戦争と広告

先週、こんな本を読んでたんですよね。日本の太平洋戦争のときのプロパガンダについての本。広告を制作した人に戦争責任はあるのか。

b0087556_2113573.jpg

戦争と広告』馬場マコト著、白水社

大衆なんて、むずかしいことを言ってもわからない連中です。
視覚で訴えることがいちばん効くんです。視覚がね
       (内閣情報局、林謙一情報官の発言)


資生堂の広告やカネボウのロゴをはじめ、繊細でモダンな広告で有名な山名文夫(やまな あやお)。戦時中の彼は民衆を煽動し昂揚させる広告をつくりつづけた。なぜか。
自身も広告クリエイターである著者はこう述べています。

いつの時代も、どの国にあっても、時代と並走することでしか、生き残る手段がないのが広告だからだ。


平和な時代には乙女チックな広告を制作していた山名ですが、時代を反映する広告という仕事自体が時代にからめとられていきます。戦争において宣伝こそが強力な武器になると知った日本政府は、対外・国内の宣伝政策を強化し、世論形成の手段を構築しようと考えた。必要とされたのはプロパガンダ専門の制作会社の設立であり、こうして誕生したのが報道技術研究会でした。

国力を誇示する写真、戦争目的を正当化する写真を意識的に集める必要があった。そしてそのような写真を積極的に外国通信社に提供することで、こちらの意図する写真を少しでも多く、海外メディアに掲載してもらうのだ。それは戦略的に海外メディアをコントロールしていくという宣伝戦であり、思想戦だった。


報道技術研究会には、山名のほか、森永製菓の新井静一郎や今泉武治、前川國男や原弘など23人が加わり、後には大政翼賛会の宣伝部にいた花森安治も参加。彼らプロのクリエイターのつくる広告にはインパクトがあり、大衆を煽動する役割を立派に果たした。ま、どこの国でも完成度の高いプロパガンダって、デザイン性が高い。

しかし戦後になると、芸術家や音楽家など表現者の戦争責任が問われるようになる。では果たして、新しい表現とアイデアを探求した結果、すぐれたプロパガンダを生んだクリエイターに戦争責任を問えるか。悪いのは彼らを利用した国家なのでは?

著者は、戦争に加担しなければ生きていけなかった表現者を責められるだろうかと一貫して述べています。難しい問題ですが、私は著者の考えには賛同できない。いかなる状況であろうと、つくり手にも社会的責任はある、と考えるからです。

けれども同時に「右でも左でもなく時代の子として戦争は嫌だ」と言う著者の、

なぜなら時代の子である私は、必ず広告企画者として戦争コピーを書くだろう。確実に書く。


という気持ちも理解できます。ただし、私は自分の信条と合わない仕事はやりたくないから、生きるためでも嫌なものは嫌だ。精神的に耐えられない。そう思うと、本書に登場するひとりの人物に興味を抱かずにはいられません。

それは有名なグラフ誌『NIPPON』の名取洋之助。バウハウスの思想を学びドイツのデザイン工房を日本に持ち込み、日本工房を設立した人。当初の日本工房共同設立者には木村伊兵衛や原弘がいます。

戦時中、名取は上海を拠点に中国人向けの宣撫工作の仕事もするいっぽうで、日本軍の中国での酷い行為に怒って

前線の町々に日中友好のペンキ画を描いて、『焼くな、奪うな、犯すな』なんてポスターを貼って歩く


という「宣撫活動と啓蒙活動という百八十度違ったことを同時にやれる」自由な人だったとあります。名取洋之助、すごい! これで精神のバランスが保てたのかも。

ちなみに、名取洋之助とともに『NIPPON』の創刊にかかわったのが山名文夫なのですが、山名が資生堂に戻ることになり、その後任として入ってきたのが、21歳の亀倉雄策(偉大なグラフィックデザイナー)。当時のあだなは「少年図案家のカメさん」!

インターネットで多様な情報が行き来する現代、プロパガンダも様変わりしていて、一見そうと気づかないものもある。あんまり煽動されたくないけど、見極めるのも大変。戦時中も大衆はプロパガンダをプロパガンダと思ってなかったのかも。
[PR]
トラックバックURL : https://springroll.exblog.jp/tb/14833242
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by rivarisaia | 2011-02-07 23:16 | | Trackback | Comments(0)

見たもの読んだものについての電子雑記帳


by 春巻まやや
プロフィールを見る