わたしは、ダニエル・ブレイク
2017年 04月 10日
『わたしは、ダニエル・ブレイク(I, Daniel Blake)』監督:ケン・ローチ
イギリスのニューカッスル。59歳の大工のダニエル・ブレイクは、心臓発作が原因で医者から仕事をしないようにと言われて、国の援助を受けようとするんだけれども、この申請が複雑怪奇なことになっていて(わかる。日本も似ている)、なかなか手続きを進めることができない。電話をすれば通話料は取られるのにいつまでも保留音を聞かされ、折り返しの電話はいつまでもかかってこないし、申請はPCでやれとか言われるけれどもダニエルはパソコンを持ってないし、使えないのだった。
失業給付金を受けるにしても、仕事しちゃいけないのに求職活動はせねばならず、とても不条理なのである。どこの国でも公的機関の福祉制度は往々にしてこのように不条理だったりする。
そんなダニエルが、二人の子供を抱えるシングルマザーで、非情な福祉制度の前に悪戦苦闘しているケイティを手助けしたことをきっかけに、彼らの間に交流が生まれる。
ダニエルやケイティをはじめ、ダニエルの隣人のちょっと悪そうな若者も含め、この映画に登場する市民はみんな優しい人ばかりで、助けを求めれば親切に手伝ってくれるし、1本しかないチョコレートバーを切り分けて食べたり、自分はがまんして他の人に食事をあげたりするのだけれども、そんな優しく弱い人たちが困窮して肩を寄せ合って生きているところに、過酷な現実が容赦なく迫ってくるのだった。
私がもっとも「あーーーー(わかる)」となったのは、福祉事務所にいる女性がダニエルを手助けしていた時に(そう、公的機関にも親切な人は存在する)、スーパーバイザーに呼ばれて注意されるところ。「前例を作ってほしくないのよ」と言われるんだけれども、これは私も実際に身近で見たり聞いたりした経験があって、どこかで線引きはしなくてはならないのはわかるけど、でも……という気持ちになるのでつらい。
そしてダニエルに連れられて、ケイティがフードバンクに行く場面。NGOの人がちょっと目を離したときに、ケイティは缶詰のフタをあけてその場で食べてしまう。観ていた私もびっくりして泣けてきたし、ケイティ本人もそんなことをしてしまった自分にきっとすごく驚いて、動揺して泣き出してしまうんだけど、「お腹が空いていてどうしても我慢できなかった」と泣く彼女をいたわるダニエルもNGOの人たちもとてもとても優しい。
しかし、こういう優しい人たちの善意だけに頼ってるわけにはいかない。NGOにできることも限りがあるのだ。私たちは誰もがダニエルやケイティの立場になる可能性があるのに、政府はいったい何をやっているのか、というケン・ローチの怒りの声が聞こえてくるような映画でした。
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at 2017-04-18 10:29
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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rivarisaia at 2017-04-19 00:26
お久しぶりです。最近どうしてるかなと思ってましたが、いろいろ大変そうですね。ご自愛くださいね。
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by rivarisaia
| 2017-04-10 23:58
| 映画/洋画
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Comments(2)