに周囲に溶け込もうとするRileyなのだが、「あれは男? 女?」と初日からさっそく注目をあびてしまう。

この本がよくできてると感心したのが、読者には最後まで、Rileyの生物学的な性別が明かされないところ。周囲から「男か、女か」と好奇の目で見られる主人公は、「どっちだっていいじゃん。知ってどうするの?」と思っているし、読者である私も「そうだ、そうだ」と共感するのに、それなのに。

読み始めた頃に、私の頭の片隅に「そうはいっても主人公の生物学的な性別ってどっちなのかな」という「好奇心」がよぎってしまったのだった。話の本筋とも関係ないのに。どうしてそれが気になったのか、ちょっと考え込んでしまった。

Rileyは自分が「Gender Fluid」だということを両親にも秘密にしていて、それを知っているのは精神カウンセラーの医師だけ。その医師の勧めもあって、自分の気持ちを正直に告白する場として、Rileyはブログを始める。中傷コメントもつくものの、ブログは共感を呼び、またたくまにフォロワーが増えて支持されるんだけど、それが別の問題を起こすことに…。

「人は見た目でジャッジしがちである」というテーマのほかに、インターネットでの発言に人はどこまで責任が持てるのかという問題や、ネットの炎上や嫌がらせ、そして性的暴行やアウティングといった重いテーマを幅広く扱っていて、いろいろてんこ盛りなので読んでいて辛くなってしまう部分もあるんだけど、Rileyの学校の友人SoloやBec、LGBTQのサポートグループのメンバーたちなど、脇役が魅力的なのがとても大きな救いとなっています。現実世界ではなかなかそうはいかないのかもしれない。でもサポートしてくれる人たちは必ず存在する。巻末には困った時に相談できる各種団体のリストも掲載されています。

著者が本書を書こうと考えたのは、友人と車に乗っている時、トランスジェンダーの少女が、女子のロッカールームを使用する権利を求めて学区を訴えたという話になったのがきっかけだったとのこと。これはもしかするとニコール・メインズの話かな? 次はニコール・メインズの本を紹介しますねー。



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# by rivarisaia | 2016-11-25 23:49 | | Trackback | Comments(4)

アメリカ大統領選の結果を見て、頭も痛いし胃も痛い……と思っていたら、どうやらそれはウイルス性の胃腸炎だったらしく、先週はゾンビのようになってました。ようやく人間に戻ってきたので、さっさと今年の東京国際映画祭のまとめ。

まず、今年は前代未聞のチケット問題がありました。こんなの今までちょっと経験したことない。仮にもこ「国際」映画祭なのに、ありえないくらいの大失態だったと思います。これまで映画祭のチケットは、外部の販売会社(ぴあやチケぼ)が発売していたのですが、今年から公式サイト経由で購入する形になり、販売初日は毎回アクセス集中でつながらなくなるのが常なので、大丈夫なのかなという不安はありました。全然大丈夫じゃなかった。

つながらないどころか、なんとかつながっても購入の途中で落ちるし、どのチケットが購入成功したのかさっぱりわからないし、挙句には決済だけされて席取れてなかったりするし。さらによくなかったのは、公式からのアナウンスが遅くて後手後手なところ。

決済だけされて席が取れていなかった人のための先行販売も行われたのですが、これまた発売日にはサイトがすっごく重くてなかなかつながらず、複数の友人と状況をやりとりした結果「チケットを購入するページへの入り口がとても狭い」のではないか、という結論に至りました。というのも、なんかの拍子に一度つながるとサクサク買えてたから。さらに本来はひとり4枚までだったのに、枚数エラーが出た人は、規定枚数以上買えていた。

販売初日の騒動の際に、問い合わせたら「サーバーは落ちてない」「買えてる人もいる」と言われたという話も見かけましたが、たぶんサーバーは落ちてなくて、サーバーにつながる道があまりに細すぎたのではなかろうか。

……なんか……システムとしてどうなの……。こんなの、海外の人とか買えないじゃん、チケット。

今年の状況をよくよく省みて検証し、来年はこのようなことのないようにしてください。(追記:公式サイトにお詫びと報告が出ていました。来年、ほんとがんばって)

長々と文句を書いたけれど、不満があるのは主に運営に対してであって、映画祭自体は毎年本当に楽しみにしています。コンペやワールドフォーカス、アジアの風などで上映される映画は年々よい作品が増えているように感じるし、それはプログラミング・ディレクターである矢田部さんや石坂さんが(おそらく少ない予算で)築いてきた成果だと思う。今年上映されて好評だった作品が、ひとつでも多く一般公開されますように!

そして来年も、どんな「動物枠」映画が来るのか、ひそかに楽しみにしていますよ!


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# by rivarisaia | 2016-11-23 00:16 | 映画や本の雑記 | Trackback | Comments(0)

今年のTIFFで観た最後の1本はチェコ(というかスロバキア)の映画でした。

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ザ・ティーチャー(Učitelka)』監督:ヤン・フジェベイク

1980年代、チェコスロバキア。ひとりの優しそうな女教師が、悪気のないまま自分の立場を濫用し、生徒とその家族を翻弄していくという物語。脚本家が子どもの頃に実際に経験した話がベースになっています。

私が今日からみなさんの担任です。ではまず、自己紹介をしてもらいましょう。
みなさんの名前と、ご両親の職業を教えてね。


新しく学校にやってきた女の先生は、生徒ひとりひとりの親の職業を聞く。先生の亡くなったご主人は共産党の偉い人だったみたいで、先生の妹はモスクワに住んでいるみたい。先生は、生徒の親が職人だったら修理を頼み、美容師だったらパーマを頼む。誰も先生の頼みは断れない。先生は「お金を払うわね」って言うけれども、みんなから「いえいえ、先生、いいんですよ」って返されるので、こんなことも言ったりする。「次のテストの時は、お子さんは○ページ目をよく勉強しておくようにね!」

ある女子生徒のお父さんは、空港に勤めていた。先生はモスクワにいる妹にお菓子を贈りたかった。そういうのは禁止されていたので、生徒のお父さんに「誰かスチュワーデスとかパイロットの人に頼んでお菓子を運んでくれないかしら?」って聞いてみた。頼まれたお父さんは、空港に勤めているとはいっても事務方で、スチュワーデスやパイロットの知り合いもいないし、そんなことがバレたらまずいから無理ですって断った。そうしたら何が起こったと思う? その女子生徒の成績はどんどん下がっていって、イジメが起こり、ついにある日、事件が……

先生の行為は明らかに問題だとする一部の親と、問題のある教師をこの機会に辞めさせたいと考える学校側を中心に、ついには緊急保護者会が開かれることになるのですが、大半の親は、女教師の辞任を求める書類に署名するのをためらうのだった。

上映後の監督の話では、80年代は共産主義の支配がゆるくなってきた時代であり、自由でないことに人々が慣れてしまっていて、自分の意見をはっきり述べることを躊躇してしまう社会だったとのこと。この映画で描かれていることは、共産主義社会ではいかにも起こりそうなんだけれど、同時にこの女性教師に似た人は、いつの世もどこの世界にも存在するんじゃないかと思う。

周りの人が断れない立場にあることをいいことに、無理をお願いしておいて、相手の負担など想像もできず、しかも本人に悪気ゼロ、みたいな人、いるよねー!?

映画の最中、うっわーやばい、この教師!とドン引きでしたが、断れない人々の気持ちもわかるので(だって子どもが人質状態だよ)ツラいったらない。

しかし、最終的にはみんなハッピーエンドな形に収まる(女教師でさえも)というのが、とてもよいです。

あと本作は「壁紙映画」としても秀逸。80年代のチェコスロバキアのインテリアや壁紙デザインは必見です。どこか安っぽいんだけど、とてもかわいい。


予告



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# by rivarisaia | 2016-11-14 22:28 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)

東京国際映画祭で上映される、動物がテーマあるいは重要な役割を果たしている作品を、私のまわりでは密かに「今年の動物枠」と呼んでいるのですが、おそらく今年の動物枠メインは『サファリ』(私は未見)、そしてこちらのフィリピン映画も動物枠の1本です。

どんな話なのか見当もつかずに観たので、謎が謎を呼ぶ展開にたいそうどきどき(というかびくびく)してしまった。

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バードショット(Birdshot)』監督:ミカイル・レッド

フィリピン。田舎の山奥で、乗客を乗せたまま行方不明になっていたバスが見つかる。新米警官ドミンゴと、型破りな上官メンドーサが捜査を開始するが、はたして乗客がどこへ消えてしまったのか、皆目わからない。唯一見つかった手がかりは、赤いシャツの切れ端だけだった。

農場の娘マヤは父親とふたりで森林保護区のそばで暮らしていた。ある日、マヤは保護区の中へ入り込み、絶滅危惧種のフィリピンワシを撃ち殺してしまう。父親はこのことは誰にも言ってはいけないと固く口止めし、ワシを食べたあとの残骸や銃を埋めて隠してしまう。

バス失踪事件解決の糸口はつかめないまま、ドミンゴとメンドーサは担当を外され、新たに絶滅危惧種のフィリピンワシを殺した犯人探しを命じられるのだった。

「土地の件で何か不正が行われており、それを訴えるために出かけていった家族の行方がわからない」と白黒写真を持って警察署にやってきた女性がいた。彼女から写真を受け取ったドミンゴは、担当を外されてもバス事件の捜査を続行しようと試みるが、署長から叱責され、さらには正体不明の人物から恐喝を受ける。

正義感に満ちていたはずのドミンゴが、自分の家族に危険が及ぶことを恐れ、バス事件の解決を断念するあたりから人が変わったようになってしまうのが恐ろしい。バス事件に向けるはずだった義憤はにっちもさっちもいかない状況でフラストレーションに変わり、フィリピンワシ殺しの容疑者であるマヤの父親へと向かい、間違った形で暴発する。

大自然に囲まれて自由に生きるマヤと、警察というしがらみにとらわれて生きているドミンゴの対比が切なく悲しい。

純粋な精神の持ち主であるマヤも、また本当は純粋だったはずのドミンゴも、超自然的な何かを感じ取る力を持っているんだけれども、道を踏み外してしまったドミンゴにはもはや失踪事件の謎を解くことは永遠にできない、と上映終了後のQ&Aで監督は語っていた。だから、無垢な世界に踏みとどまることのできたマヤだけが、行方知れずとなった人々の居場所を知ることができるのだった。




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# by rivarisaia | 2016-11-13 23:34 | 映画/香港・アジア | Trackback | Comments(0)