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山猫

今日は、ヴィスコンティ映画祭記念ってことで。

正直に告白すると初めて観たときは、短縮版だったにも関わらずちょっと長いと感じました。そして、テーマは崩壊していく貴族階級の悲哀だと思っていました。

でも、完全復元版を観たときに、そんな単純なテーマではないと思った。

崩壊する貴族の悲哀というよりも、イタリア統一革命(リソルジメント)後も現状を維持していきたい支配階級と、結局、旧体制のままに終わった "シチリア" の悲哀。革命後、シチリアの貴族は崩壊などしなかった。誇り高き山猫だけが去っていったけど。

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『山猫(Il Gattopardo)』(完全版)ルキーノ・ヴィスコンティ監督 

鑑賞前に、シチリアの歴史の本を読んだのですが、なんとなく頭では理解できたことが『山猫』を観たらストンと落ちました。イタリアの南北の格差、この場合は、シチリアが革命後どうして貧しいままだったのか、なぜ多くの農民が貧困のためにアメリカに移住しなくてはならなかったのか、どうしてマフィアが台頭したのか、その原因が描かれていました。

ヴィスコンティ、すばらしすぎます。シチリアの歴史に疎かった私が悪かった。

以前は黒い眼帯のアラン・ドロンがかっこいい〜とクラッとしたものですが、真にすばらしいのはサリーナ公爵を演じるバート・ランカスター。しかも、長いと思っていたが、ぜんぜん長くない。舞踏会のシーンは短縮してはだめだったのよ。

舞踏会シーンの前に、トリノに設立された新政府の使者シュヴァレ(レスリー・フレンチ)が、サリーナ公爵に上院議員になってほしいと依頼するシーンがあります。このシーンがすべてを物語っているといいますか、キモです。

以下、少し内容に触れます。

使者は、ぜひ人柄がよくて教養のある公爵に上院議員になってもらい、法律の制定を手伝ってもらえれば、シチリアの島民の声を政府に伝えることができる、と言うわけです。しかし、サリーナ公爵は「名刺の肩書きだけの話なら受けるが、そうでないなら無理だ」と断ってしまう。

「物質的にも精神的にも貧しいシチリアの島民たちを救うことができるのに、あえて島民を見捨てるつもりか」と使者は説得を続けるのですが、その後のサリーナ公爵の言葉が重い。シチリアは2500年もの間、植民地だった。そして我々は燃え尽きてしまった。遅すぎたのだ。

おそらく、ここで公爵が上院議員を引き受けていれば、現在のシチリアは変わっていたかもしれない。でもそうしなかった。目覚めているシチリア人は若くしてみな島を出てしまった。残っているのは頑なに保守的な人々だ。そうした人々を説得するにはパワーがいるし、そのパワーは年老いた自分には無いということもわかっていた。今さら変化が何になる?遅いよ、というのが本音かもしれない。

挙げ句の果てに、公爵は別の人物を推薦するわけですが、その申し出に関して使者は次のように答えています。

「思想なきものの登場は困るのです。それは旧体制への後戻りになりかねません」

でも、結局、その後のシチリアは旧体制への後戻りとなってしまったのでした。

この会話があって、現在までのシチリアの状況を考えると、その後に延々と続く舞踏会シーンは圧巻です(考えなくても、圧巻は圧巻ですけど)。台詞は少ないですが、じつに多くのことを物語っています。

猿のような貴婦人たち、新興ブルジョワジー(マフィアあるいは新たな支配階級)と旧支配階級(貴族)の融合、世代交替、老いと若さ。部屋の両側にある扉が開け放たれ、片方の扉の向こうでは美しいドレスの貴婦人たちの踊る姿が見え、もう片方の扉の向こうには夥しい数の尿瓶が並ぶ。考えるよりも、感じてくださいの勢いで迫り来るものが。ああもう、これはヴィスコンティでなければ撮れなかっただろうな。

舞踏会シーンの裏話を書こうと思ったけど、長くなったので続きは次回。
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by rivarisaia | 2007-07-03 16:09 | 映画/洋画 | Comments(0)