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見たもの読んだものについての電子雑記帳


by 春巻まやや
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けっこう前に入手してたけど、ようやく読み終わった。

Tree of Codes:ダイカットで紡ぐ詩_b0087556_17135149.jpg

Tree of Codes』Jonathan Safran Foer著、Visual Editions

著者はジョナサン・サフラン・フォア。日本でも2作翻訳されていて、個人的にはいろいろな点であざとい...という印象を抱いてしまう人なのですが、2作目の『Extremely Loud and Incredibly Close(邦題:ものすごくうるさくて、ありえないほど近い)』でも、写真の使い方とかあざとい…とか言いつつ、その写真に泣いた私です。

結果として、好きなのか苦手なのか、選ばれし読者でないのかどうなのか、自分でもよくわからない作家ですが、気になる人なのは確か。紙のレイアウトにおさまらない物語を紡ぎ出したい人なのかもしれないなあ。『紙葉の家』や『紙の民』ほど突飛でもなく、ゼーバルトほどさりげなくもないんだけど。

というわけで、全ページがダイカットの本の著者がジョナサン・サフラン・フォアと聞いて、なんだか納得した私なのであった。

フォア自身が大好きだと語る本、ブルーノ・シュルツの『The Street of Crocodiles(邦題:肉桂色の店)』の文章を切り抜いて、新しい小説を作るという試みにより、全ページがこのようになってます。Visual Editions の本書紹介ページにもページ拡大画像があります。

Tree of Codes:ダイカットで紡ぐ詩_b0087556_1714858.jpg

とても読みにくいです。ダイカットの下から覗いてる単語もあわせて読むのだと最初思ってたら、まったく意味が通らず、基本それらは無視して1ページずつ読む方式だと把握したものの、そうなると下から覗いてる単語がジャマである。

下に紙を挟んで読みたくなっちゃうのだが、この読みづらさも物語に影響を与えてる気がするし、下から覗く単語がまた不穏な雰囲気を出しているので、ひたすら読みづらいまま読んだ。

あらすじは…なんと説明したらいいでしょう。

狂った父。父を狂わす母。それをじっと見ている息子。地図から消える町、やがて地球に衝突するかもしれない彗星。
世界は徐々に崩壊していく…


こんな感じ? 小説というより、散文というか詩。私の理解では、この本のページのように物語全体にぼこぼこと穴が開いていて、ほんやりした印象しか持てない。穴があいて単語が欠落している、という状態が本の中に無数のヴォイドの存在を感じさせ、じわじわと迫る崩壊を予感させる文章にどこか不気味な空気を織り込んでる。そして時折、ハッとするような美しいフレーズがページに浮かび上がっているのでした。
# by rivarisaia | 2011-10-17 17:41 | | Trackback | Comments(0)
7月にみたときに、気が狂いそうになったこの映画。何故か昨日うっかり『Waltzing Matilda』を口ずさんでしまい、また思い出しちゃったよー!

渚にて:Waltzing Matilda 無間地獄_b0087556_16295426.jpg

渚にて(On the Beach)』監督:スタンリー・クレイマー

核戦争により北半球が全滅した世界。生き残った人類はオーストラリアにいるのだが、やがてそこにも刻一刻と死の時が迫っており…


最初に断っておきますと、静かで淡々と、死ぬ前に人はどう過ごすのかを問う、いい映画です。名作です。

が、しかし。

ここで、7月の私のツイートを振り返ってみたい。

たまたま『渚にて』を再見。細かい部分を全然覚えてなかったんだけど、そんなことよりも今回超絶気になったのは多くの場面でさまざまなバリエーションの『ウォルシング・マチルダ』が流れること。いくらオーストラリアだからってそりゃないよ、と言いたくなるくらいの攻撃。

さんざん『ウォルシング・マチルダ』バリエーションを聞かされた後、グレゴリー・ペックとエバ・ガードナーのラブシーンでは極めつけ。歌声つきで何度も何度も歌い、それがスローモーになったりして正直気が狂いそうになった。

ウォルシング・マチールダ、ウォルシング・マチイイルダ、ゆーるかむあウォールシング・マチールダうぃずみー♪ 脳内で鳴り止まない! 昔みたときはこんなに気にならなかったのに、もう駄目です!

げに恐ろしき音楽の力よ。


一緒にみていた家人はまるで気にしてなかったので、たんに私がバックグラウンドの音楽が気になりやすい性質なのが敗因。

メインテーマとして、第2のオーストラリア国歌と呼ばれている『Waltzing Matilda(ウォルシング・マチルダ、ワルチング・マチルダともいう)』が使われているんですが、オープニング・クレジットで「ああ、あの曲が使われてるのね、舞台がオーストラリアだしね」と認識してから、さあ大変。

一度気になると、以後ずーーっと神経に障る変化に富んだ『Waltzing Matilda』。映画が訴えたい主題はもとより、モールス信号を送るコーラの瓶や誰もいないサンフランシスコといった印象的な場面も、すべてあの曲にかき消されてしまい、私の中ではもはや「渚にて=Waltzing Matilda が狂ったように流れる映画」ということに…。

ところで、『Waltzing Matilda』の歌詞について、いままでまったく気にしてなかったんですけど、いつものように Wikipedia をみておののいた。

貧しい放浪者が羊泥棒を働いて、追いつめられて沼に飛び込んで自殺するというストーリーの歌 (by Wikipedia 日本語)


追いつめられて入水自殺…。だから、歌詞で幽霊がどーのこーのと言ってたのか。

ちなみに「マチルダ」というのは、放浪者が一切合切の持ち物をくるんで背負ってた「布」のことです。「Waltzing」はワルツを踊るのではなく、もともとドイツ語の職人が修行の旅に出るという言い回しから来ているらしいですが、転じて放浪するという意味だそうですよ(Wikipedia 英語版の受け売り)。

歌詞からすると、北半球を追い出されて、あてもなくオーストラリアをさまよい追いつめられていくという内容を象徴するかのようでテーマ曲として適切だという気もしてきましたが、それでもあのバリエーションはさすがにくどかった、いやいい映画なんだけど…と思う私でした。


では、オマケとして、子どもが歌う『Waltzing Matilda』をどうぞ!
歌詞付きなので、一緒に歌おう。


# by rivarisaia | 2011-10-13 16:39 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(4)

切腹

『一命』が公開になりますが、見たいけど最大のネックは3D上映。眼鏡on眼鏡の状況が改善されるまで、3Dはできる限り避けたい。原作は前にも映画化されており、本当におもしろい映画なので、そっちを軽く紹介します。話の内容が三池さんに合っているから、『一命』もおもしろいんじゃないかな(役者が若干不安ですが)。

切腹_b0087556_15373148.jpg

切腹』監督:小林正樹

井伊家のお屋敷に、ひとりの浪人がやってきて、庭先を借りて切腹をしたいと申し出る。井伊家の家老は、数カ月前に同じように「庭先で切腹をしたい」と言ってきたある若い浪人のことを思い出し…


あらすじはここまで。どう話が転ぶのかまるで知らない状態でみた私。途中から高まる緊張感とともに俄然話がおもしろくなってきて、痛烈な武士道批判に最後はしみじみ世の中って世知辛いですよね…と感じつつ、現代に置き換えて「ハッ! 同じ!」と憂鬱になりました。

庭先で切腹の申し出というのは、職にあぶれて生活に困った浪人がお屋敷からお金を巻き上げる口実として当時流行していたのですが、井伊家では「なんと立派。それぞ武士である。ぜひとも切腹するがよい」と対応するわけですよ。もちろん本心は違う。「けっ! 金目当てに出まかせ言いやがって。ならば本当に腹を切らせてやるからな」と考えていて、「ある若い浪人」がどんどん追い込まれてにっちもさっちもいかなくなる様子がですね…すっごく怖いよ

そして追い込まれた浪人の切腹がね、わけあって竹光を使えと言われる。しかも「古式に則り十字に切れ。それを成すまで介錯は許さず」。

すっごく痛いよ(涙目) っていうか、それは酷いよ、あんまりだよ。

さて、この若い竹光浪人と、もう一人の浪人の関係はいかに。なにゆえに、ふたりは井伊家にやってきたのか。以上、続きは『切腹』か『一命』でどうぞ!


余談:若い竹光浪人の妻役は初々しい岩下志麻で、眉なしお歯黒はなかなか似合ってました。今の女優が眉なしお歯黒やると、不気味な様相になっちゃうことが多い。最近の時代劇をみるとき若干不安になっちゃうのは、今の俳優・女優の顔立ちや立ち振る舞い、身体つきが、時代劇にまったく似合わないことです。これはもう仕方ないのかな。海老蔵は大丈夫そうですけどね。

余談2。井伊家の家老は三國連太郎ですが、どこか峰岸徹に似てる…。
# by rivarisaia | 2011-10-11 15:37 | 映画/日本 | Trackback | Comments(0)

アンノウン

あんまり難しいことを考えず、細かいツッコミどころなどどうでもよくなっちゃうくらいワーッとみてパーッと楽しめる映画がみたい気分だったので、これ最適でした。リーアム兄さんは最近の私と相性がいい。

『96時間』ではパリで大暴れのリーアムさんが今度はベルリンではっちゃけるよ!

アンノウン_b0087556_23155975.jpg

アンノウン(Unkown)』監督:ジャウマ・コレット=セラ

学会に出席するためにベルリンにやってきたドクター・ハリス(リーアム・ニーソン)。ホテルに到着してタクシーをおりたら、おや、鞄がひとつナイ! 空港にあわてて取りに戻る途中、交通事故に遭ってしまい、一部記憶を失ってしまう…


病院から退院許可を得たリーアム兄さん。よろよろとホテルに戻ってみれば、妻には「あなた誰ですか? こんな人知りません」と冷たくされ、「私が彼女の夫のドクター・ハリスです」と名乗る男まで登場。俺の記憶がおかしくなってるのかな…と混乱するリーアム兄さんなのですが、どうも怪しい出来事に見舞われ、やはり何かの罠にハメられたのでは?と確信、私立探偵の元を訪れるわけです。

折しも季節は感謝祭シーズン。アメリカに身元確認したくっても休みで誰にも連絡取れない…という、感謝祭休みに苦しめられた経験のある私としてはとても他人事とは思えないようなシチュエーションも(涙)

よく考えてみれば、学会に出席する博士の身分を乗っ取るって、けっこう話がデカイ上に無理があるけど、どう落とし前をつけるのだろうか、と不安でしたが、それ杞憂。あら、そう来ましたか、という展開で、そういうことならあれやこれやの疑問も納得。おまけに誰に死亡フラグ立ってるのかわかんなくなってくるし、すったもんだの挙げ句に障害はきれいに排除されてすっきり片付きましたね!というエンディングまで心おきなく楽しめました。

いやあ、ちょっとくらい記憶が欠けててもリーアムさんは頼りになるなあ! ということで、『96時間 2』も待ってます。つくるよね?
# by rivarisaia | 2011-10-08 23:20 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)
本日はスティーヴ氏の訃報により、家人が通夜みたいになってる我が家ですよ。

よく考えてみれば、私も子どもの頃から使ったことあるコンピュータといえばほとんど Machintosh。Windows なんて数えるほどしか触ったことないので、日本語の表示の仕方すらわかりません(本当です)。なにより私は Windows のフォントの表示が嫌いで、どのくらい嫌いかといえば、世界中の Windows マシンの上を戦車で百万回往復したいくらい嫌いだし、勤め先で Windows を使わないといけないなら仕事辞める、というくらい嫌い。

いずれにしても Apple がなかったらブログもTwitterもやってないだろうし、基本的に電子機械は好きではないので、そもそもコンピュータなんて意地でも自分じゃ買ってなかったね。

いや本当にジョブスさんにはお世話になりました。Appleさんには今後もひきつづきお世話になる予定なのでがんばってください。

スティーヴさんありがとう_b0087556_19542872.jpg

こちらはいつぞやに、わざわざ弟が連れていってくれたのに感謝祭でショップも閉まってたという 1 Infinite Loop にある Apple本社。
# by rivarisaia | 2011-10-06 20:02 | 日々のよもやま | Trackback | Comments(0)