「ほっ」と。キャンペーン

昨日は政治的な話を書いたので、今日は政治的なアート本のご紹介。ちょっと古いけど。

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Your Coloring Book — a wandering installation
Ram Katzir著 Stedelijk Museum Amsterdam刊

人々の視点や主観に疑問を投げかける作品を制作するアーティスト、ラム・カツィールの、1996年から98年にかけて7カ所の地域に巡回した「ぬり絵」のインスタレーションの本。会場にテーブルと椅子、クレヨンやマーカーを置いて、来場者に塗ってもらうというコンセプト。

本の構成は、前半にインスタレーションで使用したぬり絵がついていて、あとは各会場のようすや来場者が実際に塗った絵の写真のほか、展覧会をとりあげた新聞記事(英訳付き)が出ています。

ぬり絵は、表紙の「バンビと人」のほか、「遠足に行く子どもたち」とか「お父さんと子ども」とか全部で13枚。
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お察しの通り、ただの塗り絵ではなく、じつは「バンビと人間」は「ヒトラーと子鹿」であり、「遠足に行く子どもたち」は「収容所に送られるユダヤ人の子ども」であり、「お父さんと子ども」は「ゲッペルスと子ども」である、というように、実際の写真からおこしたナチスの絵なのでした。
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第二次世界大戦のタブーを破り、ぬり絵を通して子どもの視点で戦争を見つめ、プロパガンダについて考えてみる、というのが目的。展覧会が巡回したのも、エルサレムやベルリン、クラコフなど、関係のある地域でした。トラウマの体験を芸術に転換するなんて、という意見もあり、賛否両論の渦を巻き起こしたようですが、そうした議論が起きるということは展覧会として成功したということだと思います。

もちろん、来場者のなかには何の絵なのかわからない人もいました。子どもが楽しそうに塗っているのを見たイスラエルのお父さんのコメントは、「娘が純粋にぬり絵に熱中しているのをみて、目に見えないモノがどれほど頭に入らないのか理解した」。星の王子様じゃないですけど、大切なことは目に見えないかもしれない。このお父さんは、ぬり絵だけじゃなくてコラージュも有益だと言っています。情報は切り貼りされちゃうかもしれないからね。

歴史や文化の違いも影響する例として、日本人のグループのエピソードも載ってます。彼らは、石けん工場の絵を「キッチンだ」と判断して色を塗るわけですが、絵のなかに変な物体があるのに気づく。実際にはそれは原料となる死体で、あとで絵の背景を説明された彼らは愕然としながら、可愛らしいキッチンの絵を死の恐怖の絵に修正するわけです。

ここで、日本人は歴史にうといんだからもう!とか言っちゃだめですよ。見えないものを見るのはやっぱり難しい。実際、私も書店でこの本を手にしたのは「かわいいぬり絵」だと思ったからで、ページをめくって驚いて、自分への戒めのために買ったから手許にあるのです。

Ram Katzirのサイトはコチラ。「installation」の「your coloring book」をクリックすると、会場の様子や、参加者の塗った絵の一部が見られます。
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by rivarisaia | 2007-09-30 18:59 | | Comments(5)

8月あたりから、ビルマ(ミャンマー)では民主化活動家が次々に逮捕されていて、大変な事態になりそうないやな感じがしていましたが、ここへきてやっぱり流血の事態になってしまった。敬虔な仏教徒の国で、僧侶への暴力ってありえない。僧院の襲撃とかデモに対する発砲とか僧侶や民衆への暴力など激しい弾圧が行われ、スー・チーさんの居場所もわからなくなり、そして28日はジャーナリストの長井健司さんが撃たれて殺されてしまった。

ニュース映像を見て、兵士はジャーナリストだとわかっていて撃ったにちがいない、と思った。そして、あの映像がなければ、永久に流れ弾に当たったせいにされていたはず。長井さんが最期まではなさなかったカメラとテープをビルマの人たちのためにも、返してほしい。

今回1歩でも前進できなければ、民主化への道はまたもや遠のいてしまう。

そんなビルマの軍事政権を成立当初からすんなり承認して、その後もせっせとODAなどでお金を出して支えてるのが日本政府だったりするものですから、何だかなあ、という感じです。しかし、このまま当たらず触らずと思っていたかもしれない政府も、そうはいかなくなった。日本人が死なないと動かない政府というのもどうかと思うけど、これまでまったく頼りにならなかったぶん、そして長井さんの死を無駄にしないためにも、今度こそがんばってもらいたい。

情報操作したい軍部がいろいろと検閲しているさなか、それこそ命がけでビルマから情報を発信している人たちもいて、心から応援しています。

Democratic Voice of Burma
Burma Digest
Assistance Association for Political Prisoners

ところで、US Campaign for Burmaは、先月末YouTubeにジム・キャリーのキャンペーンビデオをアップしたんですが(コチラ)、アメリカ人にとって「アウン・サン・スー・チー」って覚えにくい名前だったのか......と知る。

ビデオ後半で、「アウンサンはアンサン・ヒーロー(unsung hero=陰の英雄)のアンサンと同じ発音だ。アウン・サン・スー・チーこそ真のアンサン・ヒーローだ」と言ってます。よく考えてみると、確かに「Aung San Suu Kyi」とアルファベット表記されると、発音がわからない人もいておかしくないのだった。カタカナって便利なのね。
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by rivarisaia | 2007-09-29 23:46 | 日々のよもやま | Comments(0)

わたしの名は「紅」

本日も引き続き、妄想トルコめぐり的なお話ということで、この本を紹介しておかねば〜となかば義務感におそわれております。

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わたしの名は「紅」』オルハン・パムク著、和久井路子訳、藤原書店

思えば、私の「中世写本が大好き熱」に火をつけたのは、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のめくるめく読書体験でした。映画もよかったけど、原作もよかった。ビバ!写本!という一撃をくらった本でした。その後、「薔薇の名前を思わせる」という宣伝文句に乗せられて、数々の本に泣かされてきた私(ぜんぜん、違うじゃん、しかもおもしろくないよ、という本が大部分で.....)。

おっかなびっくり本書を手にしまして、読みにくかったらどうしよう(これはやや当たっていた)、ナンチャッテ「薔薇の名前」だったらどうしよう、と不安だったわけですが、杞憂でしたよ。

西にエーコなら、オリエントにパムク、と言ってもいい。

私にとって、これまで「装飾写本といえば中世ヨーロッパ」でしたが、本書のおかげで、イスラムの装飾写本に開眼いたしました。イスラムの細密画の場合、絵師の目を通して「神の目で見た世界」を描くわけです。だから絵師の個性とかいらないの。実物を観察してデッサンすらしないし、遠近法という概念もない。なぜなら、それはあくまで絵師の目が見たもので、神の視点で見てるわけじゃないから。神の視点で描けるように、ひたすら過去の細密画を模倣するのです。

そして、本書では最高の細密画師として盲目の画家が登場する。見えないおかげで俗世に惑わされずに、アラーの神の視点で純粋な絵が描けるというわけです。この発想には、恐れ入りました。

西洋との絵画史観とはまったく異なるイスラム絵画の成り立ちはかなり興味深い。しかし、そこに西洋画の技法を取り入れようとする人物が登場し、やがて殺人事件が起きるのでありました。続きは本書で、どうぞ。

やや読みにくいかもしれませんが、「薔薇の名前」ほどではないし、章ごとに語り手が変わるのが楽しい。死体が話すのはもちろん、色の「紅」までが語り手となって、物語を紡いでいきます。さらにイスラム世界は、西洋の文化をうまく取り入れながら発展していくべきではないかという、とても深いテーマも隠されていて、さすがノーベル文学賞、とうなったのでした。

小ネタとしては、トプカプ宮殿の宝物殿で装飾写本を見るシーンやハルヴァの記述もありますよ。

そろそろ再読しようかなー。
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by rivarisaia | 2007-09-26 22:43 | | Comments(0)

トプカピ

トプカプの記事をエントリしておいて、しかも会場内で天井をチェックするのを忘れてた私としては、この映画をエントリしなくてはなりません。
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トプカピ(Topkapi)』(1964) ジュールス・ダッシン監督

あらすじは、トプカピ宮殿にあるエメラルドの宝剣を盗め!という話。

「黄金の七人」シリーズに並ぶ泥防映画の名作中の名作!と私は勝手に思ってるんですが、「黄金の七人」がとことん胡散臭い(だが、そこがいい)のに対して、『トプカピ』はかなり正当派を行く泥棒コメディです(それもまたいい)。とはいっても、泥棒メンバーが、宝石大好きな美女、ダンディなその愛人、貴族の発明家、口がきけない軽業師、力持ちの男.......そして高所恐怖症のマヌケな男。どう考えても、約1名、足を引っ張りそうなメンバーがいますね。ええ、もうそこが味です、味!

ミッション・インポシブルの元ネタともいえるシーンは、正直『トプカピ』のほうがハラハラしました。だって、こっちにはボンクラがいるからね、約1名。

泥棒コメディに欠かせない三大要素「ゴージャス」「ユーモア」「イカしたオチ」がちゃんと揃ってる上に、イスタンブール旅行気分も味わえるという、すばらしい映画。これを観るとトルコに行きたくなりますよねっ!

ああ、ぜひ続編を観たかった〜としみじみ思った映画。もちろん、第二弾はクレムリン宮殿でお願いします。

ちなみにトプカピ宮殿は、正式にはトプカ「プ」宮殿だということを、先日の展覧会で初めて知ったわたくしでした。
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by rivarisaia | 2007-09-24 19:30 | 映画/洋画 | Comments(2)

昨日に続き、9月の展覧会in上野第2弾。早く書いとかないと、東京の展示は終わっちゃうよー。ということで、「インカ・マヤ・アステカ展」(国立科学博物館)です。

こちらも激混み!と聞いていましたが、私はすんなり入れました。中はけっこう混んでたけど。やはりNHKスペシャルの影響でしょうか。それとも『アポカリプト』の影響か! あ、『JOJOの奇妙な冒険』かも! 石仮面も展示されてるし!

ついでなので、大昔にチチェンイツァで撮った写真もどうぞ。私はピラミッドの上にいる....はずだけど、見えません。
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中南米三大文明の比較展示ということで、あまり深く掘り下げられなかっただろうなとは思いますが、それぞれの違いなどが伝わってきてなかなか興味深く、「おおっ!」と思う展示品も多い。立像の造形など非常におもしろく、中には笑える像もあります。ガッチャマンのような「ワシの戦士」も心惹かれますが、アステカの死の神様ミクトランテクトリ神像などは不気味なのにお茶目ですらありました。ちょっと、あなた内臓出てますよ!

アステカは生贄がさかんで、「まあ、残酷ねえ」と眉をひそめるおばさま方もおりましたが、現代の感覚で判断するのは間違ってますよ! それを言い出したら、日本だって昔はかなり残酷だ。

科博がんばってるとは思うものの、でもやはりそこは科博。都美館についても先日同じようなことを書いたばかりですが、展示品の内容はいいのに、展示のセンスが今ひとつ。もっと展示品のよさが伝えられるはずなのになあ。ミイラもねえ、湿気の多い日本でいろいろ大変でしょうが、もう少し神々しく扱ってもよかったかと思う。

それより衝撃なのは、第二会場ですよ。「え、第二会場があるの?」と進んでみると、そこには広々したデパートの物産展のような空間が......。あれ、デジャ・ブ? 

ミュージアム・ショップは私も好きですが、民芸品はいいとしてもグッズのセンスがかなり微妙。なかでも微妙なのが、親子ミイラのフィギュアだ。

まあね、商売は大事ですし、欲しい人もいるかもしれませんし、不謹慎とか言うつもりはさらさらないんです。ただ、インカの人々の死生観とか、アンデスに今も残るミイラ信仰とか、そういったことを考えさせられた後にですね、山積みのミイラフィギュアに「本物そっくり!」と迎えられてもだな......。古代と現代の間には果てしない溝がある、ということだけは再認識いたしました。
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by rivarisaia | 2007-09-21 18:39 | 展覧会ほか | Comments(2)

トプカプ宮殿の至宝展

何だかんだいって、9月はけっこう展覧会に行っていた。そこで今日は「トプカプ宮殿の至宝展」(東京都美術館)の話。

豪華絢爛でおまけに人出もすごいと聞いてはいましたが、本当にキンキンキラキラで激混みでした......。残念ながら今回は、映画『トプカピ(Topkapi)』でおなじみのエメラルドの短剣は来ておらず、262カラットのエメラルドが付いたターバン飾りと、黄金のゆりかごが目玉展示です。でも、私が気になったのは、「宝飾ハエ追い」だった。ハエを追っ払うのに、金とダイヤモンドと七宝付きの羽根ですよ。さすがスルタン! ここまでくると無駄なんだか余裕なんだかよくわからないわ。

宝飾品はさておき、装飾写本が見られたのも嬉しい。まあ、『コーラン』1冊しか展示してなかったけどね!でも、いいの。細密な模様がすばらしかったから〜。あ、見事な手描きの装飾という点では、ほかにも花押入り文書や印譜、宗教寄進書などがあり、これらも美しいです。

それにしても、都美館で行う展覧会は、どうしてこういつも安っぽい感じになっちゃうんでしょうかねえ......。展示品は豪華なのにねえ。ミュージアム・ショップも、板でトプカプ宮殿風のアーチつくったりして、デパートの物産展のようだ......。まあ、所詮貸しギャラリーだから仕方ないとはいえ、もうちょっと何とかならないんでしょうか。
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by rivarisaia | 2007-09-20 23:32 | 展覧会ほか | Comments(4)

芸術家や建築家の完成作品よりも、その人がつらつら書きなぐったノートやらスケッチのほうに興味があったりする私。ノートや手帳やスケッチブックなどにごちゃごちゃ書く人を、私は勝手に「帳面派」と呼んでいます。

Moleskineも人気の今日この頃。手帳などに必要事項をメモをする人は多いですが、それだけでは帳面派とは言えません。ここでの帳面派の定義は以下。

どうでもいいこと、必要でも何でもないこと、ふと思ったこと、発明したこと、落書き、本や映画のフレーズ、独り言などをびっしりと書きなぐったり、レシート、シール、拾ったもの、ラベル、包み紙、切り抜きなどあらゆるものをベタベタ貼付けたりする。(by 春巻)
また、帳面派の度合いは、書き込みの密度と帳面の冊数に比例するともいえるでしょう。

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内容も高度な帳面派として外せないのがレオナルドさん。手稿の総ページ数13,000ページ(by Wikipedia)ときたもんだ。

ひとつ要注意なのは、帳面の内容によっては電波な人と思われる可能性があることです。自分は帳面派だからアーティスティックでクリエイティブで天才的だと思っているのは本人だけで、他人に帳面を覗き込まれたら最後、「うわっ、この人ヤバイ」と思われて後ずさりされるかもしれないリスクがあるわけです。

いい例が、映画『セブン』です。犯人は明らかに帳面派ですが、案の定、犯人の帳面を見たブラピやモーガン・フリーマンは「こいつ狂ってやがるぜ」「電波な野郎だ」という嫌悪感あふれる表情をしていました。確かに帳面の内容はかなり悪趣味でしたが、しかしレイアウトのセンスだけはよさげなところに注目。

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有名なカイル・クーパーのタイトルバックは、犯人の帳面制作風景です。ご覧下さい、この文字量。レイアウトだけじゃなくて、ノートの種類に統一感が漂っている部分にもこだわりが感じられます。

これは、やっぱり後から他人(刑事とか)に見せることを前提に作成していたのかしら。おまけに、これだけの帳面制作には相当なエネルギーと時間を消耗するはず。そのうえで凝った殺人をいくつも起こすバイタリティもさることながら、犯人は時間活用法にもかなり長けているとみました。

内容はさておき、全体の完成度といいますか、芸術性は高そうな帳面を作成した『セブン』の犯人ですが、帳面にこだわりすぎて内へ内へと向かった先があの結果。天才と狂人は紙一重ってやつなのかもしれません。別の方向に向かえば、ダミアン・ハーストくらいになれたかもしれないのにね。

いずれにしても、帳面派は、極力他人には帳面を見せないようにするか、見せる場合は、他人に見せてもいいページに限ったほうが無難です。あんまり自分の世界にこもるのもよくないかもしれませんね。
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by rivarisaia | 2007-09-18 18:20 | 映画/洋画 | Comments(4)

本日は趣向を変えて、箇条書きでどーでもいいことを書き連ねてみたい。そして「だ、である」調。

■ 懸念されていたイタリア語のレッスンは(参照)、「とにかくラスト・シーンがブラヴィッシマ!(ブラーヴォの最上級・女性形)」などと、最上級を連発して乗り切った。ワハハ!と教室内に笑いが起き、ドン引きされなくってよかった!と思ったのもつかの間、「まあ、でも君の言うことは信用ならないからね、アハハ」と先生に痛いところを突かる。

しかし、イタリア人はアメリカ人に輪をかけて大ゲサな人種(と、私が勝手に思っている)。したがって私は、日頃から英語やイタリア語で話す場合は、差し引かれてもいいように、常に物事を3倍にして話すように心がけている。だから私の発言が信用ならなくても、それはそれで仕方がない。


■ 『フルメタル〜』で落ち込んだ、とか書いておきながら、前半のハートマン軍曹独壇場シーンをことあるごとに、何度もリピートして観てしまった。人生において、ここ数日はもっともハートマン濃度が高い。

そんな折り、近々スタートするプロジェクトを一緒に手がけるクライアントの担当者から、「今年はスケジュールも厳しく苦戦を強いられること必須ですが、一兵も欠けることなく、この戦争を終わらせる所存です。大佐、どうぞよろしくお願いします」というメールが来る。
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そうか........私は大佐だったのか。仕事と思っていたが、戦争だったのか。よし! じゃあ関係者一同、じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったりできなくしてやる!と意気込んで、またハートマン軍曹の勇姿をリピートして観てしまった。おかげで微笑みデブではなく、ハートマンに同情して泣く始末である。


■家人がうわごとのように「ハルヴァ、ハルヴァ」と言うので、ダリアショップに一緒に買いにいくと、先日あれほどあったのに全部売り切れ。ショックを受ける家人にヒゲのおじさんは「そんなに好きだったか」と同情しつつ、「でも次はいつ入るかわからないね。ずいぶん先ね」と答えていた。ハルヴァが今度入荷したら買い占めるとまで宣言していた家人に、そんなに好きだったか、と私も驚いた。
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by rivarisaia | 2007-09-16 23:45 | 映画や本の雑記 | Comments(2)

フルメタル・ジャケット

ハードディスクに録画してあったので、ハートマン軍曹に気合いでも入れてもらおうかなー、いやむしろ私も鬼軍曹を見習おうかと思ってつい観ちゃいました。もうだめ、死にそう〜、という気分になったら、

死ぬか? 俺のせいで死ぬつもりか? さっさと死ね!

と容赦なく言ってもらえます。仕事が終わるその日まではウジ虫だ! 貴様は地球上で最下等の生命体だ! サー・イエス・サー!!!
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フルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket)』監督スタンリー・キューブリック

劇場で観たはずなんですが、前半のハートマン軍曹ブートキャンプとエンディングの「ミッキーマウス→黒く塗れ!」という流れしか記憶に残っておらず、後半ってこういう話でしたっけ、とまるで初見のような状態でございました。そして前半の微笑みデブの行く末と、後半のスナイパーの正体にはハッとさせられて、気合い入るどころか、どんよりした気分になる。

しかも今回、デブ二等兵(ヴィンセント・ドノフリオ)のキレ具合に、ちょっとウルッとしちゃったのは不覚です。おかげで最近泣けた映画が、『フルメタル・ジャケット』になってしまった。ハートマン軍曹に「ふざけるな!」とドヤされそうですよ。ええ、もうゴーマー・パイルと呼んでいただいて結構ですよ。

b0087556_20484794.jpgお間抜け兵士の代名詞「ゴーマー・パイル」は、もともとはアメリカのドラマです。映画でゴーマー・パイル呼ばわりされた微笑みデブは悲惨な末路でしたが、本家のほうはちゃんと昇進しておりました。
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by rivarisaia | 2007-09-14 20:55 | 映画/洋画 | Comments(4)

イタリア語のレッスンにずーっと通っているわけです。

「週末何をしましたか?」というのは、語学のレッスンのウォーミングアップでよくある話題なわけですよ。無難な答えとしては、映画を観たとか、本を読んだとか、どこそこに行った、などというのが考えられますね。私は「映画を観た」と答えることも多いのですが、困るのはおもしろかったんだけど、絶対そういう映画は観ないよね?とわかっている人たちを前に、どう絶賛したものかわかんない映画の話をする場合です。

昔は困ることはなかった。なぜならクラスにジャッキーチェン・ファンがいた上に、当時の先生はカンフーやアクション好きだったからです。ロールプレイの時には、ビデオ屋の店員と客という設定で、

「ブルース・リーの映画を見せてください」
「この緑のDVDですか?」
「いいえ、あちらの赤いやつです」
「この少林サッカーもおすすめですよ」

などという、絶対にイタリア旅行では使わないであろうフレーズというか、それは学んでいる言語を間違っていないか?という会話を練習したものです。しかし、その後、先生やクラスメートが変わってからというもの、「何の映画を観たの?」と聞かれるまではいいんですけど、観た映画がですよ、たとえば『スネーク・フライト』だった場合、いかんせん語彙が少ないものですから、イタリア語でどーやって説明したらいいわけ!?と言葉に詰まることこのうえない。たぶん私の説明では何だかよく伝わらないであろう。

『300』ならいいですよ。

「かっこいい筋肉ついた男性が300人! あとファビュラスで美しい王様が1人!
バイオレンスだけど、ベリッシモ〜!」

とか言えばいいんですから。まあ、全員がシーン....とするとは思いますが、それには馴れた。

つまりですね、『デス・プルーフ』をストーリーをバラさずにどう説明したらいいんだよ!と悶々と悩んでるのね。それだけなんですけどね......。
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by rivarisaia | 2007-09-12 23:33 | 映画や本の雑記 | Comments(0)