The Storyteller

HHhH』以降、ナチス関連の物語が定量に近づきつつあるので、どうかなーと心配しつつ読みましたが、さすがピコーはひと味ちがった。読み終わったあと、いろいろ考え込んじゃったよ…。

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The Storyteller』Jodi Picoult著、Emily Bestler Books

心を顔に傷を負い、トラウマを抱えて孤独に生きているパン職人のセージ。ある日、彼女はグループセラピーの場で老人ジョセフと出会い、お互いに言葉を交わすようになる。

そんなジョセフは、セージを友人と見込んで頼みごとをする。自分はかつてSS将校だったと告白したジョセフは、ユダヤ人であるセージに死ぬ手助けをしてほしいと言うのだ…


祖母がアウシュビッツの生存者だったということもあり、ジョセフの告白に憤ったセージは警察に連絡しますが、まともにとりあってもらえず、たらいまわしの挙げ句に司法省のレオに相談することに。しかしレオも、確証が得られなければ動けないのでジョセフからもっと証拠を引き出すように、とセージに伝える。

謎の「物語」を間に挟みながら、セージ、ジョセフ、セージの祖母、レオ、と語り手が変わりながら話が進みます。この間に入る「物語」はいったい何なのか、さっぱりわかりませんでしたが、途中で判明します。

セージの祖母の話が読んでいてツラい。すべてのユダヤ人が善人だったわけではなく、すべてのナチスが悪人だったわけでもない。

…when you get close enough to any given situation, you realize that there is no black or white. There are gradations of gray.


と、ピコーが書くように、そんな限りなくグレーの世の中でだれかを裁くこと、罪を償うこと、人を許すこととはどういうことなのか。

ところで。

話は変わりますが、以前、ナチス幹部の子孫にスポットをあてたBBCのドキュメンタリーをみました。

ある兄妹は血筋を残さないために避妊手術を受け、ある人は大叔父を糾弾する本を出し、またある者は贖罪行脚を…といった具合で、生まれてくる家庭を選べないというのに大変に気の毒なことになっていたのですが、そのなかで、アウシュビッツの所長だったヘスの孫である男性が、初めてアウシュビッツを訪れるという場面がありました。

おりしもイスラエルからの修学旅行生が来ていて、よせばいいのに男性と対話することに。そこで「どういうつもりでここに来たのか」「いまあなたの祖父(ヘス)が目の前にいたらどうするか」と、厳しい口調で若者に質問されるのだが、正直、ちょっとこの光景が不快だったわけです。

身内がそこで殺されているイスラエルの若者たちの気持ちはわかる。しかし責める相手が違うのではないか。満ちあふれる正義感と断ち切れない憎しみの連鎖がそこに見えて、それが不快の原因の気がするけど、かといって、イスラエルの若者たちが「昔のことは気にするなよ!」と彼にいえるものなのか。

そのとき、ホロコーストをいきのびたというひとりの老人が歩みより、「きみがやったわけじゃない。きみはそこにいなかったんだよ」と話しかけ、ヘスの孫は泣き崩れてしまうのだった。


わたしはこの小説のセージに対し、厳しい口調で質問していたドキュメンタリーの若者たちに抱いたのと同じ不快感を感じていて、これまた彼女のおかれた状況を考えると仕方ないけどさ、確かめもせずにその態度はどうなの…頼むから落ち着いてほしい…とずっとやきもきしていました。

だからこそ、ピコーが用意したラストはすごい。セージは彼女ならそうするだろうと予想した通りの決断を下すんだけど、このあと、彼女はどうなっちゃうんだろう。あんなに苦手におもっていたはずの彼女のことが心配だ。
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by rivarisaia | 2013-12-12 23:59 | | Trackback | Comments(0)

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