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セデック・バレ 第一部 太陽旗

ユーロスペースでもアンコール上映するそうだし、これから上映される地域もあるので、ようやく感想を。おすすめなので未見の方はぜひ。詳しくは公式サイトをどうぞ。

日本統治下の台湾で起きた原住民※による抗日暴動「霧社事件」を描いた作品で、いろいろな点でよくつくったなあと感心しました。日本では、短縮されたインターナショナル版ではなく、第一部と第二部あわせて276分の完全版の公開。長いので腰が引けるかもしれませんが、長さはまったく気にならないです。2本でひとつの作品なのですが、迷ったすえに感想は2回にわけます。まず前編から。

※ 中国語で「先住民」という表記は「すでに滅んでしまった民族」という意味になるため、17世紀の福建人移住前から住んでいる台湾先住民族の正式な呼称は「台湾原住民」となる。これ、ほほう、と思いました。


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セデック・バレ 第一部 太陽旗(賽德克·巴萊)
監督:ウェイ・ダーション/魏徳聖

セデック族は、台湾中部の山岳地帯に住む原住民族で、首狩りの風習もある狩猟民族である。いくつかの集落にわかれており、その一集落を統べる頭目の息子モーナ・ルダオは、勇敢で名高い若者であった。

1895年に日清戦争で清が敗れ、台湾が日本の統治下に入ると、セデック族の暮らす山奥も日本の支配するところとなる。"野蛮な" 原住民族を文明化すべく日本の教育や文化が押し付けられた。

それから35年が経ち、かつてのような狩猟生活を営んではいないセデック族は、日本人から上から目線の扱いを受けるなど、日々抑圧されていた。

そんなある日、日本人警察官とセデック族のひとりが衝突したことをきっかけに、これまでの不満が爆発。モーナを先頭に部族の誇りをかけた武装蜂起を決意する。


この映画がうまくできてるのは、単純な善悪になっておらず、いろいろな立場の人たちを多角的に描いてるところ。どの立場も心情的には理解できるから辛い。

セデックの人たちは日本人に勝つために戦うのではなくて、死んで虹の橋を渡るための戦いだからさ…そこが心苦しいですよ。そして、勝ち目のない戦いに加わったら、文化を受け継ぐべき若者が死んでしまうではないかと反対する頭目もいる。また、日本人と同じように教育を受けて、日本の名前を持ったセデックの若者はどちらを選ぶのか、引き裂かれるような思いをする。

そもそもどうしてこんなことになった…と振り返ると、これまでの"文明"の押しつけだったり、上から目線だったりという、いろんなことの積み重ねが原因ですからね。いまさら取り返しつかない状況なのよね。

日本の理蕃政策(台湾原住民に対する政策)はうまい方法だったとも思えなくて、結果的によい面があったとしても、相手を尊重するやりかたではなかった。だがしかし、いくら文化とはいえ、時代がうつりかわっていくなかで、セデック族もいつまでも出草(首狩り)をしているわけにはいかないし。

先に住んでた人々に対して、後からやってきた人々が自分たちの文化を押し付ける問題というのは、それこそ世界各地で起きた(いまも起きている)問題ですが、日本は明治の近代化の際、欧米に対して激しく劣等感を抱いたことが「次は自分たちが野蛮人を文明化させることで欧米と同じ立場に立つ」感を抱くという方向に向かった気もなきにしもあらず。

それ考えると、話は全然変わりますけど、古代ローマ帝国ってすごい。属州に対し自分たちの文化や考えを押し付けないって簡単そうで実際にやろうとすると難しそうなのに。

さて、第一部は蜂起したセデック族が、霧社(当時の地域名)のあちこちの駐在所を襲い、霧社公学校で行われていた運動会を襲撃して日本人のみを約140人殺害する、というところで終わります。女性も子どもも容赦なく殺される。

阿鼻叫喚となった現場で、セデックの女性が「どうしてこんなことをしたの…」と泣きながら訴える姿に胸がつまる気持ちで第2部に続く。
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by rivarisaia | 2013-07-03 20:20 | 映画/香港・アジア | Comments(0)