「ほっ」と。キャンペーン

先日、WOWOWで『セデック・バレ』を放映していたそうで、私ももう1回観たいわ、体力のある時にでも、と思ったのですが、前に感想書いたときには触れなかったけど、すごく気になる1件があるので、書いておく。

映画の描写では、霧社事件の引き金となったのは、セデックの婚礼の場を通りかかった吉村巡査が、セデックの人からすすめられたお酒を断って小競り合いになった一件でした。吉村巡査はお酒を断る際に「ツバでつくった汚い酒はいらん!」と言うのね。

大体からして、この巡査は日頃からセデック族を見下している小役人で、大変にイヤな奴だったので、セデックの人たちも常日頃から積み重なってきたものがついに爆発してしまったわけです。巡査に対しては、他に断り方ってものがあるだろう!とイラッときますが、いずれにせよ起こるべくして起こった事件だったのでしょう。

それはさておきですね、このお酒です。

うむ。これはあれか。巡査が正しいなら、口で穀物を噛んでペッて出したブツを発酵させるタイプの酒なのでしょうか。

巡査の物言いはよろしくない、と考える私なのだが、そのタイプのお酒を飲むのはけっこうハードル高いかもしれない…ということがどうしても心にひっかかるのである。

ほかにもセデックの人はひとつのコップに同時に口をつけて一緒に飲むというやりかたがあって、吉村巡査のような人にはそんな飲み方にも到底耐えられないにちがいない。私も無理かもしれない。友だち同士で一口ちょうだーいっていうのはあるけど、あの飲み方はどうだろう。

しかしながら親しくなった印にともに飲み食いするというシチュエーションは往々にしてあり、ときに得体の知れないもの、生理的に受け付けないものを飲食せねばならない状況もありますよね。

自分ならどうするか、飲み食いできるか、あるいは失礼にあたらないように避けることは可能なのか(可能だとしたら、おそらく日頃の行い、普段からの親しさ度、というのがものを言うような気もする)。

エリン・ブロコヴィッチ』でも、エリンが弁護士である上司エドを初めてクライアントの自宅に連れて行った時、先方から「ケーキを焼いたからコーヒーをいかが」と言われる場面がある。「もう帰るので」と断ったエドに、エリンは「飲まなきゃダメよ!(Ed, Have a fucking cup of coffee!)」と真剣な顔つきで言うのだった。

断ろうとしたのは、弁護士はクライアント宅で飲み食いしない方針だったのかもしれないし、それよりも六価クロムに汚染されてるかもしれないという生理的な拒否感かもしれない。でも、エドはコーヒーを飲んでケーキを食べる。

ゴモラ』では、建前上にこやかに桃を受け取って、あとで「食えるかこんなもん」という勢いで道ばたに捨てていた。そしてそれがきっかけで、青年は自分がやっている仕事が間違ってることに気がつく。

口に入るものは、信頼関係の象徴のような面があって、できることなら断らないほうがいいんだろうな。断るにはかなり高度なスキルが要求されるような気がする。

松本仁一さんのエッセイ『アフリカを食べる』でも、マサイの人から牛の血をすすめられた話とか衛生的でない感じでチャイをふるまわれたときの話が出てきて、もちろん松本さんは全く平気なんだけど、これも私ならどうかなと悩ましいシチュエーション。

こういう話をすると、お前も平気で血の塊だとか虫とか食べてんじゃんかよ、と言われるのだが、牛の血だからどうとかじゃなくて、お腹をちょう壊しそうなのが心配なんです! 松本さんいわく、お腹壊しそうと思ってびくびくしながら飲むと必ず壊すから、そういうことを考えないでグイっといくといいそうですよ。そうなのかー。
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by rivarisaia | 2014-03-27 23:49 | 映画や本の雑記 | Comments(2)

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もうじき3月も終わるじゃないですか!ということにあらためて驚き。Twitter見てる人は知ってるとおもうんですけど、昨年末から身内のものがずっとにゅういんしておりまして、それにまつわるドタバタ続行中により、ぜんぜん映画館に行けないまま早3か月ですよ、あんれまあ。

とはいえ超絶忙しいわけでもないんですけど、時間がいろいろ細切れちゃうので映画館がうまくスケジュールに入れられなーい。まあでも90分くらいの映画ならそろそろ行けるかもな。時間のやりくり上手をめざそうと思います。とりあえず来月あたりから。

家庭の事情のお出かけ以外だと、ここ最近の外出先はもっぱらあちらこちらの図書館なんですけど(……お仕事です)、写真は広尾の都立図書館の近くにあるアルジェリア大使館。

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正面玄関はこんな感じ。扉の模様がけっこうおもしろいね。何度か前を通りすぎることがあるんですけど、毎回、綺麗な建物だなーと思う。ああそういえば、東京ジャーミイにも行きたいんだった。
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by rivarisaia | 2014-03-25 23:42 | 旅行・お出かけ・さんぽ | Comments(0)

春なので花切手でも紹介するか……と切手帳をぼんやり眺めていて(ぼんやりしているのは花粉症の疑いがあるからだ)、花の切手もいろいろあるんですけど、今回はあえてデザインっぽいものを。

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こちらは、ブルガリアの1971年「Spring」シリーズ、6枚組です。

かわいい切手としてよくフィーチャーされるので有名な切手ですね。この頃のブルガリアは、雰囲気の似たようなクリスマス切手も出してますよねえ。デザイナーが同じ人とみた。違うのかな。ところで誰なんですか、デザイナーは。

1969年〜1979年くらいまで、ブルガリア切手は配色やモチーフがきれいなデザインのものがあって、私の中ではブルガリアといえばヨーグルトか切手、という印象に。

同じ年に別の国では。

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チェコスロヴァキア、1971年「Flower」シリーズ、12枚組。

これもかわいらしいのでけっこう有名な切手。

色遣いや図案化した時の雰囲気がブルガリアのデザインと似てるといえば似てるけど、東欧に共通する何かがあるせいなのかもしれませんが、チェコスロヴァキアのほうがラインが有機的です。そこがチェコらしいのかもしれない(適当に言ってます)。

写真ではわからないですが、紙の質感や印刷はチェコのほうが粗い感じで、サイズも断然小さくて、個人的にはチェコスロヴァキアのほうが好き。

私の中ではチェコといえば、切手大国ですよ。ヨーロッパは切手大国がいっぱいあっていいですよねえ。いつか行きたいわー。チェコの切手博物館に!
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by rivarisaia | 2014-03-22 19:49 | 切手・郵趣 | Comments(2)

原作が大好きだったので、映画はかなりガッカリしたのですが、自分の中でほとぼりがさめてきたので小説の感想を。

映画もキャストはよかったのにな……。ラブストーリーとしてはべつに悪くなかったのかも。たぶん。でも小説のよかったところがほとんど無くなっていて、それはしょうがないのかもしれないけど、そこ変えちゃうのかーというションボリ感が果てしなかったです(小声で映画に文句も垂れちゃうけど、ほんとごめんなさい)。

『世界にひとつのプレイブック』(佐宗鈴夫訳)が集英社文庫から出ていますが、英語も難しくないから、英語版で読むのもいいかも。

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The Silver Linings Playbook』Matthew Quick著、Sarah Crichton Books

精神病院から出てきたばかりのパットと、同じように精神面で問題を抱えているティファニーのふたりが、友情を通じて人生を取り戻していく話です。

パットは4年間、精神病院に入っており、しかもそのあたりの記憶がない。奥さんとの間に何があって、どうして病院に行くことになったのか、パットが記憶を封じ込めているので、最後の最後になるまで、わたしたちにも、パット自身にもわからない。彼に記憶がないことはまわりの人も承知していて、だから家族はみんなすごく気をつかう。こうした時間のギャップからとんちんかんなやりとりが生じて、小説はパットが語り手となっているがゆえに、読んでるほうもパットの混乱を共有する感じで話がすすみます(ここ重要)

終盤近くで、ティファニー自身に何があったのか、パットに何があったのかを本人がそれぞれ認めることで、ふたりが心に負った傷が癒えてくる兆しを感じさせるんですよねー(映画だと、最初からペラペラしゃべっちゃう)

パットの父親は、家に帰ってきたパットとはまったく口を聞かない。そんな父と唯一交流がもてるきっかけとなるのがフットボールなのだった。

というわけで。

この小説のフットボール度はすごく高くて、フットボールがパットの人生に果たす役割もかなり大きい。新聞のスポーツ欄をだまって置いていくお父さんのエピソードとか、この不器用さがじんわりくる……わけですが、このフットボールの度合いの高さは米国ならではです。フットボールまるで興味ないとドン引くかもしれませんが、米国のフットボールバカはこんな感じなのか…と想像したらいいのではないかと思いますよ。

パットとティファニーもほとんど口をきかない。ふたりはそんなにしゃべってないし、すごく変な関係なのに、お互いに通じる部分があるというのがおもしろい。ダンス大会に出ることになって、そのあとあることのせいでふたりの友情は壊れてしまう。

こうした家族や周囲の人たちとパットのぎこちない距離をおいた関係が、ゆっくり時間をかけてだんだん近づいていくところが原作のよさです。パットと弟の関係もとてもよかったんだよなー。兄想いのいい弟じゃないか。

あと、もうひとつ好きだったのが、クリスマスにむかしの病院仲間ダニーと偶然再会する奇蹟のような場面。パットは自分の人生を映画に例えて生きてるんだけど、この再会シーンなんてとても映画的な展開だった(が、映画にはないの、残念ながら)。

ラストが本と映画だと大きく違っていて、パットは「ある人」と最後まで会わない。それを受け入れることができるようになって、彼は一歩前に進む。そして一度壊れてしまった友情も築き直そうとするのが清々しくてよかったのだ。雲のチャートがすごくよかった。

最後に、本をこれから読む人への注意として、『緋文字』『ベル・ジャー』『偉大なるギャツビー』『武器よさらば』『ライ麦畑でつかまえて』『ハックルベリー・フィンの冒険』などのネタバレが含まれてます。これらの本に対するパットの感想がとても愉快です。
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by rivarisaia | 2014-03-19 21:21 | | Comments(6)

クオーレ

風邪引いたかもしれない…疲れているんだわ!と言ってたのに、どうやらそうではなくて、ついに花粉症になったらしいです。うわーん!

さて、先日宣言したとおり、『クオレ』を読んだよ。読みましたとも! でもイタリア語版は読んでない。当分読まないと思う。

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クオーレ』エドモンド・デ アミーチス著、和田忠彦訳、平凡社

わたくし、クオーレとは主人公の少年の名前だとずーっと勘違いしてきましたが、イタリア語のCuore(心)だったのか…と当たり前のことに今更気づく。

・イタリアの小学校三年生の主人公エンリーコの日記
・両親からのメッセージ
・今月のお話

という三部構成で、これまた私、初めて知ったけど、母をたずねて三千里って、クオレの今月のお話だったんですね。いくつかある今月のお話の中でもだんとつの長さでした。個人的には「すれ違ってなかなか会えない話」というがとても嫌いで、子どもの時にもこのアニメは見なかったくらいなので、ちゃんと話を読んだのは今回初めてだったかも。

本書ですが、全体的にはたいそうお行儀のよい物語でした。

どれもこれも道徳の教科書に出てきそうな話なので、翻訳の和田さんが解説で「唯一の悪道フランティを早々に物語から退場させてしまったデ・アミーチスの<生真面目さ>」と書いているけれども、その通り著者が真面目すぎて、一気に読むとかなり息苦しい。両親からのメッセージなどは特に説教くさく、そんなに直球で語らなくてもいいじゃないか……まるで朝礼の校長先生の話みたいだな…という気もなきにしもあらずではありました。

ただ、十九世紀終わりのイタリアの情景が少し想像できて、その辺りは興味深かったです。子どもたちは一生懸命に切手蒐集をしているらしく、しかもそれが外国切手だったりするのだった(ナカーマ!)。食べ物の描写が今ひとつだったのは残念。

昭和版クオレとの違いですが、目次を比較するとどのあたりの章を割愛したか一目瞭然。例えば、ヴィットリオ・エマヌエーレやガリバルディなどの章(あまりにイタリー的な点)、万霊説や謝肉祭の章(これが宗教的な点)などが省略で、とても納得。

あとは子ども向けに文章を省略してる箇所がちらほらとあるけど、昭和版クオレはなかなかうまくまとまってましたよ。あとね、地名と人名の表記が昭和っぽくて面白い。ジュエリエッタはギユリエツタ、という具合に。トリノもチューリンだったのね。
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by rivarisaia | 2014-03-17 17:43 | | Comments(0)

びゅーびゅー風がふきあれるなか、確定申告も終わり、とりあえずやることリストのうちの一つは終了した。リストの長さは半端ナイんだけど!

きょうは、前から気になっていること。

うちに大昔からある人形の件ですが、これはどこの民族衣装なのであろうか。

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もともと母が持っていて、たぶん誰かの海外土産なのではないかと推測。
タタール(塔塔爾)族かなあ。ここ数年くらい、ふと思い出しては調べてみたりするんだけど、いまだに謎だ。Twitterで聞いたらすぐ返事来そうだけど、そこまでするほどでもなく。

民博の展覧会に行かないと!ということでまたきょうも思い出したのだった。わかる人がもしいたら、コメントで教えてください。
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by rivarisaia | 2014-03-13 23:58 | モノ | Comments(2)

昭和の『クオレ』

ハタと気づけば最近、資料の本ばっか読んでて、それはそれで面白いからいいんだけど、なんか今の自分に全然関係ない本、そう、たとえば児童書とか読みたい。ガガガーっと。うん、今度図書館で借りてこよう。

ところで、うちに今ある、私が未読の児童書はこれですよ。
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クオレ』(小学生全集 第五十三巻、昭和2年)文藝春秋社

今気づいたけど、背景の傾いた建物はピサの斜塔ですね…。イタリアの話だから? それともクオレってピサが舞台なんですか?(そう、そもそも私はなんと『クオレ』を読んだことがない)

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裏表紙はこのようなデザインです。昭和初期の色遣いとかロゴは悪くないですよね。私がレトロな感覚なだけかもしれないけどさ。

で、この本がいやあ昭和初期だなあ!としみじみしちゃうのは、表紙をめくったいきなりのトビラページですよ。
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天皇皇后皇族の天覧台覧の光栄を賜はってました。ずらりと宮家が台覧されているようす! これって本当に読んでたんですかね、それとも書類出して宮内庁がハンコ押して承認もらえばこっちのもの、みたいな感じだったのかしら。お金払うの? 天皇皇后だけならいくら、他にも5人くらい皇族の名前入れたいなら一人につきいくらですよ〜みたいな。そういう昔の仕組みって、どこで調べたらいいんだろ。

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はしがきは菊池寛。クオレは傑作で「小学生の人格的基礎を築くに、この書ぐらい適当した本はない」らしいが、私、大人にして初読。しかし菊池は「あまりに深刻すぎると思われる点、あまりにイタリー的な点、宗教的な点」を抄略したらしい。ナンダッテー! そのイタリー的とされた点がどこなのか気になるではないか。やはりこれはちゃんとした『クオレ』を借りて、そのうちイタリア語版もあわせて読みくらべを…(いつやるのか予定は未定です)。

追記:日本語で読みました『クオーレ』
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by rivarisaia | 2014-03-09 23:59 | | Comments(2)

前に別の場所で見せたことがあるんですけど、写真整理してたら出てきたので、こちらでも紹介。

私、フォンテーヌブロー派『ガブリエル・デストレとその妹』という絵画が大好きなのですが、どんな絵かというと「おっぱいつまんでる絵です」と言えば「ああ、あれね」というルーヴルにある有名な絵です。

これの変なブツを持っている。

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下の大きい絵はフォンテーヌブロー派の絵の本に収録されてるものですが、その上の小さいハガキをごらんくださいまし。

ちょいと、逆版ですよ!


これね、テキサスにいた時によく絵はがき買ってた文房具屋でふつうに売っていたちゃんとした絵はがきで、何気なく買って帰り「何かおかしいけど、何だろう…?ハテ?」としばらく気づかなかった私です。

私、このハガキのせいで、毎回「あの絵は、右にいる女の人がどっちだっけ?」とよくわからない状態に…。

裏面は「published by Fraphique de France Boston, USA」と書いてあるのですが「Printed in France」とも書いてある。これ、わざとなのか、何なの? 誰も気づかなかったのかなー。謎だ。
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by rivarisaia | 2014-03-06 23:59 | モノ | Comments(2)

アルゴ

税金とかね、3月に入ってからやりゃあいいんですよ、はっはー!とよゆうかましてたら、もう3月。世間はアカデミー賞ですよ、奥さん!

今年のアカデミー賞に関連してる映画で今公開中(あるいはこれから公開)のやつを観に行きたいけど、いったいいつになったら行けるかしらねえ。ちなみに去年のオスカーってどんな作品があったっけねえ…とオスカーサイトを見てて、「そういやあったね…そんな映画…」と思い出したりしていました。

たとえば。

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アルゴ(ARGO)』監督:ベン・アフレック

作品賞を受賞してて、トマトのフレッシュ度も高いんだけど、個人的にはどうにもこうにもひっかからなかった映画だったので、感想すら書いてなかった。いや、記憶を辿ると、ひっかからなかったのではなく、たぶん「ちょっっアメリカ…カナダは!? カナダの立場は!? そりゃないよ、おい!」とめっちゃ引っかかってしまい、もうね、いくら映画だからって、むかつくよね、アメリカのこういう態度…と怒ってたような気がする…。

全部実話です!とアピールするなら、架空のハラハラ演出とか要らないから、カナダ側の頑張り具合もちゃんと映画にしてくれたらよかったのにな…とは思いました。

そんなアルゴですが、1年を経て本作を思い出そうとすると、私の中によみがえるのはその内容云々よりも、

出てくる人々の風貌が大変に70年代末〜80年代初期っぽい


ということです。人々のヒゲというかハゲ具合というか、分け目具合や髪の毛の直毛具合というのでしょうか。それともシャツの衿の大きさのせいなのか。ひょっとすると、ズボンのベルトの位置のせいかもしれないし(シャツはもちろん必ず中に入れる)、ネクタイの太さや、ジャケットの肩の位置かもしれません。

今の時代の人が、昔の時代の人になろうとしても、どうしてもどこかなりきれない部分があって、それは顔立ちが変わってきているせいなのかな、とこれまでは思ってましたが、現代人も立派に70年代人になれるもんだとしみじみいたしました。

1年前のアカデミー賞映画に対して、散々なことを書き散らしちゃったけど、今年の作品賞はかなり期待してて、楽しみですよ。邦題が微妙だけど! あとは私が映画館に行けるのかが問題!
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by rivarisaia | 2014-03-03 23:55 | 映画/洋画 | Comments(0)