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HHhH  プラハ、1942年

読んでからずいぶん日が経ってしまったけど、忘れないうちに。今年読んだ和書で間違いなくベスト10に入る1冊。(追記:感想その2もあります

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HHhH  プラハ、1942年』ローラン・ビネ著、高橋啓訳 東京創元社

変なタイトルです。エイチエイチエイチエイチと読めばいいのか、フランスの小説だからアッシュアッシュアッシュアッシュなのか。

このタイトルは「Himmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)」の略であり、ハインリヒ・ヒムラーの右腕だったラインハルト・ハイドリヒのことを意味しています。

本書は「死刑執行人」「金髪の野獣」などとも呼ばれていたラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件の話であり、実行犯であるふたりの青年と彼らに協力したプラハの人々の話であり、そしてそれらの真実を、いかに事実に忠実に伝えるのか苦悩する「僕」の話でもあります。

ラインハルト・ハイドリヒは、有名な粛清事件「長いナイフの夜」に大きく関与していた人物で、さらに「ユダヤ人問題の最終的な解決策」の発案者でした。最終的な解決策。つまり何が言いたいかわかりますよね。

ナチスの保護領となったチェコの総督代理となったハイドリヒは、やがて暗殺される。彼はナチス高官でただひとり暗殺された人物でした。

エンスラポイド作戦とよばれたこの暗殺のために、英国のチェコ亡命政府は何人かの兵士をプラハに送り込みます。実行犯となったのはヨゼフ・ガプチークとヤン・クビシュ。暗殺は成功するものの、その後行われた報復は凄惨きわまりないものだったのです。

歴史小説やノンフィクションには著者の思想が織り込まれていたり、ちょっとした創作が演出要素として盛り込まれていたりするものですが、本書の「僕」はそうした虚構を徹底的に排除しようと、さんざん葛藤し自問自答しながら、史実を語ろうとします。

過去の出来事の合間に、過去を語ろうとしている現在の「僕」の声が入るという変わった構成なのですが(最初は「僕」の声が鬱陶しいと思ったことも告白)、しかしそのおかげでだんだんと圧倒的な迫力で有無を言わさず史実がせまってくるのです。

読者であるわたしたちは、確かにプラハにいて、あの暗殺事件を「僕」と一緒に一部始終目撃した、そんな読書体験。読んでからあんなに日がたったいまでも、教会の場面がくっきりと脳裡に浮かぶ。実際には見てないのに。
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by rivarisaia | 2013-10-30 23:52 | | Comments(8)

失魂

東京国際映画祭で最後にみたのはこの映画。今年のTIFFはこれでぜんぶ。

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失魂(Soul/失魂)』監督:チョン・モンホン/鍾孟宏

日本料理店で働いているチュアンは、ある日仕事中に突然倒れ、山奥に住む父親のもとに戻ってくる。

以前とはまるで別人のようになってしまったチュアン。自分自身のことも父や姉のことも覚えていないチュアンをみて、父親は息子の身体は何か別の魂に乗っ取られたのではないかと疑いを抱く…


実家をはなれて長いこと音信普通だった息子が、凶暴な性格になって帰ってきて困惑するお父さん。そのお父さんを演じているのがジミー・ウォング/王羽です。上映後のQ&Aで、監督は、ジミーさんが出演を承諾してくれなかったらたぶん撮ってなかった、とおっしゃってましたが、息子と対峙する口数の少ない、心の奥底に秘密を封印したような表情の父親役にはジミー・ウォングが適役でした。

少々内容にふれてしまうと、帰宅したチュアンは、自分を殺そうとしたと言って姉を殺してしまう。血まみれで倒れている娘の死体を目にした父親は、咄嗟に息子の犯行を隠そうとする。

ここでわたしは、娘に対する態度がちょっと酷いよ、ジミー父さん…そんなに息子のほうが可愛いですか…とも思ったわけです。寝台の下に押し込められた娘の死体の目から一筋涙が流れたのが、もうね…。しかし、のちに明かされるけど、お父さんは息子に対して負い目があった。だからせっかく帰宅した息子をどうしても突き放すことができなかったのかもしれません。

ひとつの惨劇がひきがねとなって、また新たな惨劇を呼ぶのですが、そうしたなか、チュアンの中の別人格にも少しずつ変化が現れてきます。

人が殺されたり、大ケガしたりしているのに、霧のむこうにぼんやりとした希望の光がゆらめいているような、そんな後味の映画。終わってみれば何故かチュアンを許せてしまうというか、チュアンはこのまま静かに山奥で幼なじみの青年と一緒に蘭やリンゴを育てて平穏に生活していけたらいいんじゃないかなあと思えたのが不思議。監督が言っていたように、すべての悪人にも善の部分があるということをうっすら感じました。

トレイラーみると雰囲気がつかめるかと思うのですが、深い山の自然や昆虫、空や雨をとらえた映像がものすごく美しく、人間の手の及ばない存在がもつ力が、ラストの不思議な清々しさにつながっているような気もします。撮影監督は「中島長雄」さんという方なのですが、これは監督のペンネームであることが上映後のQ&Aで判明! 撮影もカメラマン出身の監督ご自身でした。

では、トレイラーをどうぞ。

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by rivarisaia | 2013-10-29 23:11 | 映画/香港・アジア | Comments(0)

ラブゴーゴー』のチェン・ユーシュン監督による16年ぶりの長編。そうか、もう16年も経つのね……(遠い目)

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総舗師―メインシェフへの道(總舖師:移動大廚)』監督:チェン・ユーシュン/陳玉勲

総舗師(ぞんぽーさい)とは、雑な説明をすると、宴席を手がける出張料理人のことです。そのむかしは、こうした料理人と宴席の主人、そして客人がそれぞれ協力しあって宴席をつくりあげていたのであった。しかし総舗師は、日本語タイトルの場合、なんて読めばいいんだろう。そうほし? とりあえず「ぞんぽーさい」のママでいく。

数十年前、台湾には「愚人師」「鬼頭師」「蒼蝿師」という3人の偉大なる総舗師がいた……

ときは移り、現在。「蒼蝿師」の娘シャオワンは、アイドルを目指していたがパッとせず、彼氏の借金まで背負わされ、逃げるように故郷に戻り、父亡きあと母がひとりで切り盛りする料理屋を手伝うことに。

そんなある日、シャオワン母娘は、ある老カップルから自分たちの結婚式の料理をつくってほしいと依頼される。しかし、彼らの希望のメニューはつくりかたもよくわからない古式料理。

困ったふたりは、たまたま知り合った、旅する料理コンサルタントの青年(じつは「鬼頭師」の弟子である)に協力をあおぐのだが…


という話ですが、どうしたことか、このあと、シャオワン母娘は借金返済のために賞金ねらいで料理大会への出場を決意。その料理大会に老カップルも招待して、結婚式も兼ねりゃいいじゃん、という流れになって、それでいいのか老夫婦…という気もしましたが、結果的にはよかったみたいです。

料理大会では、シャオワンと青年が組んで勝利を目指すのかなーと思いきや、わけあって青年は別チームで対決することに。代わりにシャオワンチームに加わったのは、借金取りの兄ちゃんふたり(エエッ!?)。

さあどうなるシャオワン。幻の父の味を復活させることはできるのかーーー!

すっとんきょうで愉快でカラフルな映画。2時間25分はあっという間に過ぎちゃいますが、欲をいえばもう少し短くてもよかったかも。

しかし不覚にも、わたしときたら2カ所でうるっときました…。ひとつは「愚人師(道化師)」ことホームレスのような料理人のおっちゃんが、かつての総舗師の仕事を壁画で説明する場面。失われつつある伝統に思いを馳せたら、なんかもう目頭が熱く…。そしてふたつ目は、シャオワンが亡き父とアナゴを炒めるシーン。炎の向こうに!お父さんが!アナゴを! シャオワン、肩燃えてるよ!(泣)

料理の味って、つくる人や食べる人の記憶が大きく作用しますよね。なんてことない料理も、心に沁みる一品になったりする。「トマトと卵の炒めもの」のエピソードでもそのあたりが描かれていて、しみじみ。

それにしても次から次へと美味しそうな料理が登場するので、すんごくお腹のへる映画でした。映画が終了したのが深夜だったというのに、帰宅して水餃子ゆでたりラーメンつくったりしちゃった我が家です。

登場人物にテーマソングがある、というのもグッとくるポイント。わたしも時折、心の中で自分のテーマソングが大音響でかかってたりしますけどね!

ということで旅する料理コンサル青年のテーマソングをはりつけておきますので、みんなで歌おう! ドーソラーシファー♪


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by rivarisaia | 2013-10-27 13:58 | 映画/香港・アジア | Comments(2)

馬々と人間たち

東京国際映画祭の3本目。ある意味、わたしにとって今回のメイン作品といってもいい。TIFFの動物枠はなかなかあなどれない良作が登場するのですが、今回もすばらしかった。4年前の牛映画『牛は語らない/ボーダー』のように、いつまでもわたしの記憶に残ることでしょう。

馬々と人間たち(Of Horses and Men/Hross í oss)
監督:ベネディクト・エルリングソン

アイスランドの荒涼とした広大な大自然に生きる馬々と人々の、生と死、欲望を描く、本当に不思議な、野生のエネルギーに満ちた「人馬ドラマ」。

どんな映画なんだよ、おい、って感じですよね。連作短編集のように、ざっくり6つのエピソードがひとつの作品を形づくっています。毎回、馬の瞳のドアップでエピソードがスタートするのもおもしろい(ときに人間の瞳)。さらに間奏のようにエピソードの合間には、馬の埋葬や人間の葬式、馬の去勢、といったシーンが挿入されます。

エピソード1:
白い牝馬に乗る紳士。彼の乗馬姿を遠くから望遠鏡で観察する人々。しかし、こげ茶色のワイルドな雄馬が牝馬に襲いかかり交尾をはじめてしまう…

エピソード2:
海に向かってトラックを走らせる男。男は途中で馬に乗りかえ、馬ごと海に飛び込み、船を目指す。ウォッカを手にいれるために…

エピソード3:
柵をめぐる男と男の戦い。柵を壊してまわる馬に乗った男を、トラクターで追いかける男。そこに悲劇が。

エピソード4:
スウェーデン人の馬追いの女性。逃げた野生の牝馬を追いかけた彼女が遭遇したのは…

エピソード5:
初めて馬に乗った旅行者の男性は、置いてけぼりをくらったあげく、雪山で遭難してしまい…

エピソード6:
人々総出で放牧馬を集める馬追いの日、恋する女性は男性にアプローチ…


こうしてまとめて振り返ってみると、馬の交尾にはじまり、人間の交尾で終わったような映画だわね…気がつかなかった!

もう少し内容に踏み込むと、びっくりする展開がいくつかありました。たとえばエピソード1で、紳士は白馬を殺してしまう。何故殺してしまうかというと、それは名誉を傷つけられたから。恥ずかしい行為をした白馬に、彼はもう乗ることができない。それは犯されたのが白馬ではなく、彼自身だからだ。(監督のQ&Aより)

エピソード3では、柵を壊してまわる男は、有刺鉄線が目に刺さって血みどろになるわ、馬に乗った血まみれ男に驚いた男が、崖からトラクターごと転落するわ、わたし、度肝抜かれました。ちなみに、血まみれ男はエピソード4でスウェーデン女性に助けられ、その後アイパッチ姿で元気に登場します。

雪山で遭難した男性は、スター・ウォーズのルークみたいな状態になります(あの、トーン・トーンの場面ね)。実際に、そうやって監督の友人のおじいさんは凍死をまぬがれたそうですよ。

映画後のQ&Aで興味深かったのは、アイスランドの馬というのは有名で、北欧やドイツなどからホース・ウィスパラーな人たちが、馬とくらすためにアイスランドにやってくるという話。そうした人々に敬意を示して、エピソード4のスウェーデン人女性を登場させたとのこと。

予算もなくてCGはほとんど使ってなくて、馬のシーンなどは1発撮りだったらしいのですが、監督もカメラマンも馬好きということもあってか、本当に馬がよく撮れており、馬映画としてすばらしいです。そうそう、本作の撮影では馬は1頭も死んでません(馬の安全も第一)。

オマケ:トレイラーを貼っておきます。


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by rivarisaia | 2013-10-26 00:46 | 映画/洋画 | Comments(0)

東京国際映画祭の2本目。ラリユー兄弟の映画なので変テコリン。主演はマチュー・アマルリック。アルプスの雪山と、ステキ建築も堪能できる作品です。

ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム(L'Amour est un Crime Parfait)
監督:アルノー・ラリユー/ジャン=マリー・ラリユー

ラリユー兄弟の映画に山が登場するのは、ふたりはピレネー生まれで、おじいさんが山でアマチュア映画を撮影してたからだそうです。熊とか撮ってたんだって。熊を!(上映後のQ&Aより)

大学で創作を教えているマーク(マチュー・アマルリック)は、女子学生のバルバラと一晩過ごす。翌朝、バルバラはいなくなり、彼女の義理の母アンナや警察が大学を訪れ、バルバラが行方不明になったとマークに告げる。

アンナに惹かれるマークだが、学部の上司は「余計なウワサが立つと困るからアンナとは口を聞くな」とマークに釘をさす。いっぽうその上司はマークの妹マリアンヌに心を寄せており…


このような出だしの、ミステリー調の物語です。

マークとマリアンヌ兄妹は一緒の家に住んでいるんだけど、ふたりの間にはどこか怪しい気配が漂っている。バルバラの義母アンナ(マイウェン)も、けだるそうな妖艶なオーラを発散させている。そこへ、新たにマークを誘惑する女子学生が登場したりする。

このように女性に人気の大学教授マークですが、どうやら記憶障害があるようで、鼻血をだらだら流しながらとんでもないことをしでかしちゃうのに、アンナのもとに転がり込んだり、あとで「あ、やばい!」と急に思い出したりと、なんとも心もとない人物である。

でもいいの。面倒なことは、雪山の深い深い裂け目の中に葬ってしまえばいいの。しかし、やがては葬り去ったものが明るみに出るときがやってくるのであった。

愛のせいで。

劇中、マークが二度ほどオオカミを見かける場面があるんですけど、あのオオカミは何を象徴していたのかなあといろいろ考えたりしています。一度目はバルバラを家に連れ帰るとき、二度目はアンナの家のバルコニーから。マークの内面を表しているのだろうか。

先に述べたように、本作はアルプスの山や町の景色がとてもきれいで、しかもマークの勤務先である大学は、SANAAが設計したロレックス・ラーニング・センターが舞台になっています(ロレックス・ラーニング・センターについてはコチラをどうぞ)。映画のついでに建物の中をたくさん見られて、なかなか興味深かった。最後に出てくる湖のほとりのコテージもよかったな。あれはどこだろう。

さて。

今回急遽、主演のマチュー・アマルリックが来日して、Q&Aがありました。相変わらずかっこよかったですが、服装はいつもの茶色のジャケットで(今回はパンツはお揃いの茶色のやつじゃなくてチノパンだったわね…)、あの茶色のジャケットはそうとうお気に入りなのか、日本に来るときのユニフォームなのか。ま、似合ってるからいいんだけど!

そしてQ&Aで感じたこと。これはTwitterでさんざんグチったからもうあまり書きたくないんだけど、時間が限られているセッションで、個人の感想を延々述べるのも遠慮してほしい状況なのに、相手に対して「あなたは誰それに似ている」だとか、映画制作者に「作品が語学の勉強になった」とか、どうしてそういうことを言ってしまえるのか、ちょっと信じられない、ということが起きました。

○○に似てるっていわれても、たぶん知らないし困るよね。さらにその俳優が出ている映画を観ろとまで言ってて、場内苦笑。Q&A、ときにおそろしい事態が発生するよね…。
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by rivarisaia | 2013-10-24 00:39 | 映画/洋画 | Comments(0)

東京国際映画祭2013のわたしの1本目。

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ザ・ダブル/分身(The Double)』監督:リチャード・アイオアディ アヨエイド
追記(10/31/2014)
※監督の名字の表記がアイオアディに変わりました。また公開が決まってタイトルもTIFF公開時の『ザ・ダブル/分身』から『嗤う分身』が正式タイトルとなりました。

監督は、『ハイっ、こちらIT課!(The IT Crowd)』のすっとぼけたモス役で、わたくしの心の憩いの場に集う人の仲間入りをはたしたリチャード・アイオアディ 。ちなみに前回のアイオアディ 監督作品『サブマリン』は観ておりません(理由:個人的に定量超えてる"十代モノ"だから)。

ドストエフスキーの『二重人格』をどこか別の近未来っぽい管理社会に翻案した、ドッペルゲンガーに自分の人生を浸食される物語です。いつまでも醒めない悪夢のなかをぐるぐる歩きまわっているような映像で、IT課のモスっぽい絶妙な間合いとカウリスマキのような雰囲気も漂っていました。

小心者で不器用で印象の薄いサイモン。日々おどおどしながら生活していて、唯一の楽しみは向かいのアパートに住む片思い中のハンナの姿を望遠鏡で盗み見ることくらい。

そんなサイモンの前に、ある日突然、自分そっくりのジェイムズが出現。ジェイムズは饒舌でずる賢く人々の覚えもめでたい、とサイモンの正反対を行く人物で、サイモンからいろんなモノを奪っていく。仕事も、女性も、自分の居場所も…


サイモン/ジェイムズを演じるのはジェシー・アイゼンバーグ。オドオドするジェシー君とベラベラしゃべるまくるジェシー君を同一画面で堪能できます。しゃべりかただけじゃなく、表情がガラッと変わるのがさすがですね(特に目が違う)。ハンナ役はミア・ワシコウスカ。おまけにIT課の社長とロイも脇役で登場するよ~。

やがて「ジェイムズは自分だ」と悟るサイモン。さあ、彼はどうするのか。ダイナーで満足に注文もできないほど弱気なのに、もうひとりの自分に反撃できるのか。結末は映画で確かめてくださいと言いたいので、公開されるといいですね。

印象深かったのは、全体の色味。カフカ的不条理な世界の空気の色はあんな感じだなあ。夜の上映だったら、そのまま夢に出てきそうなんだけど、わたしが観たのは朝の回だったため、映画館の外の世界がまるで別世界で適応するのに一瞬とまどいました…。

選曲も変わってて、劇中で「上を向いて歩こう」や「ブルー・シャトー」がガッツリ使われており、おもしろいなと思ったんですけど、なぜかエンドクレジットは韓国語のムード歌謡だったわ。

あ! あとこの映画は帳面派です。サイモンの帳面が重要な小道具。帳面、グッジョブ!

オマケとしてトレイラーをはっておきます。


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by rivarisaia | 2013-10-21 23:08 | 映画/洋画 | Comments(0)

Orphan Train(孤児列車)

映画祭の感想の前に、忘れそうなので先日読んだ本の感想を先に。

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Orphan Train』Christina Baker Kline著、William Morrow Paperbacks

里親のもとを転々としてきた17才のモリーは、どの家庭にもなじめず、学校でも疎外されており、唯一の友人はボーイフレンドのジャックだけ。

ある日、モリーは図書館から本を盗もうとした罰で、50時間の社会奉仕活動を言い渡され、とあるお屋敷にひとりでくらす老婦人ヴィヴィアンの手伝いをすることになる。

モリーの仕事は屋根裏に積まれたヴィヴィアンの荷物を片付ける、というものだったが、同時にそれはヴィヴィアンの過去をひもとく作業だった…


1854年から1929年にかけて、アメリカでは「Orphan Train(孤児列車)」という慈善事業が行われていました。これは東海岸の都市にいた孤児を、列車に乗せて中西部に里子に出すというもので、20万人以上の孤児が列車で移送されました。

中西部のどこかの町の駅に列車が止まると、人々が集まってきて子どもたちを検査し、選ばれた子はどこかにもらわれていき、残った子どもたちは次の駅に運ばれ、そうやって終点まで行っても引き取り手がなかった子どもは、そのまま列車に乗せられて東海岸に戻され、孤児院に入れられるという仕組みです。

前に紹介したイギリスの『からのゆりかご』みたいだよね。あれとは違って孤児の行き先は外国じゃないけど、当時の東海岸と中西部は、くらしも文化もだいぶ違ったはずなので、子どもたちにとっては異国も同然だったであろうと思われます。

ここまでの孤児列車の話は史実です。

さて、この物語の老婦人ヴィヴィアンは、幼い頃に家族をなくしたアイルランド移民で、孤児列車に乗せられたひとりでした。引き取られた先では、家族の一員ではなくて、タダで使える働き手という扱いを受ける。

そもそもヴィヴィアンの本当の名前は Niamh(ネーヴ、と発音するアイルランドの名前)だったのに、発音しにくいからというのでドロシーに変えられたのだ(それが最後はヴィヴィアンになる)。

家族も名前も奪われ、見知らぬ土地で孤独にくらさなくてはならなくなった子どもは、自分のアイデンティティを喪失し、感情を自然に表現できず、うわべだけをとりつくろうような性格になってしまう、とヴィヴィアンは語る。それはモリーにも共通することだった。

アイデンティティの問題が本書の根底にあるテーマのひとつで、17才のモリーはペノブスコット・インディアンの血を引いているという設定になっています。モリーとヴィヴィアンには孤児として通じる部分があり、お互いに理解しあいながら、ふたりとも前に進む方向へと変わっていきます。

このふたりがすごくいいキャラクターなのですが、ふたりのことをもっと知りたいのに!という気分で本が終わっちゃうのが物足りないところ。ただ、孤児列車については、わたしは存在を耳にしたことがある程度なので、この本をきっかけにもっと詳しく知りたくなりました。いろいろなことを考えるきっかけになる本です。

ということで仕事でもないのに、また調べたいことが増えちゃったよ…。
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by rivarisaia | 2013-10-18 21:37 | | Comments(2)

Serenaの映画化

明日からわたし、東京国際映画祭です。なんか今年うまく日程があわなくて、観たい作品の半分くらいしか観られないんだけど、そんな年もあるわね。まーいいやー。

ところで!

Twitterにも書いたんですけど、こっちにも記録しておこう。わたしの大好きなアパラチア小説作家ロン・ラッシュの『Serena』に映画化の話があるらしいよ、というのは本の感想と一緒に書いた

で、そのときは、ダレン・アロノフスキー監督でセレーナはアンジェリーナ・ジョリーの名前が挙ってたんですけども、スザンネ・ビア監督で撮影しているらしく、セレーナはジェニファー・ローレンス、夫ジョージはブラッドリー・クーパーということで、スチルがあがってました。(↓PHOTO BY LARRY HORRICKS.)

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あら、けっこうよさそうじゃない? ジェニファー、いいかも。

映画が公開になったらもしかするとロン・ラッシュの小説も翻訳されるかしら。でも、できれば『Serena』よりも短編集がいいんだけどなー。『Burning Bright』を出せばいいのになー。ロン・ラッシュは今年の2月に出た短編集の評判もとてもよいので、いま現在、溜め本(Kindleに入っている積ん読本)状態なんですが早々に読んだら感想書きます。

最近、原作アリの映画ですでに原作読んでるものに関しては、観にいくかどうかすんごく迷うようになってしまったので、まだわかんないけど、とりあえずは楽しみにしてみます。よい出来映えだったらいいなー。
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by rivarisaia | 2013-10-17 23:58 | 映画や本の雑記 | Comments(0)

イヤー・オブ・ミート

ブッカー賞はEleanor Cattonの『Luminaries』に決定して、ルース・オゼキじゃなくて残念! で、先日、ルース・オゼキの話をしたついでに、絶版だけど邦訳が出ているこっちの本も。図書館で借りるか、あるいは原書で読むかなら『My Year of Meats』というタイトルでPenguin Booksから出ています。

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イヤー・オブ・ミート』ルース・L・オゼキ著、佐竹史子訳、アーティストハウス

日本の主婦にアメリカの牛肉を買わせるためのTV番組「マイ・アメリカン・ワイフ」。

アメリカ牛肉輸出協会がスポンサーのこの番組では、アメリカの「健全な」家庭を紹介しつつ、そのステキな家庭がつくる牛肉料理を、日本のお茶の間の主婦にアピールすることで米国産牛肉の販売を拡大することが狙いである。

アメリカでTV番組のディレクターをつとめるジェーン・タカギ。

日本人とのハーフで日本語を話せるジェーンは、番組の現地制作スタッフに選ばれる。しかしジェーンが選ぶ家族は、日本のプロデューサーのイメージに合わず、制作は毎回難航する。

日本のお茶の間の主婦ウエノ・アキコ。

番組のプロデューサーであるウエノの妻アキコは、番組を採点して同じ料理をつくるよう夫に命じられている。アキコの評価は夫の気に食わず、夫はときどき妻に暴力をふるうのだった。

やがてジェーンとアキコの人生は番組を介して大きく変化していく…


という話で、環境ホルモン、食肉汚染、メディア、同性婚をはじめとする家族のありかた、DV…といったテーマを描いています。アメリカのジェーンの考え方と(納得がいく)、日本のプロデューサー・ウエノの思考(日本社会の典型的な男性的思考でまるで納得いかない)の、深い深いギャップが、あるあるあるある!と頷きたくなるくらいです。

むかし読んだときは、環境ホルモンが恐ろしすぎる…と戦慄したものですが、いまなら家族のありかたや、DVのあたりが、この小説が出てから15年近く経つのに、あんまり日本変わってないかも…と愕然としちゃいますね。

先日紹介した『A Tale for the Time Being』では、ナオのイジメの描写が読むのがつらかったのですが、本書はアキコのDVの話がつらかった。プロデューサー・ウエノ、ほんとうにむかつく男なんだよ…。
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by rivarisaia | 2013-10-16 23:43 | | Comments(0)

夏のはじめに読みかけてながらく中断してたんですけど、ブッカー賞のショートリストに残っているので、早く続きを読まなくちゃー!と急にペースアップして読了。おすすめ!

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A Tale for the Time Being』Ruth Ozeki著、Viking Adult

カナダのブリティッシュ・コロンビアの離島に住む作家のルースは、ある日、浜辺でビニル袋に入った漂流物をひろう。あけてみるとキティちゃんのランチボックスが入っていて、なかから手紙の束と日記が出てきた。

わたしの名前はナオ。
いま秋葉原のメイドカフェにいて、未来のどこかに存在するあなたのことを考えています…


中学生のヤスタニ・ナオコはカリフォルニア育ちだが、父親のハルキが失職し、一家は日本に帰国。帰国子女であるナオは学校で壮絶なイジメにあう。いっぽう父親のハルキは鬱をわずらい、何度も自殺を試みる。

夏休み、ナオは宮城県の禅寺にいる尼僧で104才の曾祖母ジコ(ジコー?)のもとでしばらくくらすことになる。ナオは曾祖母からいろいろなことを学び、また特攻隊員として若くして死んだ大伯父のハルキの話を聞く。

いっぽうこうしたことが綴られている日記を読んでいるルースのほうは、なんとかして現実にナオを探そうとするがうまくいかない。日記は津波で流されてきたのではないかと考えるルースだが、袋に付着していたフジツボから、震災よりももっと前に海に流されたのではないかということになる。

ナオは死をほのめかしているのだが、日記が書かれたのが数年前だとすると、はたしていま彼女は生きているのか。震災を、津波を生きのびることはできたのか。

カナダのルースが、ナオの日記や日本語で書かれた戦時中の手紙、フランス語で書かれた古い秘密の日記などを少しずつ読み進めていく構成で、交わるはずのない現在のルースの世界と過去のナオの世界がふと交差したりして、ルースとナオの物語を読んでるわたしも奇妙な時間の感覚にとらわれたような気になる、不思議な物語です。大体、ナオの日記に付いている注釈はルースが付けてるんですよね?

タイトルは道元の『正法眼蔵』より「有時」の一節からきています。

太平洋戦争、9.11、アフガニスタン紛争やイラク戦争、東日本大震災と原発事故、リストラ、鬱、集団自殺、イジメ、ネットいじめ、売春など、さまざまな問題を盛り込みながら、時間とはなにか、存在とはなにか、生きるとはなにかを、ルースやナオとともに模索する、そんな話です。

余談ですが、ルースと夫オリバーの飼い猫の正式な名前がシュレンディンガーだったことをあとで思いだして、やられた感。

これ、翻訳出なかったら嘘だろう、という感じなので、英語で読むのが無理な場合は邦訳期待しましょう! ついでに同じ著者の『イヤー・オブ・ミート』どこかから文庫で復刊したらいいのにな。

本書のブックトレイラーをはっておきますね。


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by rivarisaia | 2013-10-14 22:36 | | Comments(0)