「ほっ」と。キャンペーン

ピーター・キャメロンはデビュー作『One Way or Another(邦訳:ママがプールを洗う日)』以来、けっこう気に入っている作家で、どこが好きかと言われると困るんですけど、日常のなかでちょっとした不幸に見舞われても、ただぼんやりと佇み、淡々としている人々の描写にやや共感を覚えるからでしょうか。

そんなキャメロンの2002年の長篇の翻訳。
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最終目的地』ピーター・キャメロン著、岩本正恵訳 新潮クレストブックス
南米ウルグアイの人里離れた邸宅にひっそりと暮らす、自殺した作家の妻、作家の愛人と小さな娘。邸宅の近くには、作家の兄とその恋人の青年が住んでた。すべてをあきらめてしまったかのような、なにもかも停滞した日々。

ある日そこに、作家の伝記の執筆許可を得るべく、アメリカの大学院生がやってくる。突然の訪問者に、静かな日々に波紋が広がっていく…

キャメロンの登場人物は、いつも慌てず騒がず、なんでそうなっちゃったんだろうなあと、遠い目をしているような気がします。私もしょっちゅう遠い目になるので、少し親近感が湧く。あと、キャメロンの小説には必ずゲイの人たちが登場するのも特徴的。

本作に関しては、主人公の恋人としてやたらと元気でパワーのある、慌てて騒ぐタイプの女性が登場します。遠い目になっちゃうほかの登場人物のなかで、彼女はひとり浮きまくっていて、読んでいる私もたまにイラッときましたが、結果的には彼女がさらに波紋を広げたおかげでよい方向に動いていきます。しかも彼女はとてもいい人だった。イラッとしてごめん。

なんとなくふしあわせな状態のまま立ちどまっていたみんなの人生が、ちょっと幸せな方向へとゆるやかに変化していく物語でした。やっぱりキャメロン、好きだわー。

裏表紙に「イギリス古典小説の味わいをもつ」とあるんですが、ほんとにイギリスの小説のような印象で、本作は映画化も決定しているんですが、監督はジェイムズ・アイヴォリー。妙に納得。ちなみに作家の兄がアンソニー・ホプキンスでその恋人は真田広之なので、日本でも公開されるかもね。キャメロンの小説が映画化かーと思うと感慨深い。
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by rivarisaia | 2009-10-29 03:33 | | Comments(8)

牛は語らない/ボーダー

Twitterでつぶやいたのですが、今月初め、どういうわけだかAmazon Japanから『牛の結び方』という本をおすすめされました。牛を扱う現場で必要な結び方をフルカラーで図解した実用書(link)らしいんですけど、あわせて牛解剖モデルだの、牧草図鑑だの、牛の写真集なんかもあるよ、と言われたのだった。

なぜそれほどまでして「牛」を私に?

それ以来、牛のことが気になっていたら、東京国際映画祭で「牛の映画」をやるという。主演が牛だ。これはもう何かの啓示かもしれない。

ということで、映画祭の〆の映画として、急遽チケット買って観にいきましたよ。結果としては、観てよかった。傑作でした。ありがとう牛! O, Taure! Gratias tibi ago. (ラテン語でもお礼書いてみた)
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牛は語らない/ボーダー(Sahman [Border])
監督:ハルチュン・ハチャトゥリャン

ソ連崩壊後のアルメニア。紛争があったアゼルバイジャンとの国境近くにある小さな村。遠くで響く戦闘機の音。村の人々はヤギの群れや牛の群れを飼い、乳をしぼり、牛を殺して食事をつくり、日々暮らしている。

その村に連れてこられた一頭の牛。村人にとってよそものの牛は、何度も村から脱走しては連れ戻される。

夏が過ぎ、冬になって、やがて春が訪れる。季節が変わっても、戦争に疲弊した村の生活はあまり変わらない。だがある日のこと…


台詞の一切ないアルメニア映画。しかも主役は牛。途中で飽きるかな~と心配したのは杞憂でした。最初からラストまで82分間、片時も目が離せませんでした。

これは映画館のような音響のよい環境で観るべきです。村人たちの生活の音、走る牛の足音、牛の首につけられた鈴の音色、ヤギの群れの鳴き声、犬の吠える声、響きわたる戦闘機のプロペラ音など、音の使い方がとても効果的。

さらに、台詞はないけど、牛のまなざしが人間よりも雄弁だ。

牛はべつに擬人化されているわけではなくて、ほんとにただそこに存在するだけなんですけど、いつのまにか、よそものである牛と観客の私の目線が同化してました。なにせ主役の牛の表情がすごい。ほかにも牛はいるのに、主役の牛はどこか別格。
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また、印象的だったシーンのひとつにこんなのがありました。
連れ戻されて小屋に入れられる牛

小屋の入り口で無表情の男がひとり、じっとこちらを見つめている

何も言わない牛の絶妙な表情

小屋の入り口の男がふたり、3人と増えて、じっとこっち見てる!
なんか、恐い!という(牛にとって)サスペンスフルな展開。そのあと、牛小屋の外から屠殺の音が聞こえるのだった。ひいい。

監督は、物理的にも、そしてまた人々の心の中からも、「国境(ボーダー)」をなくしたいと考えていて、国境にしばられている村人たちはそこから動くことはできないけれど、国境という概念をもたない牛は、何度も村から脱走するのだと語ってました。

ラストシーンでは、国境のフェンスの境目に佇む、生まれたばかりの子牛が映し出されます。子牛は次世代の希望の象徴であると同時に、どちらも自分の国ではなく国境の上で立ちすくんでしまうことを表しているそうです。

さて。

さらにQ&Aでは、衝撃的な事実が発覚する。

主役の牛は、カメラテストを重ねて選び抜かれた牛(一番みすぼらしい牛だったらしい)。撮影終了後、「殺さないで大事に飼ってね」とお願いして村の人たちに贈ったそうですが、ある日のこと、この映画のように脱走してしまい、車にはねられて死んでしまったそうな…。えええー!そんなー(涙)

また、超余談ですが、アルメニア語で「ハイ」は「私はアルメニア人です」という意味らしく、「日本に来たらみんなが『私はアルメニア人です!』『私はアルメニア人です!』と言ってるので、この映画は日本人に受け入れられると思ってましたよ」とハチャトゥリャン監督は笑っておりました。

ハチャトゥリャンという名前は、有名な作曲家にも同姓の方がいらっしゃいますけど、アルメニアに多い名前だそうで、それというのも、アルメニアはかなり早い時期にキリスト教を取り入れた国だからだそうで、ハチャという言葉が十字架を意味するんですって。

アルメニアって、まだ一部では紛争が続いてるんですよね。牛の目を通して国境について考えさせられる本作品、海外の映画祭でもいくつも賞を受賞されておりますが、日本でもまた上映される機会があるといいな。

映画の公式サイト
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by rivarisaia | 2009-10-26 18:35 | 映画/洋画 | Comments(4)

時の彼方へ

今年のTiFF、私は意図せず内戦や紛争が背景にある映画ばかり鑑賞してました。
なぜだー。
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時の彼方へ(The Time that Remains)』監督:エリア・スレイマン

これまた不思議な感覚に包まれた映画…ってスレイマン監督だから当たり前か。パレスチナ人家族の記憶を通して描かれる、1948年のイスラエル建国から現代のナザレ。スレイマン監督の半自伝的な物語。

混沌とした日常は、1歩引いてアイロニーに満ちた目で見ると滑稽でもあります。悲劇であると同時に喜劇にもなる。正義感にあふれる父親ファードもその息子エリアも映画のなかでは決して笑わないし、ひたすら寡黙。ただ冷ややかなまなざしでそんなシュールな現実をじっと見据えるのでありました。

政治情勢がカオスであっても、そこで暮らす人たちは淡々と日常生活をおくるしかない。家の前にドーンとデカイ戦車が止まってようが、ゴミ出しはするし、携帯電話にだって出るんだよ!(この場面は笑った)

そして映像もとてもよかったです。どの場面を切り取ってもすべてが絵になるのよ。オレンジ色のタイルのキッチン、見晴らしのいいバルコニーや玄関にあがる階段、家の前の植え込みなど、インテリアや建築もかわいいし、父ファード役のサレー・バクリはつくづくハンサムだ。

個人的にグッときたのは、糖尿病の年老いた母親が夜中にこっそりアイスクリームを食べる場面。冷蔵庫を開けると、扉のポケット部分に三角コーンのアイスがとがったほうを上にしてずらっと並んでた。一瞬爆撃かと思ってしまった花火のシーンも美しかった。

ラストでは、現代のナザレにぽつんと佇むスレイマン監督に哀愁を感じると同時に、これから先イスラエルはどうなっちゃうのかなあとぼんやり考えたのでした。


オマケとして、予告編をはりつけておきます。


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by rivarisaia | 2009-10-24 22:07 | 映画/洋画 | Comments(4)

5分間の天国

東京国際映画祭、『イニスフリー』につづき、こちらも舞台はアイルランドです。

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5分間の天国(Five Minutes of Heaven)』監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル

1975年、北アイルランド紛争。プロテスタント過激派メンバーの16歳の少年アリスター(リーアム・ニーソン)は、報復と警告のためにカトリックであるひとりの男を射殺する。被害者の弟ジョー(ジェームズ・ネスビット)は、その一部始終を目撃していた。

その後、アリスターは服役し、出所してからは和平活動家となっていた。そして事件から30年後、テレビ局がアリスターとジョーを再会させる番組を企画する。生放送のカメラの前でアリスターを殺そうと考えたジョーは、ナイフを隠し持って撮影現場に行くが…。


紛争の話ではなく、「その後」の話。加害者と被害者の両方が、一生抱えなくてはならない心の傷、相手に赦しを乞うことや相手を心から許すことはできなくても、未来に進むために過去と決別するにはどうしたらいいのか、復讐やうわべだけの和解とは別の道もあるかもしれない、ということを描いた物語。

アイルランドだけでなく、世界中で起きている殺人やテロに対しても共通するメッセージを伝えていると感じました。

リーアム・ニーソンとジェームズ・ネスビットというアイルランドの名優の熱演のせいか、張りつめた緊張感がビシビシと伝わってきて、たとえば、階段をおりる、あるいは階段をのぼるだけの場面なのに、手に汗にぎるくらいハラハラしました。

映画では描かれないふたりの30年間を想像して胸がつまったし、このふたりどうなっちゃうんだろうと気になって仕方がなかった。階段をおりるジェームズ・ネスビットの息づかいは、いつのまにかサッカーボールを蹴っていた少年の息づかいにオーバーラップしていき、リーアム・ニーソンの青い瞳は、過激派の少年の目だし帽からのぞく青い瞳に重なっていく。大人になったふたりには、亡霊のように30年前の自分の影が取り憑いているのでした。ほんの少し希望が感じられるラストでよかった。

それにしてもひどいと思ったのは、被害者であるジョーのお母さんですよ。お母さん、それはナイ!それはナイよ!(泣)。たぶん殺されたジョーのお兄さんは、一家にとって頼もしい期待の星だったのでしょう。お母さんの絶望もわかるよ、つらい気持ちはわかるけど、でもまだ小さい息子を責めるのは、それはあんまりだ…。

ところで、本作ですが、アイルランド在住のナオコさんのブログによれば、おふたりとも実在の人物で、映画の前半は実話に基づいており、後半の展開はフィクションだけれども、ふたりの意見を取り入れて制作されたとのことです。詳しくはぜひナオコさんのコチラの記事コチラの記事を読んでみてください。

日本で公開されるといいんですけどね。せめてDVDで出すとか、多くの人に観てもらいたいなあ。
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by rivarisaia | 2009-10-23 22:38 | 映画/洋画 | Comments(4)

TiFFまっただなかですが、全然関係のないテレビの話題を。

11月のケーブルTVはミステリチャンネルのヘンリー8世ドラマ『The Tudors』とヴェルサイユ宮殿の警察物『王立警察 ニコラ・ル・フロック』が楽しみなんですが、もうひとつ、Super!dramaTVに『The Big Bang Theory』がきたー!

『ビッグバン☆セオリー ギークなボクらの恋愛法則』と妙なサブタイトルもついてますが、この30分シットコム、私はもう大好きなので、楽しみだ。

メインキャラクターは、理系の博士で頭はいいけどちょっと変わってるレナードとシェルドンという青年二人組。そこに彼らの部屋の向かいに住むウェイトレスのペニーや、彼らの友人のユダヤ系のハワードとインド人のラージがからんで、毎回ドタバタを引き起こすコメディです。
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何がおもしろいって、シェルドン(↑)の一挙一動と、いちいちもったいぶった言い回しがおかしすぎる。これから放送なので多くは語りませんが、シーズン1では、誰にもわかってもらえないシェルドンのハロウィンの仮装とか、Physics Bowl(チーム対決物理学試合)とか、毎回大笑いでした。シーズン2もおもしろいので、引き続き放送されるといいな(レナード・ニモイが使ったナプキンをプレゼントされるシェルドンの反応が最高※)。

心配なのは吹替えかなー。シェルドンのあのおかしさがうまく出るかしら。いずれにしても毎週見よう。

Super!dramaTVのサイト



※たとえば、"レナード・ニモイが使ったナプキン" と聞いて、シェルドンは「I possess the DNA of Leonard Nimoy? 」と言うのですが、「have(持っている)」じゃなくて「possess(所有している)」なところがシェルドンっぽい。さらにつづけて「その発想はなかったわ」という発言をぶちかましますが、それはシーズン2のお楽しみにー。

待てない、という人はYouTubeのココでどうぞ。
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by rivarisaia | 2009-10-22 23:36 | 海外ドラマ | Comments(0)

イニスフリー

今年のTIFFは自分でも予想外のスケジュールになってしまい(プレリザーブを忘れていろいろ撃沈した結果、予定が大幅に狂った)、アン・ホイもヤスミンも観られません…。別の機会に上映してください。で、代わりにまずこちらの映画から。
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イニスフリー(Innisfree)』監督:ホセ・ルイス・ゲリン

先日書いた『シルビアのいる街で』の監督が1990年に撮った作品。ジョン・フォードの『静かなる男』の舞台となった、アイルランドの小さな村"イニスフリー"(実際はコング村だと思う)をめぐるドキュメンタリーですが、それ以上はどうもうまく説明しがたい。

村人たちに『静かなる男』の撮影時の思い出話を聞いたりもするんですけど、よくある普通のドキュメンタリーではなく、森に残るケルトの伝説、大昔の英雄の歴史、アイルランドの悲しい過去、アメリカへの移民…といった話をはさみつつ、パブでの語らい、草競馬やダンスパーティ、学校やお城、のどかな自然という村の風景に『静かなる男』の印象的な場面を重ね合わせながら、現在の村人たちが『静かなる男』の場面をさりげなく再現したりする。そして、この映画でもそよそよと風が吹いていました。

映画を観たというよりも、1日ゆったりとこの村に旅行して美しい光景を堪能したような気分になりまして、なんとも不思議な映画でした。

この不思議な感覚は何かに似てる…と考えていて思い当たったのは、ゼーバルトの『土星の環』の読後感。とりとめもない事柄がひとつの情景へと紡がれていくところがちょっとだけ近いかなー。もっとも、ゼーバルトのほうは、風は吹いてなくて、ひっそりと静まりかえってる雰囲気ですけど。
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by rivarisaia | 2009-10-21 22:53 | 映画/洋画 | Comments(0)

シルビアのいる街で

今年の東京国際映画祭の話をする前に、昨年のTiFFで話題になった作品を人からDVDを借りて観たので忘れないうちにその報告を簡単に。
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シルビアのいる街で(En la ciudad de Sylvia)』監督:ホセ・ルイス・ゲリン

昨年観た方々の感想を読むと、多くの人が「風を感じた」と述べていて、しかもあらすじがよくわからない。で、私の感想は、筋は好きじゃないけど、風を感じたよ!とてもよかった、です。

あらすじはこんな調子。
ストラスブールを訪れたひとりの青年。カフェでノートにスケッチをしながら周囲の女性を観察していると、ひとりの女性に目がとまる。彼女は6年前に会ったシルビアでは?

女性の後をひたすら追いかける青年。さんざん街中をつけ回した挙げ句、トラムの中で声をかけると、「私はシルビアじゃない」というつれない返事。後をつけるのをやめてほしいとも言われてしまう。そんな彼は、次の日も街の中に幻のシルビアの面影を求めるのだった。終わり


話だけみると、けっこう危ないというか怖いです。青年はハンサムの部類に属するのかもしれませんが、ヤサ顔なので私の好みじゃないし(まあ、それは関係ないが)、わけわからない青年にひたすら付け回された女性は不愉快な気分になるよねえ。

しかし、この映画の場合、あらすじは割とどうでもいいと言いますか、ストラスブールの街中をくまなく見せるための手段にすぎない気がします。ストーカーっぽい内容なのに、映画の印象はとてもさわやか。なぜなら、じつは街が主人公だから。

細い細い路地裏、ひっそりとした石畳の道、屋台のお兄さん、アパルトマンの開け放たれた窓、街のざわめき、うららかな1日に、ゆったりとストラスブールを散策している気分にひたれることうけあい。いい街だなあ。

おそらく彼は生身のシルビアには永久に巡りあえないと思うけど、シルビアの面影はそよ風のようにいつまでも街中を漂いつづけている、そんな感じの映画でした。おすすめ。
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by rivarisaia | 2009-10-19 18:13 | 映画/洋画 | Comments(0)

Fra Angelico:SKIRA社画集

ふらりと入った古本屋にて購入した小型の美術書。18.2センチ×16.7センチとほぼ正方形。シリーズになっているらしく、そのうちの2冊を買いまして、1冊はこれです。

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Fra Angelico』Editions d'Art Albert Skira刊

フラ・アンジェリコ好きなんだよねー。もう1冊は同じく好きなカルパッチョ。画集というには、小型だし、テキストの分量も多いし、何より絵の印刷の色味が濃いんですが、じゃあなぜ買ったのかというと、絵の部分がですね、別紙に印刷されていて、ページに貼り付けてあるというところにグッときました。昔の画集でたまに見かけるタイプ。

たとえば、こんなふうに

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絵の部分は別紙になってて、軽くのり付けされている。なのでペラペラしてる。1ページにドーンと貼ってあって、本体に印刷されたテキストはキャプションのみ、というタイプはよくあるんですけど、この本みたいに、本文レイアウトのなかに挿絵として貼り付けたタイプってあんまり見たことない。

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四角だけじゃなくてドーム状に切って貼ってあるページもあって、凝ってる。こういう製本って手作業なんですかねえ。フラ・アンジェリコのほうは、印刷に金色も使われてます。

惜しむらくは、本文の言語がフランス語で私には読めない、という点だ。せめてイタリア語だったらよかったのにー。似てる単語もあるので、文章をじーっと見つめているとおぼろげに何が書いてあるのか推測できそうな気になるんですけどね。といっても本当に蜃気楼よりも遠くおぼろげな感じなので、まったくアテになりません。
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by rivarisaia | 2009-10-16 23:42 | | Comments(0)

フツーの仕事がしたい

そういえば、去年ポレポレで観て、かなり衝撃だったのに感想書かなかった映画を思い出しました。うわーごめんなさい!そしてRaindance Film Festivalでベスト・ドキュメンタリー賞受賞おめでとうございます。いまさらですが、機会があればみなさまぜひご覧ください。

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フツーの仕事がしたい』監督:土屋トカチ

セメントを運ぶトラックの運転手をしている皆倉信和さん。最長で月に552時間も働いていた。でもそれがフツーなのかなと黙々と働きつづけてきた皆倉さんだったが、会社の赤字を理由に一方的に賃金を下げられてしまう。心身ともに限界を感じて労働組合に助けを求めるが、その日から会社ぐるみの組合脱退工作が始まった…


もうね、言葉もないです。じつを言うと私が長年属している某業界も、外から見れば華やかに感じそうな雰囲気を漂わせてるんですが、大手は別として、小さい会社では労基など守られているはずもなく、休みは少ないし残業は多いし、時給換算したらファストフードでバイトするほうがよっぽどよかったりして、正直サイテーだと思っていました(現に前の会社ではかなり会社に意見した)。が、一般的にはそれが「フツー」だと言われておりました。

でもね、そういう「フツー」は知らず知らずのうちにエスカレートするんですよね。そして当人の感覚も麻痺してくる。それが恐ろしいところです。

皆倉さんが言う「この業界では、フツーだと思っていた」「好きなことだから仕方がない」というのは、けっこういろいろな人が思い当たる感覚なんじゃないかと思う。

それにしても、月に552時間はありえない数字。1ヵ月31日として×24時間で744時間ですよ。744引く552は192時間。土日もふくめて1日6時間しかないんですよ、仕事してない時間が。ごはんも睡眠もそのほかの自分の時間もぜんぶその6時間におさめるのは不可能だ。

やつれ果てた皆倉さんは、ひとりでも加盟できる労働組合ユニオンを訪れて、結果として監督の土屋トカチさんがこのドキュメンタリーを撮ることになるのですが、同時に現代の日本でこんなことが?と思うような組合脱退工作との戦いがスタートすることに。

会社が雇ったとおぼしきヤクザまがいの人間に連日脅迫される、亡くなった皆倉さんのお母さんの葬儀にまで押しかける、挙げ句、皆倉さんは過労で病に倒れ入院…。明らかにフツーの仕事をしているという状況じゃないのでした。皆倉さん、この状況でよくがんばったなと思うし、彼を支えた組合の人もすごい。

フツーの仕事をしたいっていうのはそんなにまでして戦わないといけないほど理不尽な要求でしょうか? それ以上のワガママなんて言ってないんだよね。

皆倉さんの働いている会社は末端の下請けで、大元の企業の一般社員は自分たちの会社の下請けの過酷な状況についてはまったく知らないという感じだったのが、社会の縮図を見ているような気にさせられました。

知り合いの外国人(欧米系)にもかなり勧めて、何人か観に行ってくれたのですが、皆「驚愕した…信じられない」と絶句してました。そうだよね、私も驚愕した。欧米では人の権利について真剣に考える傾向があるから余計に衝撃だったんじゃないかと思う。東洋の国々ではどのように受け止められるのか興味があります。

真面目に長時間黙々と働くというのは別に美徳じゃないんだよね。働く人の最低の権利というのは守られてしかるべきだと痛切に感じさせられる映画です。こうした映画が制作されて本当によかった。

国内でもまだあちこちで上映されるようなので、公式ブログをご確認ください。予告編も観られます。
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by rivarisaia | 2009-10-14 18:59 | 映画/日本 | Comments(4)

連休は楽しく過ごされたでしょうか。私は例年のごとく演奏会がございまして、今年はこれまたいつになくプレッシャーが大きかったものですから、正直ここ1ヵ月間は、けっこういろんなことが上の空、衣替えって何ソレ、食べられんの?映画館?それ何するところ?といった具合で、失礼いたしました。本番ではいろいろやらかしつつも大事にはいたらず(火事場の馬鹿力に近い何かを発揮した)、楽しく弾けたのでよかったです。

ということで、昨年は「乾杯の歌」の歌をお送りしましたが、今年は先週あたりTwitter界隈で大騒ぎだったドゥダメルで。いいですよねえ、ドゥダメル。

ドゥダメルはシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ演奏の『ダンソン第2番』が超お気に入りのヘビロテ曲なんですが(CD『フィエスタ』に収録されてます)、パ〜ッとした曲といえばやっぱり『マンボ』ですよねー。

では、これから演奏会のみなさまは、マンボでGood Luck!


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by rivarisaia | 2009-10-13 01:45 | 音楽の話 | Comments(0)