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The Child Finder


ミステリやサスペンスのジャンルにカテゴライズされている本なのですが、もうちょっと広く一般文芸でもいいんじゃないかなという繊細な印象の本。読む前に想像していたよりも、とてもよかった。

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The Child Finder』Rene Denfeld著、Harper

オレゴン州。家族と森にクリスマスツリーを探しにきた少女マディソンが行方不明になる。それから3年が経ち、もし生存していたら8歳になる娘を探すため、両親は探偵のナオミ・コットルに捜査を依頼する。"Child Finder" という異名を持つナオミは、行方不明の子供を探すのを専門としていた。

ナオミには、子供を見つける天性の才能があるのだが(子供は必ずしも生きているとは限らず、死体で見つかることもある)、彼女自身、子供の頃にどこかから逃げてきたところを保護され、記憶を封印したまま、里親の元で育つという過去があった。

ナオミが心を許しているのは、里親である老婦人と、一緒に育った先住民の孤児ジェローム、親友である心理学者のダイアンだけ。

ナオミは、生死もわからない行方不明の少女を探そうと奮闘する。

ひとつ事前警告としては、監禁されている少女の描写が挿入されるのだけど、そこが読んでいて少女の気持ちが痛いほど伝わってきてかなりつらい。露骨な表現はないものの(ほのめかしはあるからつらい)、必死に生き延びようとする少女の姿に胸が苦しくなる。そして真相が明らかになると、言いようのない哀しみとやりきれなさが倍増するのだった。誘拐犯、許すまじ。

やたらとひねりの効いた展開がちりばめられているタイプのミステリではなく、ナオミとマディソンというふたりにぐっと入り込むような小説。

マディソンを探すなかで、ナオミは自分自身の過去とも向き合おうとするのだけど、ナオミについての多くの謎は残ったまま、でも過去と向き合って未来に進むのだろうなと思わせる形で話は終わる。

続きが出版される予定になっているので、楽しみです。


by rivarisaia | 2018-08-27 21:46 | | Trackback | Comments(0)

There There

ここのところ、アメリカ先住民についての映画を観たり、記事を読んだりと考える機会がちょくちょくあって、いわゆる「頻度錯誤」というやつが起きてる状態なのですが、こんな小説も読んでいました。

著者のトミー・オレンジは、オクラホマのシャイアン&アラパホ族で、生まれと育ちはカリフォルニア州オークランド。

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There There』Tommy Orange著、Knopf

ネイティヴアメリカンの歴史と文化、イメージとしての "インディアン" の扱われ方、そして都会にくらす ”アーバン・インディアン” たちが抱えるアイデンティティの喪失や多様な問題、バイオレンス、そしてパウワウ。

最初に10ページくらいのプロローグがあります。

1970年代、アメリカでは放送終了後のTV画面にテスト映像としてインディアンの頭部が映し出されていた。

このような「羽根飾りをつけたインディアンの頭」は象徴的なイメージとしてアメリカ大陸の北から南まであちこちで目にするけれど、現実世界では、ワンパノアグ族のマサソイトがピルグリムファーザーズに食糧を与えてからのち、ネイティブアメリカンたちは白人に虐殺され、首を切られ、切られた首は瓶に入れられて見世物にされ、最終的には自分たちの土地から追い出されているのだった。

そして現代のアーバンインディアンたちは、かつて聖なる山々を知っていたように、今では都会の街並みを熟知していて、小川のせせらぎよりも高速道路のノイズに親しんでいる。

こんなプロローグに続いて始まる小説は、そうしたアーバンインディアンたちの群像劇で、メインの登場人物だけでも12人います(章タイトルになっている人数は14人)。DV、虐待、アル中、自殺、精神病、ドラッグ、暴力、貧困……と、それぞれが複雑な事情を抱えていて、さらには ”インディアン” であるというアイデンティティを失っていたり、逆にアイデンティティを確立しようしたりしている。

さまざまなバックグラウンドを持つ登場人物たちが、最終的にはオークランドのコロシアムで開催されるパウワウに集う。イベントを運営するために、踊りに参加するために、見物するために、生き別れていた家族に初めて会うために、パウワウの賞金を強奪するために。

そして惨劇が起きる。

登場人物の多さと構成のせいでちょっと混乱するので、やや雑多な印象を受けるかもしれないし、クライマックスのパウワウの事件も荒削りな感じがしないでもないんだけど(勢いに乗って読んだら1回で状況をうまく把握できなくて二度読んだ)、そのあたりを差し引いても、圧倒されるほどの大きなエネルギーを感じたパワフルな小説。著者の2作目が楽しみです。

タイトルの「There there」はレディオヘッドの曲名でもあり、ガートルード・スタインの "There is no there there.(そこにはそこがない)” から来てる。インディアンたちの故郷だったそこはもうそこにはない。

過去の歴史と現在のアメリカ先住民に興味があるなら、かなりおすすめ。こういう本が邦訳されるといいなと思うけど、どうでしょう。

by rivarisaia | 2018-08-21 17:57 | | Trackback | Comments(2)
そういえば2週間くらい前にトム・クルーズのオザキ8……もといスパイ大作戦を観たことをすっかり忘れていました。もうだいぶ記憶が薄れてる……。

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ミッション:インポッシブル/フォールアウト(Mission: Impossible – Fallout)』監督:クリストファー・マッカリー

今となってはあらすじがうまく説明できません。いや、観た直後すでに、これあらすじをちゃんと説明できないなって思ったんだった。

とにかく悪の組織が核爆弾を作ろうとしているので、それを阻止すべく盗まれた3つのプルトニウムを回収しないといけないのだが、1回失敗してしまい、もう1度プルトニウムを回収することに!という話。

この回収作戦がずっと続くわけですが、アクションも派手なので勢いに乗って観れちゃうものの、ふと振り返るに、あんな大仰なことする必要あったのかしら?となってしまうのだった(スカイダイブしか会場入りする方法なかったの?とか)。

ひたすらアクションがんばるトム・クルーズを眺めている感があり、トム・クルーズは本当に体張ってるんだけど、そこまでやらなくてもいいのではとか、もはやこれはオザキ8なのでは? なにかを達成すると高みに到達してしまうのでは? みたいな変なハラハラ感もありました。

今回、みどころとしてよかったのは男子トイレ乱闘シーン。

そしてがっかりポイントはいくつかあるんですけど、特に、わたしは前回のライバル的なイルサの役回りがけっこう好きだったので、イルサがありがちな恋愛対象としてのヒロインという立ち位置にさせられちゃって、そこが心底残念。

見終わった後の疑問なんですけど、アポストル自体は結局どうなったの? 次回に続くのかな。次回も観るかちょっと悩む。


by rivarisaia | 2018-08-17 15:52 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(2)

カメラを止めるな!

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カメラを止めるな!』監督:上田慎一郎

あらすじなどは何も知らないで観に行ったほうが面白いとおもう。ただ、最初のほうで「これどうなんだろうな?」と不安になった人がいると聞いたのでちらっと書いとくと、「生中継でワンカットのゾンビもの」を撮る話。ゾンビの話は嫌いでも、後半笑えるからたぶん大丈夫。

ひとつだけ注意なのは、前半37分は画面がかなり揺れる。私はゆれに弱いので、けっこう酔った。でも、その後は最後まで揺れないです。

ツイッターでも書いたけど、登場人物に嫌な人が全然いないし、ノイズになるような不要なパワハラめいた描写もセクハラめいた冗談もないけどちゃんと面白いし、女性もごくふつうに男性と同じくらいいて、同等に働いている感じがまったく自然だったというのが、昨今いろいろうんざりする世の中だったので、しみじみよかったです。

しかしこれ、先々月は上映が終わる前に行けるかなーどうだろう?と思っていたのに、じわりじわりと上映館が増えて、まさかのTOHOシネマズでもやるっていうから安心してゆっくり観に行けた。私が観たのは日比谷だったけど、旧スカラ座がずっと満席になってたから、すごいなー。よかったね。

by rivarisaia | 2018-08-12 23:28 | 映画/日本 | Trackback | Comments(0)

ウインド・リバー

先日アメリカの先住民の話をしたばかりですが(コチラ)、ちょうど先住民を描いた映画を観ました。これがとてもよかった。おすすめ。

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ウインド・リバー(Wind River)』監督:テイラー・シェリダン

ワイオミング州ウィンド・リバー保留地。野生生物局の職員である白人ハンターのコリー(ジェレミー・レナー)は、雪原で少女の死体を発見する。それは自分の娘の親友、ナタリーだった。

死体発見現場から5キロ以内には民家はなく、前の日の夜の気温はマイナス30度。それなのに殺された少女ナタリーは裸足だった。

捜査のためにFBIからは新人捜査官ジェーン(エリザベス・オルセン)が派遣されるが、厳寒の大自然はあまりに過酷な環境で、おまけに広大な土地に地元警察官は6人しかいない。

検死結果によって、ナタリーは暴行を受けていたことがわかるものの、直接の死因は冷気を吸い込んだことが原因の肺からの出血死。他殺と認定できないため、ジェーンはFBIの応援を呼ぶことができない。しかしジェーンは応援なしでも事件を解決するべく、地元警察官とコリーの協力を得て捜査を続行することに……。

コリーは過去にネイティブアメリカンの女性と結婚していて、ふたりの子どもがいるのだが、娘のほうはどうやら数年前に亡くなり、妻とも離婚しているらしいことがわかる。コリーは、ナタリーの死に娘の死を重ねあわせている。

いったい犯人は誰なのか。ナタリーに何があったのか。かたときも目が離せない展開でした。そしてジェレミー・レナーは本当にいい役者だった。

最初に「映画は実話をもとにしている」とあって、ラストの「失踪したネイティブアメリカンの少女の数は把握されていない」とテロップになんとも言えない気持ちになったけど、実話をもとにしているというのは、数年前の New York Timesの記事じゃないかと思う。(追加で註:以下の記事ですが、映画とまったく同じ殺人事件の話ではなく背景についてなので、記事を先に読んでも平気ですよ)


保留地は、貧困やドラッグやアルコール中毒、うつ病などさまざまな問題を抱えていることが多く、でも政府からは放置されているという印象で、これはどう改善したらいいのか。この作品でもそうした背景が描かれていて、私がいちばん泣きそうになったのは、ナタリーの父親が「儀式をしたいけど教わってないからどうしていいのかわからない」と言う場面。伝統や文化も奪われてしまっているということだよね。

そういえば『フローズン・リバー』も、テーマは異なるけれど保留地の寒い冬の話だったことを思い出して、もう1度観たくなりました(感想書いたつもりで、書いてなかったな)。



by rivarisaia | 2018-08-07 23:58 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)
前回はワイルダー賞の名称が変わることについて書きました。そのつづき。




『大草原の小さな家』は、日本では一定の年齢層にはドラマ版のイメージが強く残っていそうで、本に関しては、年齢層を含めどのくらいの読者に読まれているのか、私は知りません。

書籍の「小さな家シリーズ」は、ローラの自伝だととらえる人もいるけれど、あくまで著者の経験をもとに書かれたフィクションです。

以前『Pioneer Girl』のエントリでふれましたが、もともと大人向けに書かれた原稿を子供向けに書き直すことになったという経緯があって、ローラ自身も「子ども向けのフィクション」として、想定する読者にあわせてエピソードを取捨選択して執筆しているし、さらに娘ローズが原稿に大幅に手を入れてます。

出版当時の社会にあわせて書かれているから、現代に適さない描写が出てくることもあるでしょう。今でも色褪せない魅力があるから読み継がれているけれども、「児童書」として適切か、というのは、このシリーズに限らずどんな本に対しても常にアップデートされていくものだと思います。

そういった視点でシリーズをざっと読み返し、個人的に気になった箇所にフセンを貼るとこんな感じ。

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緑のフセンは、私が先住民だったら嫌だなあと思う箇所。でも『シルバー・レイク』のビッグ・ジェリイなど、特定のキャラクターにまつわる描写やローラ個人の感情などは除外しています。

ピンクのフセンは黒人差別だと指摘された『大草原の小さな町』の5ページにわたって描写される文芸会でのミンストレルショウです。ローラの父さんが「骨を鳴らした黒人」を演じました。

ただ、今改めて黒人の登場があまりに少ないのも逆に気になってきました。自由州にはもっと人口がいたと思うけど、どうだろう。印象的なのは実在の人物だったタン先生くらい。深い意味はないのか、あえて除外したのか、それとも西部劇になぜか白人しかいないパターンと同じかな(このあたり詳しく研究してる人もいそう)

フセンの数は、人によってはもっと増えるかもしれないし、減るかもしれませんが、問題箇所が圧倒的に多いのは『大草原の小さな家』。インディアンテリトリーという舞台設定に加えて、インディアンが嫌いな母さん&スコット夫妻という人物がいるためです。

たとえば、スコットのおばさんのこんなセリフ。

「土地が知ってますさ。インディアンは、この土地に何ひとついいことをしてやしませんからね。ただあちこちうろつき歩いてるだけじゃないですか。野生の動物みたいに。条約がどうあろうと、土地はそれを耕す者たちのものですよ。それが常識っていうもので、正しいさばきでしょうが」
おばさんは、なぜ政府がインディアンと条約を結んだりしたのか、まるでわからないというのです。よいインディアンというのは死んだインディアンだというとおり、インディアンのことを考えただけで、血が凍ると、おばさんはいいました。

このあとミネソタの大虐殺の話題にチラっとふれます。「よいインディアンというのは死んだインディアン」という文章はほかにも複数回出てきます。

インディアンのことを「ただきらいなんですよ」と言う母さんは、「あの吠えたてる野蛮人がいたからですよ—— プンプン匂うスカンクの毛皮を腰にまいてるような連中が」(『シルバー・レイクの岸辺で』)といった具合にストレートに嫌悪感を表していますが、では偏見のなさそうな父さんはどうかというと、「インディアンのことはこわがることはない」と言いつつも、防御柵をつくるかどうかという話の時には

「こっちがこわがっていると思わせるようなことをするのは、ぜったいにしたくないからな」—『大草原の小さな家』

と言っています。

そもそも父さんは家族を連れて、白人移住者には開放していなかったインディアンテリトリーに勝手に移住しているわけです。父さんはときどき本音をもらします。

「白人がここらの土地全部を開拓して、住みつくことになるんだ。われわれはいちばん先にここにきて、自由にえらべたから、いちばんいい土地が手に入った」

「政府は、いつだって、移住者を開拓した土地から追い立てたりはしないよ。インディアンを立ちのかせるにちがいないんだ」
—『大草原の小さな家』


結果的にインディアンテリトリーから、インディアンたちは出て行くことになりますが、インガルス一家も政府によって追い出される(父さんは兵隊がくる前に出ていくことを決める)ことになります。

また『大草原の小さな町』では7月4日の町のようすで、国旗のそばに立つ男性が次のような演説をします。

「……婦女子を殺させ、焼き、また皮をはいだりさせた残虐なる赤い皮膚の野蛮人とも戦わなければならなかった。少数の、はだしのままのアメリカ人が、彼ら多勢と戦って、やっつけなければならなかった。そして、彼らはまさに、戦い、そしてやっつけたのであります」

子どもの頃の私は、インディアンはかわいそうと思いながらもあまり深くは考えていませんでした。それは、外国の昔の話で自分からは遠いこと、興味があったのが「開拓時代のライフスタイル」だったからです。

開拓民視点の話だから、白人がインディアンに対して抱いた恐怖心について想像するのは容易です。描かれていないのは、先住民側の感情です。

そして大人たちの態度だけでなく、インディアンは自由でうらやましいと無邪気に思い、インディアンの赤ちゃんがほしいと泣くローラの態度をみても、全体的になんだかインディアンは人間ではなくて、何か違う生き物のような印象すら受けます。

ただし、劇中でローラは両親に「ここはインディアンの国ではないのか」「なぜ母さんはインディアンを嫌うのか」とたびたび質問しています。あえて繰り返しこうしたセリフを挿入しているのは、どうしてだろう。私は、これは著者ワイルダーによる読者への問いかけなのかもしれないな、と思っています。


小さな家シリーズ
インガルス一家の話
『大きな森の小さな家』恩地三保子訳、福音館書店
『大草原の小さな家』恩地三保子訳、福音館書店
『プラム・クリークの土手で』恩地三保子訳、福音館書店
『シルバー・レイクの岸辺で』恩地三保子訳、福音館書店
『長い冬』鈴木哲子訳、岩波少年文庫
『大草原の小さな町』鈴木哲子訳、岩波少年文庫
『この楽しき日々』鈴木哲子訳、岩波少年文庫
『はじめの四年間』鈴木哲子訳、岩波少年文庫

ローラの夫となるアルマンゾの少年時代を描いたもの
『農場の少年』(出版された順ではこれが2冊目)恩地三保子訳、福音館書店


by rivarisaia | 2018-08-02 00:17 | | Trackback | Comments(0)
アメリカ図書館協会の「ローラ・インガルス・ワイルダー賞」の名称が今年から「児童文学遺産賞/Children's Literature Legacy Award」に変更された件で、趣旨を理解しておらず、勘違いして怒っている人が見受けられるので、ちょっと書いておこうと思います。

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うちにあるシリーズはもともと母のものですっかりボロボロ


まず、私はローラ・インガルス・ワイルダーの著作は大好きなのですが、アメリカ図書館協会の今回の判断を支持します。

日本の報道も誤解を招く要因なのでは?と疑問ですが、まず、言論統制だ、検閲だと思っている人、これはまったく勘違いしています。言論統制でもなければ、検閲でもありません。差別的な表現を削除しろとも言ってません。

そもそも基本的には「賞の名称を変える」だけであり、それは検閲を意味するのでもなければ、読むなとも言っていません。詳しいことはアメリカ図書館協会の声明を読んでほしいのですが、その点は強調されています。

「ローラ・インガルス・ワイルダーの著作は、これまでもそうだったように、これからも多くの読者にとってとても大切なものであり続けるでしょう」

と、最初にアメリカ図書館協会は述べています。それでも今回名称を変えることにしたのは、ワイルダーの本は1800年代のアメリカの開拓者としての経験や視点にもとづくもので、先住民や有色人種に対する描写が現代の多様な社会にはそぐわず、そこがアメリカ図書館協会の価値観と矛盾するからです。

賞の名前を変えるからといって、ワイルダーの本に対する個人的な関わりや気持ちも変えてほしいと読者に呼びかけてもいないのです。また、児童文学に多大なる貢献をした過去の受賞者や作品を否定するものでもありません。

読むのを禁止したり、本について話したり、子どもに読ませないようにしろとも言ってません。

ただ、大人は、ワイルダーの著作に関して批判的に読み解き、議論してほしい、と言っているのです。

批判的に読み解きというのは「think critically」ということですが、時代背景や歴史などを踏まえて多角的な視点で考える、ということです。

これの何が悪いのかな?

またひとつ注意したいのは、日本国内での読まれ方とアメリカ国内での読まれ方は違う、ということです。

日本人としては所詮これは他国の遠い昔の物語ですが、アメリカではもっと身近な話だし、学校の授業で使われることもあります。それこそ時代背景や歴史をふまえた読み方をしないと、傷つく子どもが出ることもあるのです。開拓時代のインディアンや黒人に関する描写が、現代の視点で見ると差別的なのは、確かに当時はそういう時代だったからなのですが、「当時は今と違った」という読み方をきちんとしてきたのかな?

実際に1998年には、スー族の8歳の少女がいるクラスで、教師が「よいインディアンは死んだインディアンだけ」というくだりがある箇所を読み聞かせたことが、大きな問題になっています(ワシントンポストの記事)。

名称が変わらざるをえなくなったのは、これまでの(アメリカにおける)読者(主に白人)が、クリティカルに読むという行為を怠ってきたツケでは?という気もします。

インディアンの描写が一番問題がある巻は2冊目の『大草原の小さな家』ですが、日本語版は巻末に日本女子大学の清水知久先生の「アメリカ・インディアンのこと」という解説がついています。

この解説では歴史的な背景に加えて、日本人も白人と同じような目でインディアンを考えてしまうこと、そして異なる文明を認めるというのはどういうことなのか、今読んでもハッとすることが書いてあるので、読んでいない人はぜひ読んでみてください。

私は英語版のPBも持っているんですけど、残念ながらこういった解説はついてないんですよね。最近の版はどうだろう。Study Guide的なものはついてるのかな? この話はまた続きます。


*続きも書きました(8/2/2018)



by rivarisaia | 2018-08-01 00:11 | | Trackback | Comments(2)

見たもの読んだものについての電子雑記帳


by 春巻まやや