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見たもの読んだものについての電子雑記帳


by 春巻まやや
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戸田家の兄妹

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戸田家の兄妹』監督:小津安二郎

1941年3月公開。ということは、太平洋戦争が始まる年の映画。以下、ラストまで話の内容に触れています。

かなりよい家柄と思われる戸田家。広いお庭のある大きなお屋敷で、両親、長女と息子、長男夫婦と娘、次男、次女夫婦、三女という大家族が集まって家族写真を撮る場面から始まる。でもそのすぐ後で父親が突然亡くなってしまう。葬式が済んだ後、実は父があちこちで手形を切っていたことなどが判明、立派な屋敷や骨董などを処分することになってしまった。

お屋敷から出なくてはならなくなった次男の昌二郎(佐分利信)はひとり天津に旅立ち、一方で母親と三女の節子(高峰三枝子)は、当面の間、ほかの兄姉の家に住まわせてもらうことになる。

ここでもう嫌な予感しかしないのだが、想像通り『東京物語』と同じ展開が待っていた。母と節子は、長男夫婦の家でも長女の家でも邪険に扱われる。かなり肩身の狭い思いで生活することになり、この調子では次女の家でもきっとうまくいかないだろうと察したふたりは、鵠沼の別荘に住むことになるのだった。母親と節子は九官鳥といくつかの万年青の鉢植えを持って転々としていく(万年青、最近あんまり見ないけど、そういえば昔はいろんな家に鉢植えがあった。花がグロテスクで変な匂いだったなー)。

冒頭の写真撮影ではモタモタとマイペースで行動していた次男の昌二郎は、父親の法事でも天津から遅れて到着。そして母と節子の境遇を知り、精進落としの席できょうだいに対して激怒するのがクライマックスである。

鵠沼の別荘というのが、まるで都落ちのような言われようで、住むに堪えない古い家らしいんだけど、見た目はそれなりに立派な家に見えるので、そんなに酷いかなあ?という気がしないでもない。それに昌二郎の言い分もわからなくはないけど、長女、長男、次女はそれぞれ家庭があるわけで、突然居候がふたりきたら、身内とはいえ生活する上で難しい面もあるのだと思う。大体、昌二郎は母と妹はほかのきょうだいに任せて、さっさと外国に行っている身なのだ。激怒する前に、冷静に事情を聞いて話し合うべきではないのか。あれでは一歩間違えたら介護案件でいうところの「カリフォルニアから来た娘」に匹敵する。もはや「天津から来た息子」と言いたいくらいだ。

きょうだいに向かって啖呵を切った昌二郎を見てスッキリした気分になれないのは、ほかにも理由があって、昌二郎が母と節子に「一緒に天津に行こう!」と誘うから。天津に行けば生き生きと好きなことできるし、のんびりしていいですよ、もちろん九官鳥だって連れて行ける、というのだが、占領地だしさ、やっぱりずいぶんと能天気だな昌二郎。結局天津に行ったのだろうか。未来に生きる私たちはその後、日本が歩む道を知っているので、鵠沼の別荘にいた方がよかったと思ってしまう。その後、この人たちどうなったんだろうと、モヤっとした気分になってしまった。

参照:
天津史 : 再生する都市のトポロジーの「第8章 : 天津のなかの日本社会」(LINK

Commented by fontanka at 2024-05-27 17:20
この映画しりませんでした。
万年青は実家にあった(今はどうなっているのか?)気がします。

この話で、子供向き?の「少年少女世界の名作文学」(アメリカ編)のウィル・カールトン「あの山越えて」を思い出しました。
未亡人になった母、子供はたくさんいる(牧師の息子までいる)が、面倒をみたのは、子供の頃荒くれもので、家をでていた息子・・・

足長おじさんとか一緒の本で、なぜか印象にのこっています。
Commented by rivarisaia at 2024-05-27 21:50
もっと若い頃に観ていれば、昌二郎と一緒に他のきょうだいに対して怒ってたと思うんですけど、むしろ今は昌二郎の浅慮な面が目についてしまうー。

万年青、当時としては手入れの要らない盆栽的なポジションだったんですかね。路地裏などでも置いている家が多かった記憶があります。ウィル・カールトンの「あの山越えて」は知りませんでした!
by rivarisaia | 2024-05-26 20:18 | 映画/日本 | Trackback | Comments(2)