今年はアゲハようちえんが開園できていないと書きましたが、9月に入ってようやく開園しています。細々と。

アゲハの幼虫が見当たらない理由はいくつか仮説が立てられるけれども(気候、餌となる樹の調子がよくない、外敵がいる疑惑などなど)、自然のことなので実際のところはわからない。ただ9月に入ってから、植木鉢に幼虫を見かけるようになりました。

数週間前には、庭を飛んでいたクロアゲハが植木鉢のナツミカンに産卵した瞬間を目撃。間違いなく私はクロアゲハのタマゴを手にいれた! 2011年に一度飼育したっきりの、念願のクロアゲハ! ということで、さっそくタマゴを採取。

その後、無事孵化して成長してますが、わりと挙動不審なので、ちゃんと成長してくれるのかしら…と不安なクロアゲハ・ガチャピン状態がこちらです。
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頭がやたら大きくない? ナツミカンのほかにサンショウの葉も与えてみたら、バリバリ食べてました。どちらかというと、サンショウのほうが好きみたい。ちなみに、本日ガチャピンになりたてほやほやのナミアゲハと並べた状態がこれ。

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個体差があって、このナミアゲハはむしろ小さすぎるんですけど、それにしても何この大きさの違い。

ところで先日の朝、植木鉢にナミアゲハが数匹いたのを確認していた私は、その日の夕方ようちえんに保護しようかな?と、植木鉢を見たところ、
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1匹もいないんだけど、え、ちょっと待って。

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え、もしかして、食べた? ねえ、まさかあなた全員、食べました?

自然界、恐ろしいわ…。油断も隙もないわね。開園できてなかった原因のひとつはこれかもしれない。



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# by rivarisaia | 2016-09-26 20:59 | 生きもの | Trackback | Comments(0)

His Bloody Project

ブッカー賞ショートリストに残った作品の中で一番気になって、さっそく読んだ本。賞を取るかどうかはさておき、この本をショートリストに残してくれてありがとう! これは面白かった。

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His Bloody Project』Graeme Macrae Burnet著、Contraband刊

1869年、スコットランド北東の海沿いにある小さな村カルダイーにて、三人の村人が惨殺されるという事件が起きた。犯人は17歳のRoderick Macrae。彼が有罪なのは疑う余地もないが、なぜ犯行に及んだのか。被害者とはどのような関係だったのか。そして、そもそも彼は正気だったのか。

ノンフィクションの体裁をとったフィクション。”著者”がたまたま手に入れた「犯罪者の手記」を中心に、村人の証言、検死報告書、犯罪学者の記録、裁判記録などで構成されてます。複数の視点で語られる、歴史小説+クライムノベル。しかし、真相は藪の中。

今こうして感想を書こうとしてみたら、作中の小さな謎のほとんどに作者が答えを提示してないことに気づきました。ああ、だから何度も反芻してしまうのねー! どんでん返しも、あっと驚く展開も別にないんですけど、妙に後を引く話なんですよ……。

19世紀スコットランド寒村の小作農の厳しい生活は、ちょうど同じ頃にあたる明治初期の日本の貧しい農村の生活と共通するところがある印象も受けました。日本の状況と比較して読んでも面白いかも。

本書の語り手のひとりでもある犯罪学者(この人は実在の人物)の上から目線の物言いも、笑ってしまうくらい鼻につくけど、これは「インテリ層から見た貧しい農民」の姿であり、堕落した貧困階級から生まれる犯罪者という彼の自説は現代でもよく聞く話だったりします。

私には理解できていない部分がたくさんありそうなんだけど、当時の小作農が置かれた状況や、階級制度、宗教観に詳しい人が読んだなら、もっと気づくことがあるはず。長老派の教会が精神的支えとしてまったく機能してないことが描かれるんですけど、意図があるのかな。あ、それから、英文(言い回し&単語)も19世紀のスコットランドの人たちの言葉になっているのでやや難解です(一応、用語ページも付いてる)。

さて、邦訳が出るかどうかわからないから以下、少々内容にふれます。

Roderickことロディが殺害したのは、長年彼や彼の父親に嫌がらせをしてきた constable(治安官)のLachlan Mackenzieと、その娘と息子だった。

土地の収益管理人からみれば、Lachlanは汚れ仕事を引き受け、人々に規律を守らせ、治安官として信頼のおける人物なのだが、ロディの手記を信じるなら、および近所の人の証言によれば、Lachlanは本当に意地悪で嫌なやつで、ロディが殺害にいたる動機も理解できる。でも娘と息子は?

ロディが言うには、たまたまその場に居あわせたからやむを得ず殺したということなんだけれども、幼い息子のほうはさておき、十代の娘のほうはどうだろう。裁判でも指摘されたように、検死報告の状況からすると「やむを得ず殺した」感じではないんだよね。この点に関しては真実が明らかにならず、読者に考えが委ねられるけど、どうも薄気味悪い。

そう、本書では、曖昧にしか描かれていない「女性にまつわるさまざまな事柄(特に性的なこと)」から、なんともいえない薄気味悪さが漂ってくるんですよ。たとえば、事件の一年ほど前に、出産がもとで死んでしまったロディの母親。予期せぬ妊娠だったというのは、Lachlanと関係があったのでは?とうがった見方をしてしまう。

そしてぼろ雑巾みたいな扱いを受けている(と私は感じた)ロディの姉。家族からも、Lachlanからも性的虐待を受けていた。でも彼女に関する真実も最後までうやむやなままだったりする。近隣の家の娘に対するロディの不審な行動も、もっと問いただすべきことだったのではないか。

ロディは頭のいい子どもで、きっと彼はあえて手記に書き残していないことがある。彼が書いていないことを読むために、もう1回読み返してみます。



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# by rivarisaia | 2016-09-16 23:59 | | Trackback | Comments(2)
長らく改装中だった写美こと東京都写真美術館が、TOPという愛称になって戻ってきたよ。リニューアル・オープン/総合開館20周年記念の展示がこちらです。

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「杉本博司ロスト・ヒューマン」
会場:東京都写真美術館
会期:2016年9月3日(土)~11月13日(日)

賛否両論で評価がぱっくり割れていたのですが、私は大変おもしろく鑑賞しました。2階と3階の2フロアを使っていて、3階のフロア全体が<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない>という、さまざまなモノを中心に杉本博司の編集力が発揮されたインスタレーション、2階は写真<廃墟劇場>シリーズと<仏の海>シリーズのインスタレーションとなっています。

3階から観ることになるのですが、錆び付いたトタンがはりめぐらされていて、理想主義者、比較宗教学者、養蜂家など33人にまつわる遺物が、「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」ではじまる文章とともに展示されてます。

たまたま人が少なかったこともあり、なんだか大昔に滅んでしまった世界を散策しているような気分に。突然、オウムの剥製がしゃべったり、ロブスターが踊りだしたりするんですけど、この異様な雰囲気が好みの分かれるところなのかな?とふと思ったりしました。あと「今日 世界は死んだ」ではじまる手書きのテキスト(の内容)が、個人的にはあまり好みではなかった。

しかしそれにしても杉本博司のモノの組み合わせ方がときに愉快で、そもそもなんでそんなものを持ってるんだ、とひとしきり感心。

たとえば隕石蒐集家のコーナーでは、隕石コレクションが並ぶケースの横に、ぽかんと口をあけて空を見上げる15世紀の石頭彫刻が配置され、その後ろに「落石注意」の看板があったりする。

比較宗教学者のコーナーの壁には、いい感じに古びた歴代ローマ教皇のポスターが貼ってあるんだけど、よく見るとフランシスコ教皇がちゃっかり印刷されてるし、ポスター脇には「バチカン販売中」って手書きの札がついていた。さも昔のポスターとみせかけておいて、これは…わざわざエイジングしたってこと……!

3階が騒々しい廃墟だとすると、2階は、文明がすっかり朽ち果てて、時空を超えて別の次元に吸い込まれていくような静謐な空間になっていた。そこにあるのは劇場や仏像の写真なのに、まるで宇宙空間にいるような不思議な感じ。

11月13日まで開催しているので、機会があったらぜひどうぞ。

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# by rivarisaia | 2016-09-14 00:27 | 展覧会ほか | Trackback | Comments(2)

宇宙と芸術展

用事があって六本木に行ったついでにふらりと寄ってきました。終わる前に行こう!とあせっていたのだが、よくよく会期をみれば来年の1月までやっている(というわけで、冬休みに観に行くこともできますよ)。

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『宇宙と芸術展 かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ』
会場:森美術館
会期:2016年7月30日(土)ー2017年1月9日(月・祝)

「人は宇宙をどう見てきたか?」「宇宙という時空間」「新しい生命観―宇宙人はいるのか?」「宇宙旅行と人間の未来」という4つのセクションで構成されており、チベットの曼荼羅、隕石からつくられた日本刀、竹取物語絵巻やルネサンス期の書物から、現代美術のインスタレーション、50年代のSF雑誌コレクション、宇宙開発の最前線にいたるまで、「宇宙」をキーワードにした古今東西の芸術・科学などさまざまなジャンルの品々が展示され、人類が宇宙をどのようにとらえてきたのか、過去から現代、未来において宇宙の見え方はどのように変わってきたのか(または変わっていないのか)といったことを、考えさせられるような展覧会です。

ただ、私、この日、あまりにぼんやりしてまして、それぞれの展示物をリンクさせて全体像を俯瞰しながら宇宙について考えたりということはせず、バラバラと個々の作品に見入ってしまっていたりしました。

鉄の隕石からつくられた伝説の刀「流星刀」(刀の表面が宇宙の星のようにきらめいていて不思議)、昔の天体望遠鏡(に使われていた立派なマイナスねじ!)、ヴァンサン・フルニエのどこか寂しい気持ちになってしまう写真のシリーズ、ロシア人科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーによる一連のスケッチ(まさしく帳面派)、「うつろ舟」(数種類の絵を比較できる!)などが印象的だったのですが、なかでも一番気に入ったのが、

コンラッド・ショウクロスの『タイムピース』という巨大なインスタレーション。

これとてもよかった。いつまでもじーっと見ていられる。写真撮影も可能な作品だったのですが、私が撮った写真では全然良さが伝わらないので、今回は載せません。チャンスがあったらぜひ実物をごらんください。

あとですね、ジョセフ・コーネルの箱が1点展示されていたのも、私としては大変によかった! コーネルの箱の裏側や側面をじっくり鑑賞できるのですが、箱の裏もまったく気をぬいてないコーネル。さすがだ……。箱派の師匠、私も見習いたい。

最後のセクションでは、チームラボのインタラクティブなインスタレーションもありまして、軽く擬似宇宙遊泳の感覚を味わえます。部屋の真ん中あたりの床に座って鑑賞するのがおすすめですが、私、出だしでけっこう目がぐるぐる回って酔いました…。立ってたらひっくりかえったかもしれんね。こんなことでは宇宙になんて行けない。

そして展覧会見終わったあと、物販コーナーで思わず「ウチュウガチャ」をひいてしまった私である。ウチュウガチャは打ち上げられたロケットの部品「フェアリング」のかけらが入っているガチャで、フェアリングは要するに説明を読むとロケットの梱包材のような部品なのだった。写真にうつっている銀色の四角い物体がそれだ。JAXAの証明書付きで、500円です。


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# by rivarisaia | 2016-09-04 23:22 | 展覧会ほか | Trackback | Comments(0)
ここ数ヶ月で読んだ本の中で、到底自分に理解できたとは思えないんだけれども、非常に興味深く、これだけ多岐にわたる内容を1冊にまとめあげた著者に感服するし、折に触れて何度か読み返したいのがこちらです。哲学の思想と哲学者の伝記と近代史が合体したような本。

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At the Existentialist Café: Freedom, Being, and Apricot Cocktails with: Jean-Paul Sartre, Simone de Beauvoir, Albert Camus, Martin Heidegger, Edmund Husserl, Karl Jaspers, Maurice Merleau-Ponty and others』Sarah Bakewell著、Chatto & Windus

タイトル、おそろしく長いですね。『実存主義者のカフェにて:自由と存在とアプリコットカクテルを、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アルベール・カミュ、マルティン・ハイデッガー、エトムント・フッサール、カール・ヤスパース、モーリス・メルロー=ポンティらとともに』というのが直訳。

1933年、パリ。モンパルナスのカフェで、3人の若者がアプリコットカクテルを前に集っていた。その3人とは、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、レイモン・アロンである。この時に生まれた新しい思想は、やがてパリから世界中に広がり、第二次世界大戦のレジスタンスを経て、戦後の解放運動、学生運動や公民権運動へとつながっていく。

こうした歴史的背景をふまえつつ、本書はサルトルとボーヴォワールを中心に、ふたりをとりまくおびただしい知識人たちの思想と人生を描き出していきます。

どのような人物から、なぜそういう思想が生まれたのか、時代によってその人の考え方がどう変わっていったのかをざっくりと把握でき、ヨーロッパの実存主義の系譜を俯瞰するのにとてもよい入門書です。

なにより、思想部分は難解だとしても、人物のエピソードがどれも面白い。かなりたくさんの人々が出てくるので覚えきれないんですが、とりわけ印象に残っているのがベルギー人の哲学者ファン・ブレダの話。フランシスコ会の司祭でもあったファン・ブレダは、45000ページものフッサールの原稿をナチスの検閲をかいくぐって安全な場所に持ちだすのですが、それが今もルーヴァン大学に残るフッサール文庫なのだった。短いエピソードながら、手に汗にぎる! 映画化してもいいくらい。

同じくフッサールにまつわる人物で、エーディト・シュタインと姉のローサも哀しくて心に残る。ユダヤ人だけれどカトリックに改宗し、カルメル会の修道女で哲学者だったエーディト・シュタインは、同じくカトリックに改宗していたローサとともにアウシュビッツで亡くなっています(エーディト・シュタインはのちに列聖されている)。いっぽうでハイデッガーときたら!

カール・ヤスパースのかっこよさも記しておこう。妻がユダヤ人なので大学を追われたヤスパースは、妻の引き渡しを自宅に立てこもって断固拒否。いよいよふたりとも収容所送りに……というタイミングで連合軍に救われるのだった(なのにハイデッガーときたらさー)

本書のおかげで、エーディト・シュタインやヤスパースの著作も読んでみようかなという気になっていて、あ、その前にボーヴォワール著作集も読まなくちゃ!



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# by rivarisaia | 2016-08-31 23:20 | | Trackback | Comments(0)
とても観たかったので、一般公開されることになって本当によかった! 『ブレンダンとケルズの秘密』の監督による新作アニメーションです。

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ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』監督:トム・ムーア

アイルランドの神話をもとにしたお話。前作同様、本作もまた、ラインと模様が色鮮やかな画面の中を流れるように動きまわって、それはそれは美しく、そして透き通るような歌声が心に沁みるという、すてきな作品なのだった。

海辺の灯台の家で、父と妹シアーシャ、愛犬クーと暮らしている少年ベン。
幼い頃、たくさんの物語を聞かせてくれて、いにしえの歌を歌ってくれたベンのお母さんは、シアーシャを産んだ日に、海に消えてしまう。お母さんがいなくなったのは妹のせいだと思っているベンは、どうしてもシアーシャにやさしくすることができないのだった。
ところが、シアーシャの6歳の誕生日に思いもよらない出来事が起こり、ベンは妹を救うために、不思議な冒険に出ることに……
小さなアザラシのようなシアーシャがたいそうかわいらしいのですが、そんな妹に意地悪ばかりしていたお兄ちゃんが奮起する、「お兄ちゃん映画」としても秀逸で、途中からお兄ちゃんの勇気に涙出ちゃうことうけあい。

海ではアザラシ、陸では人間の女性の姿をしている妖精セルキー、フクロウの魔女、悲しみのあまり石になってしまった伝説の巨人、愛らしいおじいちゃん妖精ディーナシーに、長い長い髪の毛をもつ語り部の老人。

アイルランドの神話や伝説のモチーフがぎっしりつまっていて、それは遠い昔の物語ではなく、現在にも脈々と受け継がれている物語なのでした。同時に、大事な人を失ってしまった悲しみを乗り越えて、石のように固まってしまった心をゆっくりと癒していくような、そんな話でもあります。

「アザラシ妻」の物語は以前どこかで読んだ記憶があるんだけれども、アイルランドの神話や伝説を知っていれば、さらに面白い発見もありそう。そのうちきちんとアイルランドの伝説を読んでみよう。


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# by rivarisaia | 2016-08-29 19:45 | 映画/洋画 | Trackback(1) | Comments(6)

春巻まややによる電子雑記帳


by rivarisaia/春巻まやや