「ほっ」と。キャンペーン

東京FILMeXのクロージング上映、チケット争奪戦に破れたわたくしですが、なんとまあ友人が当日券を取ってくれまして、鑑賞することができました。本当にありがとう!
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サースト〜渇き〜(Thirst/Bakjwi)』監督:パク・チャヌク

2010年2月に『渇き』という邦題にて日本公開が決定してますので、内容にはあまり触れずに感想はサラリといきます。まずはおおまかなあらすじ。
ある人体実験に参加した際の輸血がもとで、吸血鬼になってしまった神父(ソン・ガンホ)。ふとしたはずみで親友の妻(キム・オクビン)と関係を持ってしまうのだが…

吸血鬼とはいえ神父ですから、そこには激しい苦悩が生まれるわけです。人を殺さずになんとか食料(血液)をゲットしようとする、という非常に現実的な描写にちょっと感心いたしました。そうだよね、片っ端から殺すわけにもいくまい。現代は吸血鬼にとって生きにくい時代なのであった。

さらに神父は肉欲の罪にも悩まされる。で、その相手となる女性が曲者でして、ある意味では「純粋な聖職者が奔放な女性に振りまわされる恋愛物語」という風にも受け取れます。監督はゾラの『テレーズ・ラカン』を参考にしたとおっしゃっておりました。納得!

官能的なシーンあり、痛いシーンあり、笑いあり、と盛りだくさんで、スリムなソン・ガンホがやはりイイ味出してます。ヒロインのキム・オクビンも体当たり演技ですが、ラカン夫人にあたるキム・オクビンのお姑さんも凄い...。

吸血鬼神父の欲望と苦悩と贖罪の日々。パク・チャヌクの吸血鬼は西洋の吸血鬼ものとはひと味もふた味も違う。なんといっても、ソン・ガンホだし!
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by rivarisaia | 2009-11-30 23:59 | 映画/香港・アジア | Comments(0)

今年のFILMeXは、常連のトーさんの映画がくるかと思いきや、なぜかソイ・チェンでみんな「意外~」と心のなかでつぶやいたはず! 本作はプロデューサーがトーさんです。
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意外(Accident)』監督:ソイ・チェン/鄭保瑞 製作:ジョニー・トー/杜[王其]峰

「偶然の事故を装った殺人」を請け負う殺し屋グループがいた。彼らの計画は完璧なので、だれもがそれは「事故」だと受け止めていた。

そんなある日、ひとりの男から「父親を殺してほしい」という依頼が舞い込む。事故死に見せかけるために、いつものように綿密な計画を練り実行に移すが、アクシデントが勃発。仲間のひとりが「事故で」死んでしまう。

はたしてそれは本当にただの「事故」なのか、それとも彼らの計画を見破っただれかが、自分たちを事故に見せかけて殺そうとしているのか….。

おもしろかった~! 事故なのか、それとも殺人なのか。いかんせん本人たちは事故を装った殺人のプロなので、事故死と言われてもにわかに信じられない。猜疑心に翻弄され、 緊張感あふれる密度の濃い89分。

殺し屋グループの疑り深くて慎重な男に古天楽(ルイス・クー)、のちに古天楽が怪しいと目星をつける男が任賢齊(リッチー・レン)です。

古天楽は、お調子者からインテリヤクザ、ダメなパパから神経質な殺し屋と、じつに幅広くいい仕事してますね! 疑心暗鬼になり、仲間すらも信頼できなくなっていく古天楽は、ひたすら孤独だし、ある種の偏執狂でもある。。

映画が終わって振り返ってみると、彼がどうしてそんな人になってしまったのか、すご~くよくわかるんですけどね。人間って、信じたくない気持ちと信じられない気持ちがふつふつと湧いてくるうちに、誰かのせいにしたくなっちゃうんだよなー。

ここで、有名なカエサルの言葉を思い出しました。監督もQ&Aで似たようなことを言ってましたね。

「人は自分が信じたいと望むことを信じるものである。
(Homines id quod volunt credunt. )」ガリア戦記3巻18節-5


ある意味、登場人物全員が可哀想、というか不幸な話だった…。

「意外」とは「事故」の意味だそうですが、邦題は「意外」でよいと思う、に私も1票。展開もオチも、そして最後のほうでアレを効果的にもってきた点も、意外でした。

監督Q&Aにつきましては、CINEMA TOPICSのコチラの記事をご覧ください。
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by rivarisaia | 2009-11-28 19:07 | 映画/香港・アジア | Comments(0)

仕分け後半、あいかわらず官僚はグダグダで、もうなんだかイヤになってきましたが、今回の仕分けで私が興味津々の議題に「生物多様性」に関する事業がありました。生物多様性の保全基金創設は、縮減か...?と思いきや要求通り、関連事業も2つは縮減だけど、ひとつは要求通りでした。

そりゃあよかった。ビバ、生物多様性!

そんな折、先日、父親から以下の本を借りました。生物多様性なら「G」ではじまる黒い甲虫にも目を向けろ、と。

害虫の誕生―虫からみた日本史』瀬戸口 明久著、ちくま新書

帯の文句がすごい。

社会によって人間と自然の関係は変わる
なぜゴキブリは嫌われるのか?


ときたもんですよ。ビバ、生物多様性な私も「G」はちょっと勘弁なんだけど...。

しかし本書によれば、ゴキブリが身近な<害虫>になったのは、じつは戦後になってからだったのだ。確かに江戸時代から御器かぶりとして知られていた、知られていたけど、

ゴキブリは「食物が豊富で冬でも暖かな家でないと」住めない!


そういう家が増えたのは高度成長期のことなので、それより以前の「G」は<害虫>としては多くの人にスルーされていた。それどころか「G」のいる家は食べ物もあって冬も暖かい金持ちの家ということで「G」は豊かさの象徴でもあった。

そして。

「コガネムシは金持ちだ~」の「コガネムシ」はなーんと「G」のことなのだった。


知らなかった...。見直しちゃうね、「G」(→そうか?)。まあ少なくとも、私の家の中に家宅侵入しない限りは、外で出会うぶんには大目に見てあげようではないか。たぶん。

「G」の話ばっかり紹介しましたが、本書は害虫をあれこれと紹介する本ではないので安心してください。日本の近代化における<害虫>という概念の成立からはじまり、殺虫剤開発や害虫駆除をどのように行なってきたのかをたどるという内容です。

でも私は「G」よりも、病気を媒介したり、食いついたりする虫のほうが嫌なんだよなあ。でも殺虫剤はもっと嫌だなあ。

どこまで生物多様性保全に含むのかは悩むところですが、エピローグにあった一節にちょっと納得したので、引用しておきます。

昆虫学者の桐谷圭治は、かつて<害虫>だったダガメなどを絶滅寸前まで追い込んだのは行き過ぎだったという。そして<害虫>であっても、「絶滅限界密度」を越えて減少してしまうと、保全が必要になってくると述べている。

自然界のバランスが重要なんですよね。人間に有害な生物でも、その存在が人間に有益な生物に必要だということもありうるし、そもそも生物が多様でなければ、健全な生態系が育まれるはずないもんね。

ここまで書いて別の本のことも思い出したので、また近いうちにつづく予定。
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by rivarisaia | 2009-11-26 23:13 | | Comments(0)

ねえ、みんな、果たせなかったユダヤ人の夢をタランティーノが叶えてくれたよ!という映画でございます。
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イングロリアス・バスターズ(Inglourious Basterds)
監督:クエンティン・タランティーノ

ナチス占領下のフランス。レイン中尉率いる特殊部隊"イングロリアス・バスターズ"は、ナチス兵を次々と血祭りにあげていた。いっぽう、"ユダヤ・ハンター"の異名をとるランダ大佐の魔の手から逃れたユダヤ人ショシャナは、パリで映画館を経営。偶然にもバスターズとショシャナはそれぞれパリでのナチス撲滅作戦を計画する…


善も悪も紙一重。善人と悪人の違いって、冒頭に出てくるリスとネズミの違いみたいなものなのよ。どいつもこいつもイイ人なんだか悪い人なんだかハッキリしないけど、そこがいい。なかでもすばらしいのがユダヤ人ショシャナとナチスのランダ大佐。私としては本作の表の主演はショシャナで、影の主演はランダ大佐。

ランダ大佐は徹底してナチなのかと思いきや、意外と社会の動きに敏感といいますか、チャッカリものの世渡り上手とみた。

いっぽうで映画好きの若いナチス兵ツォラーはウザかったですね。根はいい人なのか?と思わせておいて、最終的には「チヤホヤされてカン違いしてる坊ちゃん本性」がむき出しになったので、あ、やっぱりコイツ最低と思った次第です。ランダ大佐のウィットを見習ってほしいものです。

バスターズを率いるブラッド・ピットは端役みたいなもんですが、南部なまりのアホ全開野郎でよかったです。ブラピ(とキアヌ)はアホに限るといいますか、私は「イカれたブラピなら好き」というスタンスなので、カッコいいブラピがみたい人には本作はおすすめしません。

大体からしてブラピときたら「I speak the most Italian」とか言ってたくせに、お前のそのイタリア語はなんなんだ!?(笑) ブラピが「ブォンジョルノ」と言っただけであんなに笑えるとは思わなんだ。ちなみにランダ大佐はイタリア語も流暢ですよ!

ナチス兵をバットで撲殺するバスターズの"ユダヤの熊"役にイーライ・ロス。イーライもユダヤ人ですものねえ。嬉々...もとい鬼気迫ってましたね! 最後のほうのアノ場面なんて、虐殺された全ユダヤ人の魂を背負い込んで演じてた気がします。タランティーノとイーライの深い友情がなせる技。

さて、阿鼻叫喚のユダヤ復讐劇が展開される本作ですが、何気ないようでいて、じつは水面下でテンション張りつめた会話シーンが満載。相手の心が読めなくてハラハラしたり、フランス語・英語・ドイツ語・イタリア語と"言語の違い"がカギになっていたり、腹の探り合いの言葉のかけ引きが非常にスリル満点。シュトゥルーデルになんでミルク頼むの?うすうす気づいてたの?それとも偶然?どっちー?

物語では、いかようにも歴史を書き換えることは可能。それを映画でやるならば、やっぱりアノ場面の舞台は映画館であるべきだったのでしょうね。プロパガンダ映画なんか燃えてしまえ!
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by rivarisaia | 2009-11-24 23:18 | 映画/洋画 | Comments(6)

そうそう、すっかり書き忘れてたけど、こちらで感想書いた『コラライン』は日本公開決定しましたよ!

2010年2月から全国公開で配給はギャガです。どうやら3D公開っぽいんですよね。DVDだと3D映像は赤青めがねでお話にならない画質だったので、3D映像なら映画館で観たい。でも吹き替えしかやらないのかなー。

そしてコララインの「もうひとりのお父さん」ソングを歌っていたのがThey Might Be Giantsだということにいまさら気づいた私です。They Might Be Giants、デビュー時からあんなに好きだったのに、遅いよ、自分..。

They Might Be Giantsといえば、学生のころはアメリカのカレッジ・チャートに必ずトップランクインしてたのに、日本に帰ってきたら知名度低くてちょっとショックだったのも思い出しました。最近の子ども向けの音楽もかわいいよねー。

「ANA NG」は曲もMVもいまだに大好きです。

ということで、なつかしくなっちゃったので『コラライン』公開記念にTMBGのビデオをどうぞ!

名曲「ANA NG」


名曲中の名曲「Istanbul」はオリジナルのMVが見つからなかった...。


超かわいい!「仕事になんて行かないよ」ソング


これもアニメーションがかわいい。

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by rivarisaia | 2009-11-21 21:30 | 音楽の話 | Comments(6)

なんだかリクエストもございましたので、映画版の感想もさっさと書いておきましょう。あわせて観るとよいと思いますよ。生徒役で実際の教え子が登場しますし(ホセとか!)、有名演奏家もご本人が登場します。

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ミュージック・オブ・ハート(Music of the Heart)』監督:ウェス・クレイヴン

先日書いたドキュメンタリー『ハーレムのヴァイオリン教室』をもとに、メリル・ストリープ主演で映画化したのが本作です。

夫に捨てられてしまい、女手ひとつでふたりの息子を育てなくちゃならなくなったロベルタは、ヴァイオリンの臨時教員の職にありついた。が、その学校に通う子どもたちの家庭環境はかなり荒んでいた…

というところから物語はスタート。校長先生もロベルタの採用にはまったく乗り気じゃないし、ある黒人生徒の母親は「なんで白人の音楽をやんなきゃなんないのさ」と子どもが授業に通うのをやめさせようとする。ようやく授業が軌道に乗ってきたかと思えば、今度は自分の息子がグレていた...とまあ、前半は、ロベルタ先生の山あり谷ありヴァイオリン・クラス奮闘記という感じです。

が、ロベルタ先生のすごいところは、後がナイというせいもあるでしょうが、とにかくメゲないところ。これはふつうの人にはなかなかできないと思うよ。ロベルタ先生のヤル気が周囲の人に伝染していき、いつのまにかまわりのみんなが超ヤル気になっている。伝染するんですよ、ロベルタ先生のヤル気は。

「頼んでもないのに、スラムの子どもを救おうとする白人教師っているのよね」と前述の黒人生徒の母親にイヤミを言われても、「救う気なんてさらさらないし、こっちだって自分の子どもを養うために仕事でやってんの!しかもあんたは、自分の子どもが生き生きした顔で弾いてるの知らないでしょ!」と言いかえす。そして、この母親もやがては先生の協力者になっていくのであった。

映画の後半は、クラスが大人気になり、家庭内の問題も解決して順風満帆の10年後。

突然の市の予算カットで存続の危機に立たされるヴァイオリン・クラス。クラスの継続資金のチャリティ・コンサートを開くことになったが、コンサートの6週間前、会場の「92nd Street Y(YMHA)」が使用できなくなるというアクシデントが。さあ、どうなる!


ロベルタ先生のヴァイオリン・クラスの受難はつづくのですが、今度はロベルタ先生とまわりのみんなの奮闘記、に変化しています。生徒はもちろん、校長先生も親たちも友人も、反抗期だった息子たちも協力者になってるよ。

すごいね、ロベルタ先生のヤル気。

むしろ先生のほうが弱気になって、まわりに助けてもらったりしてるのよ。当初の会場(字幕だとYMCAになってた気がしますが、YMHAの間違いですよね)がダメになって、カーネギーホールって、弾くほうも足がすくむと思うんだけど、ドキュメンタリーでもわかるように実際のコンサートの演奏はすばらしかったし、ホールは下から上まで満席状態でした。

ロベルタ先生はまさにガチ。

ガチの情熱は氷を溶かし岩をも動かす、いや、岩ですらガチのために自ら動く、というよい見本のような話です。

足が悪くてしっかり立てない生徒に「人間はね、足だけで立つんじゃない。気持ちで立つのが大事なのよ」とロベルタ先生は言うわけですが、大きくなったその少女とイツァーク・パールマンが同じ舞台に立っている姿も象徴的でした。パールマンも幼い頃の病気で下半身が不自由になったけど、夢をあきらめずにヴァイオリニストとなった人です。

とまあ、このように素直に感動できる本作品ですが、実は私がいちばん感動したのは、

監督がウェス・クレイヴン

という点だ。『エルム街の悪夢』も『スクリーム』も傑作ですものねえ。しかもこれでホラー路線から離れるのかと思いきや、いまも変わらずホラー街道まっしぐらというところもすてき。本作だって、こだわり屋のウェス・クレイヴンじゃなかったら、中途半端な感動作になったんじゃないかという気もしないでもないですよ。ウェス・クレイヴンもガチですね、きっと。
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by rivarisaia | 2009-11-20 23:43 | 映画/洋画 | Comments(4)

仕分けの続きはまた来週でございますね。そりゃそうと、予算削減といえば、大昔から何かというと削減される分野のひとつが芸術関連。子どもの芸術教育なんていうのも予算カットされがちで、議論を呼ぶ。

ただ、なぜか日本の場合、芸術だけ特別視して「よい子を育てる万能薬」みたいに思ってるエライ人々も多いのですが、それはちょっと違う気もしますよ。何事もバランスが大事なので、ほかの教科と同じように芸術も大切、ということじゃないのかしらね。

芸術を特別視せず自然にカリキュラムに取り入れて成功した例に、アメリカのセントラルパーク・イースト公立学校があります。ただし、この学校のプログラムが効果的だったのも、周囲の環境をふくめさまざまな要因があってのことで、これがそのまま日本に当てはまるわけではない。

で、その学校のヴァイオリン教室のドキュメンタリーがこちら。

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ハーレムのヴァイオリン教室(Small Wonders)』監督:アラン・ミラー

メリル・ストリープの『ミュージック・オブ・ハート』の元になった話です。『ミュージック・オブ・ハート』の感想は別に書きます。

1990年のNYイースト・ハーレム。10年つづいたロベルタ・ガスパーリ先生のヴァイオリン教室は、市の予算削減で存続の危機にあった。ヴァイオリン教室存続のため、大勢の人たちの支援を得て、1993年10月、カーネギー・ホールにて、アイザック・スターン、イツァーク・パールマン、五嶋みどりなど、一流ヴァイオリニストと子どもたちのチャリティ・コンサートが実現する。


映画は、クラスができるまでから、予算カットされてコンサートを実現するまでの苦労話になってますが、ドキュメンタリーでは、コンサートに向けた練習から本番当日までのロベルタ先生と子どもたちの姿を映しています。

ロベルタ先生は3つの小学校で教えていますが、この三校から成るセントラルパーク・イースト公立学校は、設立者デボラ・マイヤーの「芸術は学校教育の基本で、芸術を軽視する学校は損害を与えるだけ」という理念のもと、芸術教育に力を入れています。

ヴァイオリンクラスは大人気だけど、全員にヴァイオリンを習わせるのは経済的にも組織的にも困難なので、生徒は抽選で選ばれる(もちろんほかにも音楽のクラスはある)。

この抽選会のようすもおもしろい。「練習が厳しいからやりたくないよー!」と泣き出す子どもが「やりたくないならやらなくていいのよ」と担任の先生になぐさめられたり、当選した子どもが「きゃっほー!」と大喜びしたり。そして当選した生徒には全員にヴァイオリンが貸し出されるんだけど、肩当ての代わりにスポンジをひもでくくりつけてました(なるほど)。

「どんな子でもヴァイオリンは弾けるし、何かに成功して自信がつくことが大切」というロベルタ先生のレッスンは厳しい。リハに出られないならメンバーから外す、期日までに暗譜できないなら、次回から来なくていいと容赦なく言う。日本でこれやるとモンスターペアレントが怒りそうだけど、厳しいからこそ子どもも超真剣に練習してます。

ロベルタ先生は、クラス存続のために「オーパス118音楽センター」という基金を設立し、コンサートも実現、結果として市の教育委員会から予算が下りることにもなるのですが、ぜんぶひとりでやったわけではありません。

ほかの教師はもちろん、親の理解がなければクラスは成立しなかったし、プロの音楽家の協力がなければコンサートもできなかった。また、メディアやコンサートの観客も間接的な支援者でした。

つまり、先生や学校だけががんばってもダメなんですけど、これまたどういうわけだか、日本の場合、教師と学校に責任まるまる押しつけというケースも多い。教育だけに限らないけどさ。まず、そのあたりの意識を変えないと、予算だけもらってもあまりよい結果にならない気がする...。
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by rivarisaia | 2009-11-18 23:59 | 映画/洋画 | Comments(2)

聞くところによると、本日の仕分けWG2は生活保護関連でかなり建設的な議論が行なわれたみたいですね。今日はずーっと外出していたため、聞けませんでした。残念。

仕分け項目が多すぎて追っかけられないので、全項目をわかりやすくまとめてニュースで放送してくれるといいんだけど、ニュースは一部しか取り上げてくれない。事業仕分けのサイトでは、項目ずつPDFで、見にくいったらありゃしないのだった。まあ、いいか...。知りたきゃ、手間を惜しむなってことよね。

私が個人的に見ておきたい項目はまだ日程に入ってこないんだけど、いつになるのかな〜。

また、来年は「仕分け」やらないという首相の発言をどこかのニュースで見た記憶があるんだけど、そうなの? こういうのって予算組の際に毎年やったほうがいいんじゃないのかしらね。省庁の方々に自覚と責任意識をもってもらうためにも。
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それにしても、なぜにみんな(特に官僚のみなさん)はあんなに丁寧な口調なのだろうか。「です、ます」と簡潔な発言のほうがいいのに。「ご報告でございます」「〜でございますので、〜ということでございます」という「ございます」口調は、丁寧なようでいて、あまりにつづくと慇懃無礼にも聞こえるし、まるで他人事のようでもある。国会の野次のような下品な口調もイヤだけど、丁寧すぎるのはちょっと微妙。あれは、なにかそうした風習や慣例があるんですかね...。

写真は、いつか仕分けなくちゃなあと思っている貝の一部。この場合の「仕分け」は、「品物などを分類、整理すること」の意ですね。
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by rivarisaia | 2009-11-16 20:46 | 日々のよもやま | Comments(2)

今週は国の「仕分け」こと行政刷新会議がスタートし、もう目が離せず、可能な限りネットライブをつけっぱなしの状態で仕事しているうえに、Twitterでも仕分けのことばかりつぶやいててすいません。

仕分けについてのグループ分け、日程、タイムテーブル、結果などについては行政刷新会議のサイトをご参照ください。全体で3つのワーキンググループ(WG)に分かれていますが、私は連日WG3を追っていました(昨日の中継はまったく見られなかったので、2日とも文科省)。

Twitterでも勘違いをしている人がいるけど、「仕分け」はその事業を「不要」「民間委託」「国ではなく都道府県が行うべき」と仕分けをする公開討議で、そこで出た結果は決定ではなく、あくまで参考材料として扱うものです(コチラを参照してください)。

なので、予算削減だとか不要と「仕分け」の場で言われても、どこまで実際にそうなるのかは不明だし、問題もいろいろあるけど、財務省主導の劇場型と言われようが、どこの省庁がどんな事業をどのように実施しているのかを一般が知るよい機会、「仕分け」自体はとにかくやってみたらいいじゃないか、という気持ちです。

仕分け対象が予算を切りやすいものになっているため、仕分け人は当然ながら、その事業をはなから潰すイキオイで攻めてくるのは想定内のはずなので、官公庁も負けじと反論してくると私は考えていました。

が、見ていて切実に感じたのは、Twitterでも書きましたが、以下の3点。

・省庁の役人のプレゼン&ディベート能力が低すぎる。
・省庁と現場に深い溝があり、どうもちゃんと事業の意義と現場を理解していないような役人の発言が多すぎる。
・官公庁がタテ割すぎて、横との連携や地方・民間との連携がまったくできてないのがますます浮き彫り。


仕分け人のツッコミって、的を得ているときもあるんだけど、アホか、と思える意見もある。それに対して的確に反論できない省庁担当者。当然突っ込まれるであろう数字も答えられなかったり、質問に対する答えになってなかったり、事業の意義をアピールできなかったり、あまりに官僚のレベルがお粗末すぎる。

きちんと反論し、討論ができていたのは、科学未来館の毛利さんだけだった。聞かれるであろう数字をパネルにして提示し、赤字と判断する財務省の認識自体が間違っているとハッキリ反論したのも私が見たなかでは毛利さんだけだ。また、毛利さんは財団法人を介する未来館の運営構造に問題点があり、見直しの時期にあるとも指摘していた(運営の二重構造についての評価報告は3年前にすでに文科省に提出済みだそうで、ここでも現場と官公庁の溝が露呈)。

初日の芸術家支援、子ども教育同様、本日の科学技術研究支援も縮減の嵐で、しかも仕分け人の論旨は時折めちゃくちゃだった。

たとえば「(理科教育をすることで)子供が理科を好きになる保証は」という仕分け人の愚問に、なぜ、教育で重要なのは「子供に理科を好きになるチャンスを与える」ことであって、「好きになってもらう」のではないと即答できないのか。ここでの文科省の返答は、理科支援は先生や校長の評価が高い、といった内容が中心になっていた。そんな回答では突っ込まれるに決まってるじゃないか。

そしてなぜ、目先の利益を問うてくる仕分け人に、研究の価値は目先の利益を生むことだけではないことを説得できないのか。

とにかく、仕分け人の酷さよりも官僚の酷さにクラクラするんですが。ダラダラと意味不明の言い訳ばかりなんだよな。それでは説得力はあるまい。

いろいろ思うところはあるけど、私の本日の結論はTwitterでのこのつぶやき。
@harumaki_r:科学者・研究者には酷な結果になっているようですが、逆手にとって、研究の意義を社会にアピールするよい機会に変えないと前進しない。いままで行政と社会にどれだけ訴えてこれたのか振り返って、将来を考えないと。


また本日、私がRetweetした発言は以下の通りです。
@parsonii この議論を見て科学者コミュニティがこれからどうすべきか考えよう。研究するのはもちろんだが、経済効果以外の研究の意義や魅力をしっかり伝え、人の心を動かしていかなくては。その「心の動き」こそが基礎科学の人類全体へのリターンであるはず

@K_Tachibana 今までなあなあで済んでいたところがまったくの第三者にさらされてきちんとした説明が求められた今日のWGはある意味画期的な機会だったとは言える


Twitter上では、本日のWG3の議論が活発になっていて興味深いですが、私は今日の仕分けの結果をみて、研究者は「日本もうだめ〜」と悲観するのではなく、みなで立ち上がってアピールするよい機会ではないか、と考えます。

そもそも政府なんてアテにできないのはわかってるじゃん。たとえば、待遇がよさそうなアメリカだって、日本の仕分け以上に政府やキリスト教原理主義と激しく戦っていたりするわけさ。詳細はここに書けませんが、私もかつてある件でいろいろと無償で動いたことがあるのだけど(日本で)、きちんとアピールすればいつかちゃんと成果は出るよ。

追記:そうか、アメリカにはAAASUCSがあるんだよね。日本にもつくるべきだよなあ。補足ですが私が上に書いたのは、ひとりで戦えってことではないです。ひとりではまず無理。団結しなくては。

さらに追記:いちばん仕分けられるべきは官僚か?という気分にすらなってきた。日頃、大変な責任のある仕事をしている官僚の方々には高いお給料を払っても問題ないと考えているのですが、もうちょっとがんばってくれないと困ります、とまたもや思わされた。

さらなる追記:文科省には直接意見を伝えたほうがいいような気がする人は、以下からどうぞ。
http://www.mext.go.jp/mail/index.html

また、Twitter上での科学技術政策関係の議論の場として、future of scienceが立ち上がってますので、興味のあるかたはそちらをどうぞ。ハッシュタグは、#f_o_s です。
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by rivarisaia | 2009-11-13 23:58 | 日々のよもやま | Comments(0)

最近、「絵辞書」を購入したんですが、なかなかよかったので、ご紹介。「ビジュアル・ディクショナリー」なるものはすでに2冊あるんですけど、これはちょっと変わってる。しかもいまならAmazonで23ドル10セントとお買い得。
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Pictorial Webster's: A Visual Dictionary of Curiosities
 John M. Carrera著、Chronicle Books刊

19世紀のウェブスターの版画で構成された辞書です。512ページと分厚いですが、本自体の重さは思ったよりも軽いです。本文は単語と絵が載っているのみで、それ以上の説明はナシ。逆にこのいさぎよさがよい。中ページはどんな感じかというと、

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いろんな色の単語を重ねている見返し(左)もきれい。右が「K」のページ。このように全ページにわたって絵と単語が配置されてるだけ。

後ろのほうの40ページ分くらいは、この辞書の制作ノートとかWebsterの挿画についてなど、オマケ的な読み物になっていて、その内容もちょっと変わってておもしろい。

何かの勉強に役立つというよりは、版画を眺めて楽しむついでに単語を覚えるかもね、という本。イラストなどの参考資料としても使えるかもしれませんね。何より、辞書の挿画マニアには垂涎の1冊。そんなマニアがいるのかどうか知らないけど、私は辞書の挿画はけっこう好きです。作者も辞書の挿画マニアなのかしら...。
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by rivarisaia | 2009-11-12 01:01 | | Comments(0)