オラファー・エリアソン 視覚と知覚

2008年の「ザ・ニューヨークシティ・ウォーター フォールズ」のインスタレーション完成までを追いつつ、じっくりとオラファー・エリアソンのレクチャーを受けたような感じのおよそ80分のドキュメンタリーです。

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オラファー・エリアソン 視覚と知覚(Olafur Eliasson : Space is Process)
監督:ヘンリク・ルンデ、ヤコブ・イェルゲンセン

彼の言っていたことを、たぶん私は半分も理解できてないんだけど、世界の見え方、空間の捉え方について考え直すきっかけにもなりそう。とはいえ、いま忙しくて、なかなか考え直してる時間がないんですけどもね! 折に触れて、そう、散歩してる最中とかに思索にふけりたいものですよ。

それにしてもオラファー・エリアソンすごいなと感心したのが、彼の作品を見るたびにどうしてこんなことを思いつくのか不思議でしょうがなかったんですけど、インプットのスケールが半端ないこと。

人はまったくのゼロからは大したものが生み出せなくて、なにかを創造するというのは「インプットしたものがその人の中を通過して形を変えてアウトプットされること」だと思っているんですけど、オラファー・エリアソンはそもそものインプットが壮大だった。

たとえば生まれ故郷のアイスランドに行って、大自然と向き合い写真を撮る。それも落ちたら死ぬような氷河の裂け目の写真を、車に設置したハシゴに乗っかって上から撮影したりしていて、いやーそりゃもうアトリエにこもってたりしてたんじゃ、あんな作品は生まれてこないよね、そうだよね、インプット大事……!としみじみ思った次第です。

あとね、アート作品鑑賞するときに、最近ぼんやり眺めちゃうことが多かったんだけど、もっと頭使って鑑賞しないとだめだな、と反省しました。

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# by rivarisaia | 2017-11-25 23:25 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)

ドリーム

相変わらずバタバタしていて、フィルメックスには行けそうにないですが、映画祭の前に観た映画の感想をちまちまアップすることにします。

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ドリーム(Hidden Figures)』監督:セオドア・メルフィ

最初は「私たちのアポロ計画」という副題がついていたけど、「マーキュリー計画なのに、なんでアポロやねん!」という批判が起こり、副題は撤去されました。のちのアポロ計画にもつながってるからって、メインはあくまでマーキュリー計画なのにアポロはナイ。ドリームっていうのもちょっとズレていますが。

1960年代初頭、ヴァージニア州にあるNASAのラングレー研究所が舞台。トイレもバスの座席も学校も、社会のあちらこちらが白人用と有色人種用に分けられていた時代のアメリカ。

計算手のキャサリン・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)、計算部代理スーパーバイザーのドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、エンジニアのメアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)という3人が、黒人でしかも女性という二重のハンデを背負いつつも、偏見や差別と闘い「マーキュリー計画」に大いに貢献する、という映画です。

電子計算機が登場する以前は、「コンピュータ」とは「計算をする人間」を指し、大勢でチームを組んで複雑な計算を人力で行っていて、NASAでも多くの黒人女性が計算手として雇われていました。

脚本なのか編集なのか、ややひっかかるところや、史実とは異なり盛っている部分もあったとはいえ、全体的にはよくできていて、主演3人が前向きなので暗く重々しい雰囲気にならず、明るい気持ちになれるのがよかった。

とにかく私は、前例がないことをやったり、既存のバカっぽいルールを壊したりする人の話が好きなのです。

ただ手放しですっきりする映画というわけでもなくて、NASAのような進歩的な人たちがたくさんいるはずの場所で、おまけにズバぬけて優秀な人材に対してもこの扱いか、じゃあ一般社会での凡人はもう絶望的じゃないか、という気持ちにもなっちゃう。

主演3人がチャーミングなのはいうまでもないんだけど、いま振り返ると強烈に印象に残っているのが、キルステン・ダンストが演じていた計算部の白人女性上司ヴィヴィアン・ミッチェル。

たぶん彼女は、女性の地位が低い職場で苦労している人なんだと思う。だから、私だって我慢してすごくがんばっているんだから!と考えているはずで、偏見に満ち満ちた態度を取ってしまっていることに、マジで気づいてなかったというか、そんなことを考える余裕もなかったんじゃないかなあ。

こういうことは往々にして起こる。彼女のような人はどこにでもいるし、誰の心の中にも、当然私の中にもきっとヴィヴィアンはいるから、まさに他山の石としたい人物だった。

そしてヴィヴィアンの男性版が、シェルドンことジム・パーソンズ演じるポール・スタフォードで、ヴィヴィアンとポールは私たちの反面教師コンビなのでしょう。

いっぽうでジョン・グレンが見た目も行動も好感度メモリ最大限までアップした状態で登場するんですけど、男前すぎないですか。「あ、彼女たちにも挨拶させて!」とにこやかに黒人計算手チームに歩みよっていく場面とか、なんだろうあの爽やか好青年っぷりは。

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# by rivarisaia | 2017-11-20 23:25 | 映画/洋画 | Trackback | Comments(0)

カカバカバ・カ・バ?

東京国際映画祭で〆の1本だったのが、これ。マイク・デ・レオンの抱腹絶倒ミュージカル・コメディ、デジタル復元版。

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カカバカバ・カ・バ?(Kakabakaba Ka Ba?/Will Your Heart Beat Faster?)』監督:マイク・デ・レオン

タイトルは「ドキドキしちゃう?」というような、そんな意味。

フィリピンに麻薬を密輸しようと試みては、何度も失敗している日本人ヤクザの小野田(!)。失敗するたびに指を詰めていたのだが、ボスから次にメンツを潰したらどうなるかわかってるだろうな、と最終通告が出て、今度こそ!という覚悟でフィリピンへ飛ぶ。

そして小野田は、飛行機内で隣あわせた青年ジョニーのポケットに謎のカセットテープをしのばせ、あとで仲間とふたりで回収を試みるのだが、まったく計画通りにいかず……

小野田と日本人ボスはときどき聞き取れないけどカタコトの日本語で話す。けっこうベタなギャグも最初はおもしろいけど、途中からまったりしてきて、確かに歌う場面はあるけど(ジョニーがバンドをやっている)、どこがミュージカルなのかしら、と首かしげながら観てたんですが、青年ジョニーと友人ノノン、ヒロインのメラニーとナンシーの四人組が教会に潜入し、似非シスターたちが天使にラブソング状態になった終盤からの怒涛のミュージカル展開がやばかった。

なんだろう、ラスト直前の、ニッポンvsフィリピンそれからvs中国の畳み掛けるようなめくるめく歌と踊り。労働力の安いところに工場つくるのだ! エセ神父とシスターを使い、庶民をだまくらかしてヤク漬けにして国を支配するのだ!というヤクザ勢と戦うフィリピン勢。そこに乱入する中国マフィア。謎のマシンも登場するし、サムライ出演のロッキーホラーショーっぽくてカオス!

最後の歌い踊るシーン、もう1回みたい。〆の1本にふさわしい作品でした。


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# by rivarisaia | 2017-11-09 11:01 | 映画/アジア | Trackback | Comments(0)

大仏⁺

東京国際映画祭の3本目。本作は2014年の『偉大なる仏様(大佛)』という短編がもとになっていて、私はそちらは未見なので機会があったら短編も観てみたい。

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大仏⁺(大佛普拉斯/The Great Buddha+)』監督:ホアン・シンヤオ/黄信堯

仏像工房で夜間警備員をしている男は、夜間勤務の時間帯を廃品回収をしている友人とエロ本を見たり、まずい弁当を食べたりしつつ、まったりと過ごしていたのだが、ある日、友人の提案で社長の車のドライブレコーダーを覗き見することになる。

はじめは社長と愛人がいちゃつく姿をこっそり楽しんでいたふたりなのだが、ドライブレコーダーには衝撃の映像が録画されていて……

ほとんどがモノクロなんだけれども、ドライブレコーダーの映像だけカラーになる。白黒=底辺の人たちの生活、そしてカラーはきらきらとした金持ちの生活を表している。夜間警備員も、廃品回収者も、商店の兄ちゃんも、灯台にくらす謎のホームレス(余談ですが、めっちゃわたしの友人に似ていて親近感がMAX)も、甥っ子を騙してまでしたたかに金を取るメガネ屋のおっちゃんも、なんだかもうとにかく生きるのにせいいっぱいで、どこにも行き場のない人たちだらけで本当に切ない。

あまりに切なくて、私は廃品回収の彼が、少なくとも美味しい食事ができたことはよかった、心底よかったと思ってしまったのだが、しかしあまりにも人生はつらかった。

それにしても、仏像工房の社長演じるレオン・ダイ/戴立忍のアレには驚愕した(笑) ずいぶんとシリアスなことをコミカルに描いているんだけれども、実際に人生はそういうものかもしれないね。




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# by rivarisaia | 2017-11-07 01:10 | 映画/アジア | Trackback | Comments(0)

超級大国民

1995年の東京国際映画祭で上映された作品で、22年ぶりの上映。デジタル・リマスター版で、字幕も新しくなっています。

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超級大国民(超級大國民/Super Citizen Ko)』監督:ワン・レン/萬仁

90年代の台湾。老人ホームにいた許(コー)さんは、30年前に死んだ友人のお墓を探そうと決めて施設を出る。

戒厳令がしかれ、白色テロが横行していた50年代、許さんは政治的な読書会に参加したことで逮捕されていた。投獄され、拷問に耐えきれなかった許さんは、逃げた友人の陳(タン)さんの名前を洩らしてしまう。その結果、陳さんはつかまって処刑され、許さんは釈放されたのだった。

娘の家に居候しながら昔の友人を訪ね歩く現在の許さんと、彼の過去を交互に描きながら、許さんの人生がだんだんと明らかになっていくのですが、彼自身も、彼の妻子も、とてもとてもつらい目にあっている。投獄された人とその家族の、その後の人生には言い知れない苦難が待っていて、それでも人生は長く続いていくのだった。

ようやくようやく見つけたお墓の前で、許さんが手をついて絞り出すように発した言葉は「陳さん、すみません」という日本語で、それは彼が日本語世代であるからなんだけれども、とてもやりきれない思いで私は胸がいっぱいになってしまった。今この場面を思い返しただけで、泣いてしまう。

監督のインタビューとQ&Aをはっておくので、こちらもぜひ読んでください。




予告編



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# by rivarisaia | 2017-11-05 01:49 | 映画/アジア | Trackback | Comments(0)

ポップ・アイ

東京国際映画祭が始まっているどころか終わりかけてますが、今年は私が切羽詰まってるうえに日程があわず4本だけ。しかもそのうち3本は1日で観た。今月もバタバタしてるので、ざっくりとした感想だけ残しとく。どれも公開されますように!

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ポップ・アイ(Pop Aye)』監督:カーステン・タン

仕事も家庭もうまくいかなくなってしまった冴えない中年の建築家。ある日、バンコクの路上で、幼い頃に仲良しだった象のポパイを見つける。象を買い戻した建築家は、ポパイを生まれ故郷の村へ連れていく旅に出ることに……。

のんびりしたロードムービーのようでいながら、主役の建築家が不器用で、目的地まで無事にたどりつけるのか、かなりハラハラする。旅の途中で会う人たちも、社会からはみ出ていたり、どこか間が抜けてたり、ちゃっかりしてたり(特に坊さん)。

そして思いもかけない事実も明らかになる。いやはや「ええっ!?」って驚いたよね。

しかし心に沁みる映画でした。冴えない人たちと象のポパイに幸あれ。

上映後のQ&Aで得たプチ情報ですが、象が入るのは勘弁、ということで、ロケハンが難航したようで、最終的に建築家の自宅として撮影に使われた家は、殺人事件があって借り手がいなかったお屋敷だそうです。なんと……!

また、ポパイはカートゥーンのキャラクターからきているんだけど、タイトルが「ポップ・アイ」になっているのは、もともと著作権で何か言われないようにするための対策だそう。でも、ポップ・アイ、のほうが響きも可愛いし、目を引くかな?って監督は言っていた。

主演のタネート・ワラークンヌクロ氏は、タイでは知らない人はいないというくらいのロックスターだそうで、プログレをタイに紹介し、音楽レーベルを経営している有名人だというのに、大変気さくな方でした。上映後に友だちと六本木ヒルズの大屋根プラザでしゃべってたら、通りすがったタネさんが私たちの席にやってきて一緒に話し込んじゃった!

予告





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# by rivarisaia | 2017-11-03 01:43 | 映画/アジア | Trackback | Comments(0)

補足:They Were Like Family to Me とブルーノ・シュルツ

8月にホロコーストをテーマにした短編集を紹介したんですけど、その中の「In the Land of Armadillos」という話に関する補足(In the Land of Armadillos」のネタバレにも通じるので注意)。


In the Land of Armadillos」は、SSの将校がユダヤ人の絵本作家に子供部屋の壁画を描かせる話です。人を殺すことをなんとも思わない冷血な将校が、人生に絶望している絵本作家と会話を交わすうちに、どういうわけだか絵本作家に生きる気力を取り戻させようとするという皮肉な展開が待ち受けています(そもそもナチスのせいで絶望的な世の中になっているというのに)。

で、この絵本作家なんですけど、ブルーノ・シュルツがモデルでした。

ブルーノ・シュルツはポーランドのユダヤ系作家&画家で、短編集『肉桂色の店』収録の「大鰐通り」はクエイ兄弟のアニメーション『ストリート・オブ・ クロコダイル』の原作で、また以前このブログでふれたジョナサン・サフラン・フォアのダイカット本『Tree of Codes』の元になった本でもあります。


シュルツは絵本は書いてないけど、自分の本の挿画を描いたりはしていた。先日、ブルーノ・シュルツに関する本を何冊か読んでいたら、2001年2月9日にシュルツの「壁画」数点が見つかったという記述がありました。

タルノフスキエゴ通り14番地にあるヴィラ・ランダウという家屋で、三重に塗られたペンキを剥がしたら壁画が出てきたのです。ランダウは、シュルツを庇護したとされるウィーン出身のゲシュタポで、ドイツ兵の幼い息子の部屋に絵を描くという使役をシュルツに与えていました。実際の壁画は、グリム童話がモチーフだったようで、制作時期は1942年の春か初夏。

残念なのは、壁画がそのまま保存されることはなく、はがされてエルサレムの博物館に送られちゃったということです。なんてこと! ドイツの映画監督ベンヤミン・ガイスラーが絵画が発見された際の記録映画を撮っているそうなので、機会があれば一度見てみたいな。

さて、以下、ブルーノ・シュルツの人生にざっくりと触れます。

1892年、ポーランドのドロホビチ(現ウクライナ領)に生まれたシュルツは、1910年〜20年代は画家として活動、1933年に短編集『肉桂色の店』(15編収録)、1937年に『砂時計の下のサナトリウム』(13編収録)を出版し、その他雑誌に4本の短編を発表しました。

シュルツがくらしていたポーランドのドロホビチ(現ウクライナ領)は、1941年にナチスに占領され、ゲットー地区が規定されて、シュルツ一家も移転をよぎなくされますが、シュルツ自身はゲシュタポ将校であるランダウのお抱え画家としての仕事を得て保護されていました。

1942年11月19日の黒い木曜日、「アーリア人証明書」を得てワルシャワへと向かおうとしていたシュルツは、旅行用のパンを受け取りに行く途中でゲシュタポが「野蛮作戦」とよぶユダヤ人殺戮に遭遇、路上で射殺されました。シュルツを殺した人物は、彼がランダウのお気に入りのユダヤ人であることを知っていたとみられ、ゲシュタポ同士の仲間割れのとばっちりで殺されたともいわれています。

[参考文献]
『ブルーノ・シュルツ 目から手へ』加藤 有子著、水声社
『シュルツ全小説』ブルーノ・シュルツ著、工藤幸雄訳、平凡社ライブラリー

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# by rivarisaia | 2017-10-25 21:37 | | Trackback | Comments(0)

見たもの読んだものについての電子雑記帳


by 春巻まやや
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