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カポーティ:冷血にはなれなかった人

今年はねえ、貧乏ヒマなしという言葉がピッタリくるような年回りで、見逃した映画も多い。あれこれ年末に見ようかと思案中ですが、これもようやくWOWOWで見ましたよ! ノンフィクション・ノベルの金字塔『冷血』の取材・執筆期間にだけスポットをあてて、天才小説家トルーマン・カポーティの「人生」を描いた作品。

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カポーティ (Capote) 』監督ベネット・ミラー

カンザスで『冷血』の主題となった事件が起きた1959年から、犯人のペリー・スミスとリチャード・ヒコックが死刑になる1965年までの約6年間しか切り取っていないうえに、子供時代の回想シーンや余計な説明などもないのに、なぜかカポーティの生い立ちから晩年までが何となく透けて見えてくる、という不思議な映画。

人によっては、二枚舌を使って取材していたカポーティを偽善者と感じるかもしれません。でも私はそうは思わない。そんなことは、取材においては(そして一般の仕事においても)いくらでもあることだろうし、誰もが少なからずやっている。私だってそうだもんね。

むしろカポーティは、取材・執筆の過程で、徹底して「冷血」になれなかったために、引き裂かれていってしまった。事件そのものの重いけれど、取材対象であったペリー・スミスがカポーティの投影というか鏡像のような人物で、さらにカポーティ自身がコンプレックスをたくさん抱えた非常に繊細な人物だったせいでもある。

たとえて言えば、彼と僕は同じ家に育ち、
彼は裏口から外に出て
僕は表玄関からだった


犯行のようすを語ってくれるまでは、死刑になってほしくない、しかし死刑が延期され続けると本が出版できない。板挟みになりながら結末を書くことができず、ペリー・スミスに差し入れた離乳食にお酒を入れて食べるシーンは、とても痛々しい。

さて、カポーティは『冷血』以降、何も書いてないわけじゃないんですが、確かにあれから彼の中の光と影のバランスが崩れ、影の部分がどんどん浸食して抱えきれなくなってしまったのかもしれない。それが未完の『叶えられた祈り』(上流階級の内幕を暴露し、社交界を追われる原因となった本)の執筆へとつながっていくのかも。

それにしても、この映画はフィリップ・シーモア・ホフマンが凄すぎる。見た目といい、声もしゃべり方も、なんでこんなに似ているんだ! 途中から本人かと錯覚しましたよ。そりゃ当然オスカー受賞しますよね。じつはわたくし『叶えられた祈り』は未読なので、さっそく購入しちゃいましたよ......。それはフィル君のお手柄です。
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by rivarisaia | 2007-12-21 21:23 | 映画/洋画 | Comments(0)