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別離

何かを伝え忘れたり、隠し事したり、ひとつ嘘ついたり、些細なことが重なってどんどん悪い方向に転がり、にっちもさっちもいかなくなってしまう話といえば、前作の『彼女が消えた浜辺』もそうだったけど、それがさらにパワーアップしていて、重苦しくてまたしても感想書けないですよね、これ。

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別離(Jodaeiye Nader Az Simin)』監督:アスガー・ファルハディ

とてもよい映画なのだが、個人的には前作のほうが好き。だって今回は、巻き込まれた子どもたちが可哀想すぎて…。お父さんとお母さんたち、きちんと話し合ってくださいよー! 

出てくる大人がどいつもこいつもプライド高くて勝手で、自分の主張ばかりなので、「お茶でも飲んでどうか落ち着いてください」とティーポット抱えて仲裁に行きたい気分でいっぱいの2時間…という映画なのだった。

あらすじはシンプル。

11歳の娘と夫とともに外国に移住したい妻シミン、アルツハイマーの父を置いていけないという夫ナデル。意見の相違からふたりは離婚を申請し、別居することに。

娘とくらす夫ナデルは家政婦を雇うのだが、ある日、家に帰ってくると家政婦が勝手に外出しており、父がベッドから落ちてケガをしていた。しかも引き出しに入れてあった現金も無くなっていた。

怒り狂って家政婦を追い出したナデルだが、その晩、家政婦が流産した、という知らせが入る。


はたして

家政婦はナデルに押されたせいで流産したのか。
ナデルは家政婦の妊娠を知っていたのか。

知っててわざとやったらなら胎児に対する殺人罪が適用されるため、起訴されるかどうかの取り調べが行われる。中産階級のナデル夫妻と、下流に属する保守的な家政婦の夫妻は、この事件のせいでバラバラになっていくのだが、詳細についてはDVDも出てるのでどうぞご覧ください。ここからちょっと話がそれて少々内容にふれます。

本作では「コーランに誓うこと」が何度か登場する。たとえば家政婦の夫が「嘘を言ってるだろう! コーランに誓って真実だと言えるか!」と激高するのだが、相手が「コーランに誓って本当です」と答えると、ぐぬぬ…ならば仕方ない…といともあっさり引き下がるのである。あるいは、示談金を払うにあたり、ひとつコーランに誓ってほしいと言われた家政婦は、確証がないのでそれだけはできないと泣き、彼女の夫も無理強いすることができないのだった。

コーランに誓うことの重要性というのは、異国に住んでたときに私も何度か目にしたことがある。

ムスリムの友人たち同士が言った言わない、やったやらないで大喧嘩になったときの最終兵器のような台詞なのだった。あんなに怒って嘘つき呼ばわりしてたのに、「彼は嘘をついてないよ。コーランに誓ったから」とけっこうあっさり納得するのである。

逆に「コーランに誓うことはできないが、やってない! 信じてくれ!」という、それはやったと言っているようなものではないのか?と困ってしまうシチュエーションもあった。

そしていまの世の中でコーランに誓うというのはどのくらい有効なのかなあとふと疑問。映画では「あなたは信仰に対して敬虔なので、だからこそコーランに誓ってほしい」というようなことも言っていた。では、シミンやナデル夫妻だったらどうだろうか。あるいは敬虔じゃない人には、コーランに誓ってみたもののじつは嘘、ということが可能なのか。その場合、赦しを得るための告解のようなシステムはあるか。

気になって仕方がないとともに、いまや聖書にはここまで効力ないかもしれないな、などとも思うのだった。欧米の裁判とかみてるとそうだよね…。『フライド・グリーン・トマト』のようなことになってるならまだしも。
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Commented at 2013-01-21 20:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by rivarisaia at 2013-01-23 22:05
>鍵コメントさま

『彼女が消えた〜』はミステリ風味で、これまたおもしろいので機会があったらぜひ観てみて!

で、おそらく1だろうという感じで、私は1だと受け取ったんですが、2の可能性もなくはないです。

by rivarisaia | 2013-01-21 17:38 | 映画/洋画 | Comments(2)