「ほっ」と。キャンペーン

今日はアカデミー賞でございました。『ウィンターズ・ボーン』に取ってほしかったけど、まあ大方の予想通りの結果。長編アニメーションも、本当は『ヒックとドラゴン』か『イリュージョニスト』にあげたかったけど、『カールじいさん』が受賞してて『トイ・ストーリー3』が受賞しないなんてことはあり得ないので、これまた仕方ないね。

もはや受賞するしないはあまり関係ないかも。どれが受賞してもいいや。

さて、短編アニメーション部門では、個人的にはこのショートアニメーションが取ったらいいな、と思ってたので、受賞逃して残念! 12分のアニメーション。

マダガスカルのトラベルノート(Madagascar, carnet de voyage)
監督:Bastien Dubois

タイトル通り、本作は帳面派による帳面派のためのアニメーションです。アヌシーやオタワでも受賞していて、日本ではシネフィル・イマジカでも放映されました。

マダガスカルを旅行した監督のトラベルノートがそのままアニメーションになったかのような作品。旅先で描いた水彩画やスケッチ、写真やチケットなどのスクラップが、立体的になって音がついて動いてる!というところが何より楽しいし、イラストのタッチや色の使い方、ラインが好き。

あらすじは、マダガスカルで知らない人と友だちになって、その人の親戚の家までバスで旅してお葬式に参加する、というのが大きな流れ。旅行で葬式?と思うかもしれませんが、この弔いの伝統儀式が味わいがあってとてもよいのです。

短編アニメーションってなかなか観る機会がないかもしれませんが、チャンスがあったらぜひどうぞ。そういう意味でも、シネフィル・イマジカの存在はとてもありがたい。

トレイラーはこれ。




短編アニメーション部門の受賞作は『The Lost Thing』でした。これって Shaun Tan の絵本が原作だったのね。Shaun Tan の絵本は『The Arrival』がとても好きです。『The Lost Thing』も観てみたい。
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by rivarisaia | 2011-02-28 21:56 | 映画/洋画 | Comments(0)

アフターライフ

前に、アメリカ版の予告みてて、へええどんな映画なんだろ、と思ってたら華麗にDVDスルー。リーアム・ニーソン、クリスティーナ・リッチ、ジャスティン・ロングが出演してるのにねえ…と思いきや、実際に観てみるとまあDVDスルーでもいいか、という感じではあった。リーアム・ニーソンはイイ味出してるんですけどねえ。
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アフターライフ(AFTER.LIFE)』監督:アグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー

事故で死んだ女性が葬儀屋のもとに運ばれてくる。そこで彼女は目をさますが、死者と話すことができる能力をもつという葬儀屋から、自分がすでに死んでいることを告げられる。だが、どうしてもそれを受け入れられない彼女は…


ホラーなんだかミステリーなんだかサスペンスなんだか、よくわかんない話ですが、おそらくその全部。葬儀屋を演じるリーアム・ニーソンは、悲壮感漂う陰気な人物。

葬儀屋リーアム・ニーソンは、どうやら生を充実してない人が嫌いらしく、死んでるのに死を受け入れられないクリスティーナ・リッチに対し、かなり手厳しいことを言う。どうやら死人のグチばっかり聞かされていて、心底ウンザリしているようす。しかし、死人に対してもう少し親切にしてやったらどうかね、という気もしなくはない。

いっぽう恋人ジャスティン・ロングも突然の彼女の死が信じられない。死を受け入れることは、本人にとってもまわりの人間にとっても、かくも大変なことなのであった。

で、ここから先、結末まで思いっきりネタバレしますので、知りたくない人は読まないように。

結末まで知ってもいいならどうぞ
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by rivarisaia | 2011-02-24 23:48 | 映画/洋画 | Comments(0)

リビアとイタリア

中東〜北アフリカの混乱拡大は、あららら…という気分で見つめていますが、当分収拾つかなそう。今の政権がよくないから倒したいと立ち上がるのも、倒した後によい政府を樹立するのも、基本的にはその国の人たち次第ですからねえ。他の国の政府や国際機関の手助けも必要なこともあるけれど。

それにしても昨晩のカダフィ大佐の演説は、えらく長かった…(BBCが「もう1時間も経ったんで」と打ち切ったのに笑った)。傭兵をやとって国民を攻撃してる時点で、カダフィ大佐には「終 了」というフラグが立ってるんだけど。大佐は過去にムハンマドの映画に大金を出資した割には、映画のメッセージをちゃんと受け取ってないようす。むしろ資金が流れた『ハロウィン』のほうがお好みなのでしょうか。

では、最近のTweetのまとめと個人用メモも兼ねて、リビアとイタリアについて復習。

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リビアと北アフリカの件でいま戦々恐々としているのがイタリア。もともとリビアはイタリア王国時代の植民地だった、ということを先日思い出したのですが、そんなわけでイタリアとリビアはいまでも密接な関係がある。石油やガスの輸入もそうだし、植民地時代の賠償金も払ってる。大体からしてベルルスコーニとカダフィ大佐はとても仲良し(たとえば Repubblicaのこの記事)。

ですから、EUがリビアを非難しても、イタリアは最初はおよび腰で、ワンテンポ遅れて「暴力はよくない」という声明を出しました。さらにイタリアは北アフリカからの不法移民問題を抱えているという状況もあります。近年、イタリアは移民排斥の方向にあり、リビア政府と組んでリビアからの不法移民を厳しく取り締まるなどしていました。

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シチリアの南に位置するランペドゥーサ島(図の四角の位置)が移民の上陸地点となっており、またランペドゥーサには移民収容施設もあるのですが、一時期、定員850人なのに2000人近く収容して環境が劣悪だったり、大脱走が起きたり、UNHCRに懸念を表明されたりと、いろいろ問題があったわけです。

イタリアには北部同盟という政党があり、この方々は、貧困とマフィア問題を抱える南部イタリアを切り捨てたいと考えていたのですが、最近では排斥すべきは南部よりも不法移民!とターゲットを変更、じわじわと南部イタリアでも支持者を増やしています。

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その北部同盟のマローニ内相はかつて「Per contrastare l'immigrazione clandestina non bisogna essere buonisti ma cattivi(不法移民に対抗するには、善人である必要はない。悪人にならなくてはいけない)」と発言し、物議を醸したこともあります。写真がマローニ氏。ポッケから緑のハンカチーフがのぞいてますね。緑は北部同盟のシンボルカラーです。

そこへきて、この中東〜北アフリカ動乱。チュニジアから5日間で約5000人がランペドゥーサに押し寄せた(AFPBBの記事)。

マローニ内相は、テレビの取材に「チュニジアのシステムは崩壊し始めている」と述べ、イタリア警察をチュニジアに派遣して不法移民の流出防止にあたらせてもよいと発言した。これに対し、暫定政府側は衛星テレビ局アルアラビアに「容認できない」と強く拒否した。


マローニ…。イタリア警察をチュニジアに派遣ってあんた…。

そして沿岸を警備している Frontex(欧州対外国境管理協力機関)がヘルメス作戦とやらをスタート(プレスリリース)。よくわからないのですが、この記事を読むと、難民の乗った船を押し返すのは禁止で、安全な港へ誘導する、というものらしい。うまくいくんですかね。

ということで、当分、欧州もひっくるめて混乱が続きそう。そういや日本だって難民条約に加盟してんのにね。だから他国事じゃないかもよ。


●参考記事リンク
Immigrazione, Italia e Libia insieme per pattugliare ... /la Repubblica
ランペドゥーサ島を目指す難民の死/国境なき医師団
イタリア:相次ぐ難破により、増加の一途をたどる犠牲者/国境なき医師団
イタリア : 島からの送還で危機にさらされる数百人の移民/アムネスティ
チュニジア不法移民がイタリアに大挙流入/AFPBB

ランペドゥーサの施設の状況をレポートするこの記事もすごい。イタリア語読める人はどうぞ。
Io clandestino a Lampedusa/L'espresso

余談ですが、イタリア人の知人いわく、イタリアの新聞「Corriere della Sera」はかなり保守、基本ベルルスコーニのおべっか使い新聞、だそうなので、コリエレとレプブリカの読みくらべすると面白いかも。
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by rivarisaia | 2011-02-23 19:03 | 日々のよもやま | Comments(2)

レバノン

リビアがもはや虐殺と呼んでもいい状況になってますね。メディアが現地に入れないので、どこも裏付けが取れてないというただし書き付きで報道してますが、La Repubblicaでは285人が死亡の記事。実際がもっと多そうだし、まだまだ増えそう。

ところで中東といえば(リビアは北アフリカだけど)、1月頭にこの映画を観たことを思い出した。2009年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。見終わった後にモヤモヤしちゃったので放置してた。
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レバノン(Lebanon)』監督:サミュエル・マオズ
イスラエルによるレバノン侵攻。4人の若い兵士の乗った戦車からみた戦場とは…


ほぼ全篇、戦車の中が舞台。外の戦場のようすは戦車のスコープから覗いた映像として展開します。戦車に乗っているのは、弱気な新米砲撃手、大人しい運転士、命令系統を無視する短気な砲弾運び係、現場慣れしてない隊長、という実にダメそうな4人。砲撃手は新米のせいか、作戦には失敗するし、おい、今スコープを向けるのはそっちじゃねえ!という方向を見ていたりする。

今何が起きているのか、自分たちはどうしたらいいのか、スコープから見える視界の限られた外のようすと、時折戦車に乗り込んでくる部隊の指揮官の命令だけが頼り。わかっているのは、部隊とともに進軍すること、テロリスト(って誰よ?)に遭遇したら攻撃すること、集合地点であるホテルに向かうこと、この3つ。作戦の全体像も、刻一刻と変化する状況も、戦車に乗ってる4人も観ている私もよく把握できないという、最初から最後まで非常にもどかしい映画です。

閉塞感やじわじわと充満する不安、戦争の悲惨さ、というのは伝わってきます。でも、どんなにリアルに描いても実際の戦争のほうがもっと悲惨であろうことは想像できるよね。それ以外の要素があえて省かれているので、戦車のスコープから覗いた戦場同様、レバノン侵攻のイスラエル側からのほんの断片しか見えてこない。それが、だから何なのというモヤモヤしたものが残る要因だったのかもしれません。もしかすると、わけもわからず参加した新米兵士も同じようにモヤモヤしてるんだよ、ということなのかもしれないけど。

話は大きくそれますが、戦車内のトイレはどうしているのだろうか、という謎は解けました。箱のようなものにしてました。
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by rivarisaia | 2011-02-21 16:33 | 映画/洋画 | Comments(0)

滝山コミューン一九七四

本書を読んだのはハードカバーで出た直後なので、3年以上も前だけど、読了後に戦慄し、感想を書きなぐったものの支離滅裂になって消去しちゃったのだった。先日『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』をみた際、この本を読んだときに抱いた気持ちとかぶるものがあったので、書いておく。
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滝山コミューン一九七四』原武史著、講談社

東京郊外のマンモス団地の小学校で、全国生活指導研究協議会(全生研)の指導により「みんな平等」を合い言葉にした「集団づくり」という教育が行われていた。それはどんなものだったのか。ソビエトの集団主義教育を取り入れたその実態は、平等でも自由でもない、子ども同士の監視社会であった。


たとえば著者の学校では、クラスを班分けし、わざとダメな班(ボロ班)をつくって子ども同士を競わせるということが行われていた。私は著者よりも世代が若く、ここまで酷くはなかったけど、それでも小学校時代に似たような経験をしている。ボロ班はなくとも班競争はあったし、カルトじみたキャンプファイヤーや卒業式のバカっぽい「わかれのことば」も、前回書いた「帰りの反省会」という名の吊るし上げもほぼ同じ……と背筋が凍った。

みんな一緒に団結するのは、それが自然にそうなったのであれば、とても楽しくて感動しちゃうんだろうけど、強制されたらどうだろう。もしかして、やたらと「感動」を煽る世間の風潮は、この頃にそういう教育を受けてた人たちが社会の実権を握っているからだったりして。

集団生活で大切なのは、みんな一緒ということではなくて、あなたと私は違うけど、その違いをお互いに尊重しなくてはなりませんよ、ということじゃないの? 違うの?

私の手元には小学校の通信簿があるが、6年間×3学期、どの先生もみな見事に私のことを「明るく人から好かれますが、協調性がありません」と書いている。

この、協調性がないくせに、どうしたことかいじめられっこにもならず、友だちがいて明るく好かれている、という点が、じつは教師にしてみれば非常に厄介な存在だったのではないだろうか、と大人になってから思うようになった。いじめられっこだったら、教師も一緒になってスルーすればいいんだよ。だって実際、往々にしてそうしてるもんね。イジメがあったなんて気づきませんでした、とか言ってさ。

正直なところ、学校では友だちと楽しくやっていても、先生には疎まれているっぽいというのは気づいていたが、あの教育システムの裏に全生研とやらの集団主義教育という思想があったのかと知った今、お前らふざけんな、という気持ちでいっぱいだ。

最悪だったのは4年の時の担任。えこひいきのある男性教師で、いまにしてみれば、あれは「協調性のない」生徒たちを教師みずから目のカタキにすることで、自然とクラス内にそれを察知させ、いわゆる「ボロ班」に該当するグループを形成させようとでもしたのだろうか、と思うほど。だとしても、それはうまくいかなかった。だって「明るく人から好かれて」いる邪魔な存在がいるから(苦笑)

考えられないだろうけど、その男性教師は、ひいきの男子生徒には媚びるようなウケ狙いをし、ひいきの女子生徒は自分の膝にのせたり、お尻をさわったり、抱きついたりしていた。目のカタキにする生徒に対しては「お前の兄姉は頭がいいのに、お前はバカだ」と全員の前で言い放ったり、描いた線の長さが0.1ミリ違うとか難癖つけて顔を叩いたりするわけ。

私なんか、三角形の角度がピッタリ45度じゃないと言われて、顔を往復ビンタされたからね。鉛筆の線が分度器の線より太いせいだった。泣きながら鉛筆を細く細く削って、書き直した。それでも抱きつかれるよりは、ビンタのほうがマシである。

さらに「はあ?」という出来事は、授業中、なんの脈絡もなくいきなりクラス全員の前で「子どもの頃にアメリカに行ってたやつは鉛筆も満足に持てないのか」と言われたこと。アメリカに行ったことと私の鉛筆の持ち方との間に何の因果関係が? この先生、バカなの?

「あの先生はちょっとおかしい」とまわりの友だちに話していたが、それでも1年間でけっこうウンザリしたので、5年生になっても同じ先生だったら親に訴えて学校を辞めさせてもらおうと決めた。幸い担任は変わったが、これはこれで問題のある先生だったので、学校の先生には何も期待しない子どもが一丁あがり、という次第なのだった。
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by rivarisaia | 2011-02-18 20:30 | | Comments(0)

中東情勢が落ち着かず、バーレーンも大変なことになってますね。多くの血が流れるのは勘弁してほしい。

ところで「革命」という言葉の概念が東洋と西洋では異なる気がするのですが、特に日本は過去に本来の意味での革命は経験してないよねえ。だから革命って何なのかよくわかってないんじゃないかと感じる今日このごろ。

先日、永田洋子が死んだというニュースをきいた際、「実のところ連合赤軍って何、永田洋子ってどんな人」と家人に聞かれ、あーあの映画みればいいんじゃない、となげやりに答えたらDVDを借りてきたのでみてしまったのがこの映画です。腹立たしい気分になるのはわかっていたので、全然みるつもりはなかったのに。

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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』監督:若松孝二

母親に連合赤軍の映画をみたと話したら「わー、気持ち悪い! 気持ち悪いでしょ、あの人たちバカなのよ、そんなの見ちゃだめよ、目の毒よ!」と即答され、大笑いしましたが、本当に気持ちの悪い話。ドイツ映画の『es[エス]』のように閉鎖的な環境に押し込まれると、理性なんて吹っ飛ぶという状況でもあったけど、そもそもそれ以前に言葉に酔いしれてまわりが見えなくなっているのだから、どうしようもないです。そんなの、革命でもなんでもないよ。

この映画をみていて、私がひたすら胸くそ悪い気分になったのは、連合赤軍の行っていた「総括」が、かつて読んだ『滝山コミューン一九七四』を思い出させたからでもあります(この本については後日→さっそく書いた)。

Twitterにも書きましたが、文革や全共闘のやってた自己批判、あるいは連合赤軍の総括は、小学校の時に私が心底憎んでいた「帰りの反省会」です。帰りの反省会はもはやトラウマになっていますが、なんであんなことを子どもにさせる必要があったのか。ほんとにふざけんな。

帰りの反省会が今も行われているかどうか知らないけど、肉体的な暴力を伴わないだけで、教師公認の「総括」まんま。くだらない話題でさっさと終わるときはまだいいですよ。バカじゃないの?と思ってりゃすむから。自分が何か言われたときも「すみませんでした」と神妙な顔をして、心の中でアッカンベーをしてればいいし。

問題なのは、特定の生徒をターゲットにした吊るし上げが一部の生徒によって行われたことが何度かあったという事実で、暴走する同級生を止めようとしたら、こっちにも火の粉がふりかかり、悪夢のようだった。それでも教師がだまって見てただけだったのがいまだに信じられない。これでは多くの子どもが何も言わず、じっと下を向いてるのも仕方ないと思った。そういう時に下を向かないことを教えるのが教育なんじゃないのか、と子どもの私は憤慨した。もはや教師公認のイジメであって、私はあの時の教室内に充満していた異様な空気を絶対に忘れない。
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by rivarisaia | 2011-02-17 19:28 | 映画/日本 | Comments(0)

Serena:アパラチア小説

久々にアパラチアのお時間です。相変わらず、私はアパラチアを舞台にした小説やら映画に興味津々でして、今回もまた、アパラチアといえばロン・ラッシュ。ということでロン・ラッシュの長編です。アパラチアのマクベス夫人、という評もどこかでみましたが、マクベス夫人より冷酷。
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Serena』Ron Rash著 Ecco

『Pemberton's Bride』という短編(中編)から誕生した長編。1929年、ボストンからノースカロライナへと移住してきたジョージとセレーナのペンバートン夫妻。彼らはこのアパラチアで大規模な材木業を営もうとしていた。男勝りで、ビジネスにおいても次々と手腕を発揮するセレーナだが、彼女は冷酷な野心のかたまりでもあった…。


のっけからいきなり殺人。じつはジョージには、セレーナと結婚する前に夜を共にした女性がいて、彼女はジョージの子どもを産んでいた。これが物語上、大きなファクターとなります。

セレーナは、ガラガラヘビを退治するべくワシを手なづけ、夫を襲うヒグマを倒す、というタフな女性ですが、邪悪です。彼女の過去も最後まではっきりとはわからない。本人いわく、家族全員病気で死んでるらしいのだが、それすらも真実かどうかわからない。いっぽうの夫ジョージはタフに見せかけて実際はからっぽな人というか、自分であれこれ決定してビジネスを運営しているつもりになってるんだろうけど、何もかもが妻セレーナの言いなり。

彼女とその夫の野望の邪魔になる人物はどんどん消えていく。

恐いのは、ああ、この人死亡フラグ立ったな…と思うとですね、何ページか先では死んでるんだけど、殺す場面が出てこないこと。時には労働者たちの「どこそこで、ノドかっきられて死んでたらしいぜ」という会話で、殺されたことを知る。

労働者たちは誰が殺ったか知っている。そして自分たちが夫妻の伐採事業により、自然を破壊していることも知っている。残虐非道な人たちの野望により、人が死に、森が荒廃していく。

やがてセレーナ自身が子どもを生めない身体になってしまったとき、しかし夫にはすでに非嫡子が存在するという事実が、すべての歯車が狂い出す要因となるわけですが、最後の最後まで彼女は冷酷非情なのだった。

実は本書は、ダレン・アロノフスキーがアンジェリーナ・ジョリーで映画化するかもというウワサがありまして(参照元)、主人公のセレーナはもはやアンジェリーナ・ジョリー以外考えられない状態で読んでました。あまりにハマリ役すぎる!


●参照:
アパラチア関係のエントリ
『ウィンターズ・ボーン』
『Burning Bright』Ron Rash
『A Walk in the Woods(ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験)』Bill Bryson
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by rivarisaia | 2011-02-16 23:28 | | Comments(0)

以前ご紹介した『ハリウッド100年のアラブ』のエントリで、この映画みたい〜と書いたので、さっそくみました。
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ザ・メッセージ 砂漠の旋風』監督:ムスタファ・アッカド

ムハンマド(マホメット)の半生を描いた映画ですが、ムハンマドを映像で表現することを禁ずる教義を尊重し、ムハンマドの姿や声は画面に出てきません。主人公が映し出されないという不思議なことになっていますが、そこがなかなか興味深かった。

周囲の人たち(特にハムザ役のアンソニー・クインなど)の会話や態度から、ムハンマドの人となりを知るような構成になっていますが、時折「ムハンマド視線」という画面が出てくる。戦いシーンでも、ムハンマドは剣をとり戦闘に加わるけれども、その姿は映せないので彼の剣が映るのであった。ラクダに乗っているシーンもあるけど、その場合も「ムハンマド視線」でラクダの頭が映し出される、といった具合。

イスラーム以前の多神教の世界のありかたも伺い知ることができて、なるほどなあと思う部分も多く、やっぱりこうしてみるとキリスト教(ユダヤ教も)と非常に共通している点が多いことを改めて実感。

アッカド監督は2005年にアンマンのテロに巻き込まれて亡くなられているんですよね。サラディンの映画を撮ろうとしていた矢先のことだったそうで、残念です。イスラムのイメージを変えようとしていた人が、一部のムスリムのテロに巻き込まれてしまったという不条理。サラディンの映画も観たかったな…。
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by rivarisaia | 2011-02-14 16:09 | 映画/洋画 | Comments(0)

エジプト、すごい

エジプト、すごい。

一時はこのまま長期戦になって気力・体力ともに消耗したらどうなるかと心配してました。無抵抗でいきなり撃たれる人の映像もみていたので、これ以上の流血はほんと勘弁してほしかった。だから本当によかった。

課題もいろいろあるので、これからがはじまりですね。

今回、エジプトの人々がすばらしかった点のひとつは、よく言われる「イスラム教とキリスト教という宗教の対立が云々」というのがなくて、むしろムスリムもキリスト教徒もお互い尊重しあって団結していたところ。それは今年1月のこのニュース「Egyptian Muslims act as "human shields" for Coptic Christmas mass」でも感じたことですが。真の信仰とはこういうものではないだろうか。この件について書いている日本語のブログ記事もありました。むらログのこちらのエントリをどうぞ。

それでも今回のデモで亡くなった方々はたくさんいる。このことも忘れてはいけないと思う。

Egypt Remembersのサイト
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by rivarisaia | 2011-02-12 23:58 | 日々のよもやま | Comments(2)

ハーブ&ドロシー

アートに興味がある人だけじゃなく、その方面にまるで興味がない人にもおすすめ。なぜなら、アートの話だけど、ほかの分野や人生全般に通じる普遍的なテーマが描かれているから。
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ハーブ&ドロシー(Herb & Dorothy)』監督:佐々木芽生

郵便局員のハーブと図書館司書のドロシーのヴォーゲル夫妻。お金持ちでもなんでもない普通の庶民であるふたりが、長い年月をかけて買い集めた作品は、気づいたら一大現代アートコレクションとなっていた。


ハーブとドロシーは庶民だからね、家に入る大きさで、自分たちのお給料で買える金額の作品しか買ってない。支払いは分割払いのこともあったし、お金の代わりにキャットシッターを引き受けるなんてことも。映画やお芝居にも行っているみたいだから、お給料を全額つぎ込んでたというわけでもなさそう。

ふたりとも、特別に美術の教育を受けたわけでもなく、ハーブのほうがもともとアートが好きで、しかも美術史の知識はほとんど独学に近い。就職してから、ふたりで大学の美術の授業を取ったりしてる(それができる米国がうらやましい)。最初は自分たちも絵を描いていたけど、自らが表現するよりも、表現者を支える道を選んだのでした。

とにかく「好きだから」が大前提で、お金儲けようとか、将来作品や作家(あるいは自分)が有名になるかもしれないとか、そういう邪念がない。たぶん、そこが大切なんだと思う。欲が出ると、変な方向に進んじゃうこともあるから。

無名の若手作家でも作品が好きなら買う。買うときも、これまでの全部の作品を見せてもらって判断する(→さらっと書いてるけど、これすごいことですよ)。作家にとっても、すごくいい刺激になると思う。

ハーブは郵便局員時代、まわりにアートの話ができる同僚なんてひとりもいなかった、と言う。だけど、それでも別に構わないじゃない?という姿勢で、そこもグッときた。同僚もそんなハーブの私生活を尊重していたようすが伺える。会社員で話の合う同僚がいないと嘆く人は、この場面に注目。

多くの美術館の申し出を断ってきたふたりは、最終的にコレクションをナショナル・ギャラリーに寄贈することに決める。その理由は、ナショナル・ギャラリーなら作品を売らずに保存してくれて、さらに市民が無料で鑑賞できるから。それでもコレクションが膨大すぎて、ナショナル・ギャラリーにも収まらず、「ハーバート&ドロシー・ヴォーゲル・コレクション 50 × 50」として全米50州の美術館に50点ずつ寄贈されてるんですよね…って、どれだけの量なんだ! だってふたりの家は1LDKですよ。

ドキュメンタリーとしても構成がうまい映画で、二人の姿をよく表しているラストシーンが、ちょっと笑えます。
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by rivarisaia | 2011-02-09 21:33 | 映画/洋画 | Comments(0)