長屋紳士録
2024年 05月 22日
『長屋紳士録』監督:小津安二郎
1947年製作・公開。戦後2年でこういう作品を撮ってるのすごいなあ。
戦後の焼け跡に家が建ちはじめた頃の東京が舞台。夫も子供も失ったおたねさん(飯田蝶子)は、笠智衆が演じるご近所さんがどこぞで拾ってきた戦災孤児らしき少年を押し付けられる。
いや拾ったというより、少年が勝手に付いてきちゃったんだけど、たぶん虱だかノミがいて体が痒そうにしている少年は、おたねさんの家に連れて来られる。かなり迷惑に思うおたねさん。そりゃそうだ。わたしがおたねさんでも、え、ちょっと困る…連れてきた人が責任持って泊めてやりなよ……となる。
しかし無理に押し付けられた形となって、ほうっておくわけにもいかないので、おたねさんは一晩のつもりで泊めてやり、翌日ほかの適当な家を探そうとしたり、少年が住んでたという町に連れて行ったりもする。でも結局子供の行くあてはなく、おたねさんは仕方なく自分の家に住まわせることになるのだった。口は悪いけど、おたねさんは根はいい人なのだ。
小津安二郎は子供の話を撮るとうまいよね。少年とおたねさんがシンクロして背中が痒くなる場面とか、微笑ましい。少年がタバコの吸い殻やクギを拾い集めていたエピソードも最後になってグッとくる要素のひとつになっていた。
戦後まもない時期に、生きるために必死な人々の心はギスギスしていて、自分さえよければいいのだと他人を押しのけるようなことをしてきたけど、それじゃいけないんじゃないかなということに、少年を通じて大人は反省する。公開当時、この映画を観た大人もそういう気持ちになっただろうか。心がしんみりしたところで、最後に映るのが上野の戦災孤児たちなのも、強いメッセージだったのでは。いつの世も子供は本当に大人の犠牲になってるよなと思うのだった。
おたねさんの友人(吉川満子)が訪ねてきてひとしきり喋ったあと、帰り際に「剣呑、剣呑、また来るわね、おやかましゅう〜」と言って去って行くのが、印象的。「さようなら」の代わりに「おやかましゅう(御喧しゅうございました)」を私も積極的に使っていきたい。「剣呑、剣呑」は「くわばら、くわばら」という意味だろうけど、はたしてこっちは使う機会あるかな?
ところで余談だけど、少年がときおり小学生時代のうちの夫に雰囲気が似ている瞬間があり、夫にも観せたところ、本当にそれもそうだが飯田蝶子も死んだおばあちゃんに似ているとかで、「俺とおばあちゃんの映画じゃないか」と慄いていた。剣呑、剣呑。
by rivarisaia
| 2024-05-22 23:05
| 映画/日本
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