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ムーンライト

月明かりの下で仄かに青い宝石のように輝くような映画。あとから思い返すたびにじんわりとするので、たぶん、ここに出てきた人たちは心の中でいつまでも生き続けて、またいつかきっと「あの人たちはどうしてるかな」と懐かしむんじゃないか。

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ムーンライト(Moonlight)』監督:バリー・ジェンキンス

映画は主人公シャロンの少年時代、高校時代、そして青年時代の3つのパートに分かれている。

マイアミの貧困地域。体が小さくて「リトル」と呼ばれていたシャロン。

ある日、いじめっこたちに追いかけられたシャロンは、逃げ込んだ廃屋でフアン(マハーシャラ・アリ)に出会う。この時、画面がけっこう揺れて、画面酔いする私はやや心配になったけど、フアンが頻繁に登場するようになってからはカメラが落ち着く。もしかするとあの揺れは、幼いシャロンの不安を表していたのかも。

フアンと恋人のテレサはシャロンを温かく受け入れ、家ではヤク中の母親からネグレクトに近い扱いを受けていたシャロンにとって、彼らの家は大事な居場所になる。やがてシャロンは、フアンを父親のように慕うようになるのだが、フアンは麻薬ディーラーとして、シャロンの母親に麻薬を売っている人物でもあった。

ティーンエイジャーになったシャロンは、相変わらずひょろひょろとしていて、いつもうつむき加減で、学校でいじめられているし、母親はいまだヤク中で、唯一心を開くことができるのは、幼なじみのケヴィンだけ。しかしそんなふたりの仲に亀裂が入る大事件が起きてしまう。

時が経ち、大人になったシャロンは「ブラック」と呼ばれており、子どもの頃とはまったく違う筋肉隆々の体格で、ダイヤのピアスにゴールドのチェーンを身につけ、まるでかつてのフアンを思わせる麻薬ディーラーとなってアトランタで暮らしている。ある日、突然ケヴィンから電話がかかってきて、シャロンはケヴィンに会いにいく。

「ブラック」というのは、ティーンエイジャーの時にケヴィンがシャロンにつけたあだ名で、それだけでもシャロンはケヴィンのことを忘れていなかったどころか、あんな出来事の後でも憎んですらいなかったのか!と私はちょっとびっくりした。でもね、その後ふたりが再開を果たしたときの会話から察するに、シャロンにとって、ケヴィンはこれまでの人生でたった一人の、大きな心の支えだったんだなと思う。

真っ白い歯を金歯ですっかり覆ってしまうように、同性愛者で内気で、いつまでも「リトル」のままの内側を、マッチョで強面の麻薬ディーラーという姿で包み隠して生きていかなくてはならなかった日々はさぞ辛かっただろう。その後、彼らがどうなるのかはわからないけど、ふたりが再び会えて、本当に、本当によかった。

ラストシーンの、月の光を浴びて海辺に佇む黒人の子どもの肩甲骨のあたりが白く光って、まるで天使の羽のようだった。



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by rivarisaia | 2017-04-22 23:59 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)

復活祭おめでとう! ナミアゲハ羽化1号です

復活祭おめでとうございます! 過去の記録を見ると、毎年復活祭の前後に越冬蛹が羽化しているので、昨日、様子を見に行ったところ……
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上のクロアゲハは何の変化もないけど、ナミアゲハがもぬけの空でした。

ジャーン!
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体にまだ水分が溜まっていて飛べないので、壁でお休み中。クロアゲハはいつ羽化するのかな。


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by rivarisaia | 2017-04-16 23:19 | 生きもの | Trackback | Comments(0)

The Tsar of Love and Techno

私にとって2014年のベスト本が『A Constellation of Vital Phenomena』だったのですが、同じ著者の2冊目も天才的にすばらしくて唸った。もっと早く読めばよかった。Anthony Marra(アンソニー・マラ)は新作が出たら絶対読む作家リストに入れました。

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The Tsar of Love and Techno』Anthony Marra著、Hogarth Press

短編集だけれども、すべてのストーリーが巧妙にリンクしていて、最初の話から順を追って読んでいくと、壮大なひとつの長編小説でもあることがわかる連作短編集。

意外な伏線があちこちにちりばめられていて、それを回収していく構成も見事で、むしろ連作短編集に見せた長編といったほうが的確な気もする。それと気づかないまま大きな絵の細部をひとつひとつ見ていって、読み終わると鮮やかに1枚の絵の全体が俯瞰できる感覚。

内容を知らないままのほうが、驚きが増して読む楽しさが倍増するので、ここでは詳しいあらすじには触れません。

物語の舞台は、スターリンの大粛清真っ最中のレニングラードから戦時下のチェチェン、人工的に造られた森に地雷の埋まった高原、現代のサンクトペテルブルクを経て、いつなのかわからない宇宙のどこか。

話をつなげていくのは、絵画や写真から政府に都合の悪い人物を消去する仕事を手がける修復師、スパイ容疑で捕まったバレリーナ、ミス・シベリアにロシアで十三番目の大富豪、写真花嫁、ロシア兵、チェチェンの小さな美術館の館長といったさまざまな人たちと、その息子や娘、孫。

そして、こうした登場人物だけではなく、1枚の絵や1本の映画、決して聞かれることのなかったミックス・テープといった「モノ」も物語を織り合わせる上で重要な役割を果たしています。

息を呑むような長い長いセンテンス、ハッとするような美しい文章といった、前作でもすごいと思ったアンソニー・マラの語り口にはさらに磨きがかかっていて、あはは!と思わず笑った直後に、胸に突き刺さるような悲しみが待ち受けていたりするので油断なりません。そして本作でも、希望は確かに存在しているのだった。

「ミックス・テープ」がキーワードのひとつなので、目次もミックス・テープにちなんでいて、あらすじを紹介しない代わりに、目次だけ記しておきます。

[SIDE A]
"The Leopard" レニングラード、1937年
"Granddaughters" キロフスク、1937-2013年
"The Grozny Tourist Bureau" グロズヌイ、2003年
"A Prisoner of the Caucasus" チェチェンの高地、2000年

[インターミッション]
"The Tsar of Love and Techno" サンクトペテルブルク、2010年; キロフスク、1990年代

[SIDE B]
"Wolf of White Forest" キロフスク、1999年
"Palace of the People" サンクトペテルブルク、2001年
"A Temporary Exhibition" サンクトペテルブルク、2011-2013年
"The End" 宇宙空間、年代不明

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by rivarisaia | 2017-04-13 22:30 | | Trackback | Comments(0)

わたしは、ダニエル・ブレイク

公的な福祉制度がカフカの世界のような状況になっているのは、日本に限らず世界のあちこちも同じで、これは英国の話。
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わたしは、ダニエル・ブレイク(I, Daniel Blake)』監督:ケン・ローチ

イギリスのニューカッスル。59歳の大工のダニエル・ブレイクは、心臓発作が原因で医者から仕事をしないようにと言われて、国の援助を受けようとするんだけれども、この申請が複雑怪奇なことになっていて(わかる。日本も似ている)、なかなか手続きを進めることができない。電話をすれば通話料は取られるのにいつまでも保留音を聞かされ、折り返しの電話はいつまでもかかってこないし、申請はPCでやれとか言われるけれどもダニエルはパソコンを持ってないし、使えないのだった。

失業給付金を受けるにしても、仕事しちゃいけないのに求職活動はせねばならず、とても不条理なのである。どこの国でも公的機関の福祉制度は往々にしてこのように不条理だったりする。

そんなダニエルが、二人の子供を抱えるシングルマザーで、非情な福祉制度の前に悪戦苦闘しているケイティを手助けしたことをきっかけに、彼らの間に交流が生まれる。

ダニエルやケイティをはじめ、ダニエルの隣人のちょっと悪そうな若者も含め、この映画に登場する市民はみんな優しい人ばかりで、助けを求めれば親切に手伝ってくれるし、1本しかないチョコレートバーを切り分けて食べたり、自分はがまんして他の人に食事をあげたりするのだけれども、そんな優しく弱い人たちが困窮して肩を寄せ合って生きているところに、過酷な現実が容赦なく迫ってくるのだった。

私がもっとも「あーーーー(わかる)」となったのは、福祉事務所にいる女性がダニエルを手助けしていた時に(そう、公的機関にも親切な人は存在する)、スーパーバイザーに呼ばれて注意されるところ。「前例を作ってほしくないのよ」と言われるんだけれども、これは私も実際に身近で見たり聞いたりした経験があって、どこかで線引きはしなくてはならないのはわかるけど、でも……という気持ちになるのでつらい。

そしてダニエルに連れられて、ケイティがフードバンクに行く場面。NGOの人がちょっと目を離したときに、ケイティは缶詰のフタをあけてその場で食べてしまう。観ていた私もびっくりして泣けてきたし、ケイティ本人もそんなことをしてしまった自分にきっとすごく驚いて、動揺して泣き出してしまうんだけど、「お腹が空いていてどうしても我慢できなかった」と泣く彼女をいたわるダニエルもNGOの人たちもとてもとても優しい。

しかし、こういう優しい人たちの善意だけに頼ってるわけにはいかない。NGOにできることも限りがあるのだ。私たちは誰もがダニエルやケイティの立場になる可能性があるのに、政府はいったい何をやっているのか、というケン・ローチの怒りの声が聞こえてくるような映画でした。


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by rivarisaia | 2017-04-10 23:58 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(2)

タレンタイム〜優しい歌

多民族国家であるマレーシアの4人の高校生とその家族を中心に、民族や宗教の違いから生じる誤解や偏見を抱えつつ、異なる文化の人々が共生する多民族国家マレーシアの日常を細やかに描き出した作品。

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タレンタイム〜優しい歌(Talentime)』監督:ヤスミン・アフマド

音楽コンクール「タレンタイム」が開催されることになった、マレーシアのとある学校。成績優秀でギターの上手な転入生ハフィズ、二胡を演奏する優等生のカーホウ、ピアノと歌の得意なムルーが「タレンタイム」に出場することになり、耳の聴こえないマヘシュがムルーのリハーサルへの送迎を担当することになる。

マレー系のハフィズは母子家庭で、母親は末期の脳腫瘍で入院中。ハフィズに学校のトップの座を奪われた中華系のカーホウは、ハフィズは教師に優遇されているのではないかと疑う(これには理由があって、マレーシアではマレー人や先住民を優遇する政策があるため、華人やインド人は何かと苦労が多い)。

ムルーは英国系とマレー系の裕福なムスリムの家庭のお嬢さん。そのムルーに惹かれていくマヘシュはインド人でヒンドゥー教徒。父親はおらず、母と姉の三人暮らしで、母の弟である叔父さんに可愛がられている。マヘシュの母親はムスリムに対してよい感情を持っていない。

ムルーとマヘシュの家族を重点的に描きつつも、そのほかの登場人物についても、ちょっとした場面や台詞がじつに多くを物語っていて、しばしばハッとさせられる。

たとえば中華系のカーホウ。彼がどんな家庭で暮らしているのかは、詳しくは出てこない。ハフィズの成績の件で教師に文句を言う彼は性格の悪い少年にしか見えない。でもその直後の、カーホウが父親の車に乗るワンシーンで、彼が今まで背負ってきた苦労が朧げながら伝わってきて、胸が苦しくなるような思いだった。

『タレンタイム』では、さまざまな形の「誤解」が描かれている。誤解はときに悲劇を生むけれども、異なるバックグラウンドを持っていても、人は誤解を解いて心を通わせることができるし、言語や文化や宗教が違っていても、お互いを思いやって暮らしていくことができる。そういう映画だった。


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by rivarisaia | 2017-04-08 23:13 | 映画/アジア | Trackback | Comments(0)

見たもの読んだものについての電子雑記帳


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