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副王家の一族

先日、イタリア語のレッスンでこの映画の話になり(正確には原作の話になった)、フェデリコ・デ・ロベルトの原作を読みたいのだが、イタリア語で読むのは私には難易度が高い気がするので邦訳出てないのかなー。

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副王家の一族(I Viceré)』監督:ロベルト・ファエンツァ

まずおさらい。

舞台は19世紀半ばのシチリア。当時のシチリア王国はスペイン・ブルボン家(イタリア語だとボルボーネ)が治めていた。ガリバルディのシチリア遠征が1860年、イタリアの大部分が統合されてイタリア王国が成立するのが1861年。

副王というのは、王に変わって属州を統治する人のことで、イタリア語で「viceré」。レにアクセントがあるのでヴィチェレ(↑)となる。


本作は、そんなイタリア統一前後という激動の時代の、シチリアの副王の末裔である名門貴族ウゼダ家の一族を、長男である主人公コンサルヴォの少年期から青年期の視点を中心に描いた話で、非常にイタリア貴族らしい生々しいエピソードが盛りだくさん。『山猫』とはまた違ったおもしろさがあります。

一族に君臨する公爵の父ジャコモは権謀術数に長けており、遺産を独占するために実弟を追いやり、実妹の結婚に対しては相手が平民の弁護士という理由で猛反対するのだが、時代が変わってその弁護士が政治権力をにぎると、逆に結婚を認めるという抜け目ない男である(しかし、その "恋愛” 結婚がのちに破綻気味になるのも皮肉なことである)。

さらに父ジャコモは、反抗的な息子コンサルヴォには容赦なく体罰を加え、それでも言うことを聞かないと修道院に入れる。コンサルヴォの妹テレーザは公爵家の次男と恋に落ちるが、これまた相手が次男だからという理由で父に反対され、デブの長男のほうと結婚させられる。

だあれも信じない父ジャコモが心のよりどころにするのは修道女の祈祷。だんだんこの祈祷にハマる様が常軌を逸していくのが怖い。

そんな暴君ジャコモの信念は「憎悪(l'odio)こそ生きる秘訣であり、憎悪が人間を鍛えるのだ」である。自分には愛情のかけらも見せなかった厳格な母親が、唯一教えてくれた真に役立つことこそ「憎悪」であった、と語るのである。ははあ、なるほど…。

いっぽう主人公である息子コンサルヴォは、修道院に入ろうが、所詮「おぼっちゃま根性」の持ち主で、父親を激しく憎んでおり、理想論は述べるものの問題の後始末は父親に頼るし、妹テレーザの結婚の件でも父を説得できないし、えらそうなこと言うわりにはてんでダメな男なのであった。

しかし、そんなコンサルヴォもやはりウゼダ家の長男。ある悲劇をきっかけに、「必要なのは権力だ! 権力がなければ人は無力である」と、父の爵位を継ぐ決心をし、さらには選挙に出馬して政治的権力を手にするのであった。

父のようにはなりたくないどころか、父を超えた策略家に!
父の憎悪教育は無駄じゃなかったね!(エッ!?)

「Destra, sinistra, oggi non significano più niente(右も左もいまや何の意味もない)」と叔父から助言を受けて、コンサルヴォ無敵。まあでも、実際問題おっしゃる通りですよねえ。コンサルヴォの選挙演説も調子いいというか、詭弁というか…。

この後の時代にファシズムが到来し、アンドレオッティやらベルルスコーニが登場することを考えると、ぜんぜん変わってないな、イタリア!という感じなのだった。とはいえ、日本も他国のことをとやかく言えないどころか、似た者同士ですね。
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Commented by fontanka at 2012-10-03 21:42 x
そういえば、この映画。チラシをみて→みたいと思いつつも。
きっと「重い」ってことでパスしてずーーーーっと忘れてました。

その意味で翻訳希望ですかしら。
Commented by rivarisaia at 2012-10-04 18:30
内容は重いですけど、観ている最中はそんなに重さを感じないので、大丈夫だと思います。貴族のお屋敷やドレスも観られますのでぜひどうぞ!

それと同時に翻訳も希望〜。
by rivarisaia | 2012-10-02 16:03 | 映画/洋画 | Comments(2)